前回は中部エリアのプレッパーズの一人、クラフトマンの勧誘に成功し、自動配送ロボの試作機も手配し終えたブリッジズ第二次遠征隊のサム。これでカイラルネットワークの構築に必要なプレッパーズのシェルターはすべてブリッジズの手中に落ちたので、南の K4南配送センターへ進む準備が整いました。今回はその K4南配送センターへ自動配送ロボの試作機を送り届け、さらにそこで落ち合う約束をしたフラジャイルと真剣なお話をします。

そろそろフラジャイルとの会話シーンががっつり入ってくるので、今回の配信は K4南配送センターへ行ったら終わりかなと考えていたんですが、意外と時間があったので、ついでに次の指名なし依頼の消化旅でやろうとしていたピーター・アングレールのピザ配達も一緒にやることにしました。

前にも同じことを書いたと思うんですけど、もともと DEATH STRANDING のプレイ日記用の動画は、ムービーシーンだけを撮影して、プレイ配信はしていませんでした。でも今はちょっと新型コロナウイルスの影響で、親族の家を行ったり来たりしているので、とりあえず Twitch で全部プレイ内容を配信して、そのとき思いついたこともダラダラ垂れ流して記録しておいて、動画データをいつでもどこでもダウンロードできる状態にしておく方法がとっても便利だと気づきました。しばらくメインストーリーのほうも、こんなよくわからないことをつぶやきながら Twitch でプレイするスタイルになると思います。なるべくムービーシーンは黙るように心がけますが、気になる人はあとで適当に飛ばし飛ばし気になるところだけバックアップ動画を見ていただくほうがいいと思います。最初からほかのゲームでも言ってたことですが、うちはあんまりゲームもしゃべりもうまくないので、配信を生で視聴するのはオススメしていません。

PS5用 Director's Cut に合わせたアップデート

久しぶりに PlayStation 4(PS4)で DEATH STRANDING を立ち上げると、PlayStation 5(PS5)向けの Director’s Cut が発売されるにあたって、PS4版のセーブデータを PS5版にアップコンバートできるようになったというアップデートのお知らせがドドーンとメインメニュー画面に表示されました。これは移行しやすくてよさそうですね。

そう言えば、Director’s Cut はもうリリースされたんですね。時間が流れる早さにビックリしていますが、とにかく無事に生まれてきてくれたこと、素直に嬉しく思います。おめでとうございます🎉

とは言え、そのお商売の方法としてはなんだかモヤモヤするところがあると以前から書いていました。同作に対するうちの姿勢は以前に別記事に詳しく書き出しています。簡単にまとめると、DEATH STRANDING の追加コンテンツは別にいいと思うんだけど、PS5のお金儲け主義はどうも歓迎できないというのが本音です。なにより発売からこの1年、ずっと品薄だもんよ。

とりあえずうちでは、ソニー公式ストアと近くの家電量販店で抽選販売に応募し続けて、PS5が手に入ったら Director’s Cut に移行する予定でいます。その前に PS5が手に入らない限りはなんともできないので、目下うちは相変わらず PS4版のオリジナル・カットでプレイ日記を書き続けます。運よく移行できるようになったら、またそのときに詳しい説明を書くことにします。

いちおう Director’s Cut の発表から、すでに何回か抽選には応募しているんですが、内心あんまりほしくないのも見透かされているのか、まだ当たっていません。ま、ほかにもずっと応募し続けている人がまだまだいるぐらいですから、当たり前ですよね。

正直、このまま落選し続けるうちになんやかや PC 版の DEATH STRANDING にも Director’s Cut 相当のコンテンツが追加されてほしいな~と期待しています。そうすれば私はソニーの面倒くさい商法に巻き込まれずに PC 版に乗り替えて KOJIMA PRODUCTIONS を応援することができます。

ま、人様のお商売にケチをつけるようなネガティブな話題はこちらとしても本望ではないので、さっさと今回のプレイ日記に移ります。

サム指名依頼の優先順位

セーブデータのローディングが完了して、さっそく配送端末から新しいサム指名依頼を受けようと思ったら、依頼の優先順位について、ダイハードマンの音声で簡単な説明が入りました。

サム。君を指名した依頼が増えてきたな。この先へカイラル通信を繋いでいくために何としても受けてほしい依頼もあるが、中には必ずしも受けなくてもいい依頼もある。どれも我々と君自身にとって有益な依頼であることに違いはない。

ダイハードマン

じつは以前からサムが受注できる依頼の名前の前には、それぞれ丸、ダイヤ、逆三角形のマークがつけられていて、ストーリーを進めるうえで必ずこなす必要がある依頼と、ストーリーにはいちおう関連しているけども、とくにやらなくても物語が進展していく依頼、そしてサムでなくてもいい指名なし依頼が一目でわかるようになっています。さらに丁寧なことに、達成しないと物語が進まないタイプのものには、依頼名の背景に赤いストランドまで表示されています。

この優先順位の説明は、おそらく一見すると重要度がかなり低く、雑用にも見える配達依頼 No. 26の「[至急]ピーター・アングレールへ、焼きたてのピザを届けろ!」が出てきたことによるものだと思います。この依頼はこのプレイ日記の後半でやっていくので、そこであらためて詳しい説明をします。あ、いまさらですけど、うちのプレイ日記はネタバレ全開で書いている2周目プレイ日記ですので、避けたいかたはご注意ください。

赤いストランドって、絶滅体であるアメリの特徴だと思うんですよね。アメリは象徴的な赤いワンピースを着ていて、ハイヒールまで赤でそろえています。対するサムの標準装備は彩度が低いネイビーの配達人スーツで、虹で言うならおおよそ対極に位置する色合いになっています。この北米大陸では死の凶兆として逆さ虹が大きな存在感を放っていますが、この虹には青色が欠けていることがのちのちデッドマンの文書からわかります。線虫に紫外線を当てると、死の瞬間に青い光を放つことから、青は死の色であると語られていて、青は波長の長さからほかの色よりもビーチに漏れやすく、北米大陸の虹には出てこないという解釈がされているらしいです。単純に考えれば、虹を完成させるには、サムの存在が必要だったという示唆かなと思いました。

以前から、アメリはサムに対してちょっと女を出してきているような気がすると述べてきたんですが、虹ってそもそも古代中国辺りの思想では「虹霓」と呼ばれ、ヘビや龍のような伝説上の生き物に見立てられていたそうです。虹を、天候を司る大きなヘビとして見る思想は中国周辺に限らず、アメリカやオーストラリアにも見られます。虹霓と言った場合、麒麟や鳳凰と同じようにその名前で雌雄を意味しているそうです。つまり虹がオスで、霓がメスです。基本、ハッキリと見える主虹が虹で、その外側に薄く見える副虹が霓だそうです。副虹は色の並びが主虹と逆であるため、今作の逆さ虹も霓、つまりメスである可能性があります。これはこの北米大陸において、生者の性質がアメリの圧倒的な絶滅体の性質に押され気味だから、女性の性質が出ている表現なのかなという気がしていました。

あるいは、逆さ虹は本来の性質が反対になっていると考えることもできるかもしれません。サムの帰還者の特質は圧倒的な生者の性質だと前から書いてきたんですが、そのサムが死の青側で、世界を滅ぼす絶滅体のアメリが赤になっています。青が死の色なら、反対の赤は生者っぽいのに、どうも反転して見えます。ブリッジズの医療スタッフも赤尽くめだし、死体処理班のスーツもオレンジ色で、どちらかと言うと赤の生者寄りの配色になっています。

細かいことを言い出すと、サムは一度死んで、アメリの力でよみがえっています。だからサムは死者でもあります。ブリジットはサムを育てて母になろうとしていたし、アメリも絶滅体としての運命をはねのけて最後に北米大陸を残す決断をしているので、命を育む母としての性質があるように見えます。人とのつながりひとつとっても、いいことと悪いことを同時に描いているように、この作品独特の二面性が表れているんだと思います。この世界にはいいも悪いもなく、あるのはひとつの事象と、数多の解釈だけです。

生と死の世界、死の入り口であるビーチの関係についても、最近はちょっと似たようなことを感じています。イメージとしては生者の国である北米大陸があり、魂が還る海は死者の国であり、そうするとその入り口はさしずめ海岸(ビーチ)だろうという解説が作中でもされていました。ですが、小説の細かな描写を掘り下げていくと、どうも北米大陸のほうが海底にあるっぽいんですよね。実際に、サムの結び目も水中にあり、サムは小説で結び目から戻ってくる感覚について、海底に繋留された肉体に沈んで戻ってくる感じだと述べています。結び目で目撃された BT のキャッチャーも、水中ではなく水上を移動しているようでした。じゃあ死者の国ってどんなんだと思って情報を探ってみるんですが、行ってそう簡単に戻ってこれる場所ではないので、作中にもろくに描写がありません。あるのは北米大陸とビーチの対比ばかりです。なので私も、ビーチを死者の国側と同一視して考察していることが多々ありました。

この地球の生物ぜんぶが、海から生まれて、海に還っていくの。だから海には、この星の記憶が眠っている。そしてこの星の命を守ってくれている。波打ち際は、生と死を分かつ場所。海に棲むものにとって、波打ち際の向こうは死者の国。地上の生き物にとって、ビーチの向こうは死者の国。

小説『デス・ストランディング』

そこで当然ながら頭に浮かぶのが、この世界に本当に死者の国はあるのかってことです。なんか作中でも言及されている人間が人間たる哲学的な思想みたいになってきましたが、少なくとも影響がありそうな古代エジプトの死生観で言えば、冥界の王オシリスが治めるアアルの野がこの死後の世界に該当すると考えられます。ヒッグスも英語版でキリスト教の概念に近い神の国に言及していたので、そういう概念の死後の世界があるんでしょう。でもその国はいずれ来たる国であって、今はその存在が見えません。

北米大陸が絶滅し、海に沈んでしまえば、ビーチという陸地の端に一人残った絶滅体のアメリは、逆に生者にもっとも近い魂を持つ唯一の者になると解釈することもできます。そもそもビーチは死の入り口であると同時に、死者の国から見れば生者の国の一歩手前で、どちらにもなり得そうな中間の場所です。アメリはおそらく相手次第で、どちら側にもなれる性質を持っているということなんでしょう。はっきり線引きすることがそもそも難しい存在です。

とは言え、その二面性は対になる相手がいてこそ成り立つものだと考えられます。生と死のバランスをとるためには、絶滅体のアメリばかりが力を発揮するのではなく、古代エジプトのオシリスが世界を形成する魔法の力を維持するために太陽神ラーの存在を必要としていたように、対になるパートナーが必要だったんでしょう。サムとアメリは、生と死、男と女、親と子というように、バランスを取り合う存在だったと私は解釈しています。だからアメリは、自分の赤いストランドを一生懸命のばして、北米大陸から消えてしまった青いサムを搦め取って、立派な第二次遠征隊に仕立て上げようとしているみたいなイメージかなと思いました。なんかサムが線虫ならっていう前提で勝手に書いていますが、「サムが線虫なら」って字面のインパクトがすごいですね。

デッドマンが書いていた青く発光する線虫は、具体的には実験生物として広く利用されているカエノラブディティス・エレガンスという種のことらしいです。基本的には雌雄同体で、幼虫期に精子を作り、成虫期に卵を作って、自家受精によって繁殖しますが、約0.1%の確率でオスが誕生することもあり、雌雄同体の個体と交配して遺伝的な多様性を維持しています。だとしたらサムが男なのも納得ですが、絶滅体は雌雄同体じゃなさそうなので、考えすぎかな。

たいしてまとまっていない考えをまた長々と書き殴ってしまった……。

サム指名依頼 No. 24「K4南配送センターへ自動配送ロボの試作機を配送せよ」

まずはその赤いストランドで案内が出ているサム指名依頼の No. 24「K4南配送センターへ自動配送ロボの試作機を配送せよ」をやっていきます。今回初めて訪れる K4南配送センターがお届け先です。

自動配送ロボは、カイラル通信の稼働エリア内で運用できる。その実証実験のため、K4配送センターへ試作機を運んでほしい。想定通りに稼働すれば、配達人や人々にとって大きな助けになるはず。

サム指名依頼 No. 24「K4南配送センターへ自動配送ロボの試作機を配送せよ」の依頼の詳細より

この依頼を終えると自動配送ロボが使えるようになるみたいです。

自動配送ロボはサムが自分で荷物を運ばなくても簡単な配送依頼を勝手にこなしてくれる機械です。正直、配送経路の状態や距離、ミュールから襲撃される可能性なども考えるとあまり現実的な配送手段とは言えないと考えています。なので今後使う予定はありません。とりあえず「いいね👍」をかき集めたければ、とにかくずっと稼働させておくに限るんですけど、今回のプレイではとくにそこまで重視していないですしね。

でも、自動配送ロボにそっくりなモデルの追従ロボットが Director’s Cut に登場していたので、なにか仕様の変更が入るならどんな感じか試してみるつもりです。それまでは、少なくともこの PS4版をしているあいだは、指名なし依頼の消化旅でも活躍を見ることはないと思います。

BBはうれしそうにしている。

前回の配達でリバース・トライクが作れるようになったので、依頼を選択したあとの作成する装備選択画面に車両の項目があったんですが、作れるなら車庫に眠っているみんなが乗り捨てたリバース・トライクも再利用できるのではないかと考えてわざわざ作成しませんでした。でも、まだ車庫の乗り物を共有できる段階ではなかったみたいで、車庫の情報画面が出てこなかったので、時間指定配達でもないし、国道を走って配達に行くことにしました。配送センターを出たあたりで二段ジャンプして BB-28の機嫌をとっておきます。BB-28はサムが走ると喜びますよね。

配信中は国道をひた走っているあいだに BB-28が風を感じる仕組みがよくわからないとつぶやいていました。前に温泉でバタ足のエネルギーがポッド外の温泉のお湯にも伝わっているっぽいので、おそらくこのポッドを形成している物質は普通のガラスや金属ではないんだろう的なことをつぶやいていたんですが、配信のコメントで小島監督にも BB-28が泳げる理屈はよくわからないらしいということを教えてもらいました。vylga さん、いつもコメントありがとうございます👍♥

やっぱ、なんか普通の物理法則とは違うなにかがこの BB のポッドには働いてると思うんですよね。

追記 追記:コメントで教えていただいた動画

温泉を泳ぐ BB-28について、小島監督がなぜ泳げているのかわからないと語る動画があるとのことなので、vylga さんからコメントで教えていただいた動画を以下にも載せておきます。こう笑いながらネタにしているということは、BB ポッド周辺に働いている物理的な力は、演出の都合も兼ねたご愛敬として、あんまり細かいことは考えなくていいのかもしれません。

👍 追記ここまで 👍 < Thank you for your contributions!

K4南配送センター

くだらない疑問をグダグダ口にしていたら、あっという間に目的地の K4南配送センターが見えてきました。前回国道をできるだけつないでおいたおかげですね。いや、本当に、国道があるとボケッと景色見ながら配達できるから、楽なんですよね。

この角度から配送センターを見ると、東部エリアの K2西配送センターとはまたちょっと違って見えますね。見比べると実際にちょっと違うみたいです。こっちのほうが鼻が短く潰れて見えるというか。

配送センターは小説ではポート・ノットシティがクジラに例えられていたので、座礁鯨を意識したほうがいい存在かもしれないと考えています。そう言えば、この配送センターの建物って、山や陸地側を背にして水辺に向かって口を開けている気がしますね。キャピタル・ノットシティの配送センターはカナダがあった北の海側、K2西配送センターはすぐ西を流れる川側、ポート・ノットシティは港があるクレーター湖側、レイク・ノットシティもクレーター湖側、そしてここも、目の前を流れる川に向いています。いつもと同じ、私の気にしすぎもありますが、これから先のノットシティ内でも、配送センターがどっちに向いて配置されているかちゃんと見たほうがいいような気がしてきました。

もし本当に配送センターが水辺に向かって口を開けているなら、ビーチに頭を突っ込んで浜に乗り上げていた座礁鯨たちとは頭の向きが反対になります。ここも上の生と死の国の位置関係同様に、陸と水辺の概念が反転してしまっているんですよね。小説の冒頭にある絶滅体のセリフで示唆されているとおり、発情したクジラが相手を求めて愛で雁字搦めになっていると考えれば、海の底に繋留されているサムの肉体を求めて座礁しているとも考えられるかな?

あ、ちなみに、自動配送ロボを配達する依頼は、小説『デス・ストランディング』には登場していません。なのでいつもの比較はなしです。

トーマス・サザーランド

問題なく自動配送ロボを配送センター窓口のトーマス・サザーランドさんに渡すことができました。前世以来、久々に見たけど、こんな顔してましたっけ? そして「トーマス・サザーランド」で検索すると、香港上海銀行の創始者って出てきたんですけど、銀行家がなんか絡んでるのかな? まあ、間違いなく言えるのは、南配送センターだからいかにも「南方の地」を意味してそうな“Southerland”の名前があてられてるってことですよね。この世界の人物は、みんな本当にわかりやすい!

サザーランドさんは自動配送ロボの起動を手伝うように言われているらしく、荷物の確認が完了するとすぐその作業に必要なカイラル通信の接続をサムに求めてきます。

北米大陸のカイラルネットワーク

K4南配送センターを新たにカイラルネットワークに加えると、いつものネットワークのつながり具合を地図上で確認することができます。第二次遠征隊の旅路も、北米大陸の地図で見るとおおよそ半分ぐらいまで来たんじゃないでしょうか? 現実の地図で見ると、ネブラスカ州の西の端ぐらいまで来たんじゃないですか?

ブリッジズの拠点は夜空に瞬く星のようだという話が以前にありましたが、ここら辺から私のようなバカにはどれがどの星なのかわからなくなってきます。そもそも東部エリアの拠点をつないだ形も、なんとなくカシオペア座っぽいな~と小学生並みの知識でしゃべっていただけで、実際の夜空の星座に対応した形なのかさえも確証はありませんでしたけどね。本当にカシオペア座だと、フロリダ半島の先ぐらいに北極星があることになります。

この地図を見ていると、カイラルネットワークでつながった部分は北米大陸から夜空に変わってきていると考えられそうな気がしてきました。上にも書いたように、生者の国が陸地で、死者の国が海で、その中間がビーチって話ですけど、これだけ見れば、案外アメリのビーチはお空の宇宙なのかもしれませんね。BT の黒いへその緒も、天に向かって伸びていましたし、倒すと天に昇っていきますよね。

ブリッジズ制式ブーツ Lv. 2

ここでブリッジズから支給されるブーツが進化して、ブリッジズ制式ブーツ[Lv. 2]が作れるようになりました。耐久性と衝撃吸収性が向上しているそうです。ブーツは、普段はそうでもないんですが、依頼を立て続けにこなしていく指名なし依頼の配信でそろそろ摩耗するスピードが速いなと感じるようになっていたのでありがたいです。

配信でも言っていたんですけど、このブリッジズ制式ブーツ、私も1足ほしいんですよね。ものすごく歩きやすそうです。これ以外にも、配送センターのスタッフが着ている作業用のつなぎとかもほしいんですよね。

GU のコラボ商品

そうそう、配信で買おうとしていると言っていた GU のコラボ商品は先日無事に届きました。いちおうメンズ向け商品だったので、今離れて暮らしている(ゲームをまったくしない)家族にどのデザインなら着られるかとか相談して、在庫が残っているサイズのなかから、ちょっと大きめのものを選んで注文しました。GU は値段が高くないからいいですよね。小島監督の熱狂的なファンならお宝として保存しておくんでしょうけど、うちはどっちかっていうと PS5が買えないぶん、KOJIMA PRODUCTIONS を応援するするつもりで買っているので、商品自体は至って普通に部屋着として着潰す予定です。

GU とのコラボ商品

ミリタリージャケットは自分用のつもりで買いました。これもダボッと着るために大きめサイズを選んであります。庭の手入れや近場のコンビニあたりに行くときに羽織ろうと思って買ったんですが、背中側に大きめのポケットが付いているのでめっちゃ使い勝手がよさそうです。しかし、夜でも室温が30度近くある残暑のせいで、まだ一度も実際には活躍していません。

ポケットに入っている“EXTRA-VEHICULAR CREATIVE ACTIVITY suit”って文字は、トレーナーの腕にも入っていたんですが、なにのデザインでしょうね? ルーデンスの腕あたりに入ってる文字列かな? たぶん、サムではないはず。なんか形容詞が続くせいなのか、ティブティブ音が続くせいなのか、最初に読み上げたときに単語の区切りがわからなくなるような違和感があったんですけど、あらためて注目するとネイティブ的にはどうなんでしょう?

こう見ると新しいコジプロの顔は宇宙をテーマにしていることがよくわかります。DEATH STRANDING の世界観も宇宙を意識して構築されています。やっぱり反戦がテーマだった METAL GEAR SOLID とはちょっと違うと思うんですよね。Director’s Cut は、SIE が作成したトレーラーなんてとくに、旧来のファンを呼び戻すためにあえて METAL GEAR SOLID 的な要素が盛り込まれているように見せる内容になっていたような気がしていました。それで発表された直後に、それはちょっと違うんじゃないかって違和感を訴えていたんですよね。

GU みたいな気軽に買えるアパレルもいいけど、私はちゃんとしたブリッジズ制式ブーツみたいなトレッキングブーツとかワークブーツとか、歩ける靴をどこかとコラボして開発してほしいなと願っています。もし実現したら万単位出しても惜しくないですよ。

自動配送ロボの説明をしてくれるママー

カイラル通信をつないだら、サザーランドさんは自動配送ロボの準備をするとかで、すぐに奥へ消えてしまい、代わりにママーが出てきて自動配送ロボの説明をしてくれました。

サム、ありがとう。おかげで、いよいよ最終実験ができるわ。これは私が設計した。うまく動けば、あなたたちの負担を減らせるはずよ。機械なら人間と違って対消滅(ヴォイド・アウト)の危険もない。デス・ストランディングが起こる前の時代、技術的特異点つまり AI が人間の知性を超え世界を変えてしまうことが危惧されたの。でもそれは起きなかった。機械は対消滅(ヴォイド・アウト)を起こさない。機械には死の概念もない。だからビーチもない。AI がどれだけ進化したとしても死を理解することはできない。だから AI には人間を超えることはできないの。私が誘導するから、その配送端末で起動してみて。あとは、こちらで動作をモニターする。

ママー

今回 K4南配送センターをカイラル通信につないだことで、ママーの説明の補足となる過去の文書が新たに読めるようになっています。ママーがこの自動配送ロボの開発を数か月前に完了させたとき、そのことをダイハードマンに報告しているメールです。数か月前ってことは、もしかしたら第一次遠征隊としてキャピタル・ノットシティを出発したあと、今いるサウス・ノットシティ前の研究所に落ち着いてから開発したものなのかもしれませんね。ママーが具体的にいつテロ攻撃に遭って出産したか、詳しい時期をまだしっかり把握できていない私です。

自動配送ロボとシンギュラリティ

【ダイハードマンへの報告】
はい、長官。自動配送ロボは、完成しました。
あとはカイラル通信の稼働エリアでのテストと評価を待つだけです。第二次遠征隊が来て、Qpid を繋いでくれさえすれば、配送効率も格段に上がります。
大丈夫です。配送ロボは荷物を運ぶだけ。受け取りや指示は人間がやります。昔のようなドローン症候群は発生しません。シンギュラリティも起きません。
なぜって?
AI は死なないからです。バージョンアップはあっても、死ぬことはない。もちろん死への恐怖も、死を想像することもない。
長官、だから心配しないでください。配送ロボは、必ず私たちの役に立ってくれます!

ママー

ブリッジズのシステムやテクノロジーの開発で、ママーが携わったものは少なくありませんが、どうやらこの自動配送ロボはママーが単独で推し進めていたプロジェクトのようです。ダイハードマンへの報告を読むと、なんとなく周囲から実用化を反対されていたような気配が感じられます。最後は半ば押し切るような形になっています。なんでこんなにママーが配送ロボットにこだわるのかはよくわかっていません。どういう背景があったんだろ……? ただたんに便利なツールはどんどん使えよって言う効率厨だったのかな?

ママーの報告に含まれている用語「ドローン症候群」については、ほかの文書でダイハードマンが少しだけ言及していました。

想像できないかもしれないが、デス・ストランディング以前、世界は通信回線と物流網によって、繋がっていた。AI とドローンのおかげで、人が全く介在しない配送が実現するかと期待されていた。
だが、配送革命もシンギュラリティも起きなかった。人は無人化に耐えられなかったんだ。ストレスやオキシトシンの欠如で、ドローン症候群という症状に悩む人が続出した。

ダイハードマン

人の手を介在しない便利な配送を実現しようとしたら、今度は人がいないことにみんながストレスを感じはじめ、さらに脳内ホルモンの分泌が偏り、「ドローン症候群」という精神障害を患うようになったらしいです。だからママーは、あえて荷物の受け取りや配送の指示は人間がしないといけない配送ロボットを設計したようです。便利すぎるのも困りものですね。

人の不在に耐えられなかった話は、小説のエルダーの話で、ブリッジズのシステムがシェルターに導入されて、プレッパーズ同士の情報網から情報が得られるようになったときの例がわかりやすいかもしれません。絶望的な状況からなにもわからなかったデス・ストランディング直後の混乱期より、明らかにいろいろな情報がシェルターに入ってくるようになりましたが、そのぶんデマや不確かな噂話も入ってくるようになり、けっきょくは配達などで立ち寄った人を捕まえて雑談をし、意見交換したくなるという現象が起こっていたようです。実際この世界、大阪のおばちゃんみたいな女性がいたら、配達に行くたびにめちゃくちゃ絡まれそうじゃないですか。用事を済ませてさっさと去ると申し訳なくなりそうな寂しがり屋のおばあちゃんとかもそのうち現れそう……。

人間に勝る AI

ママーが、映画だったら1枚に収めちゃいけないボリュームになっている字幕で、技術的特異点は起こらなかったと説明してくれます。

機械が人間の知能を超える恐れって、わかりやすいところでは人気映画『ターミネーター』シリーズの大前提になっていますし、人間とロボットにはたして境界線はあるのかというテーマは、もうかれこれ1世紀ぐらい SF 界隈で定番のネタになっていて、映像作品で言えば1927年の映画『メトロポリス』あたりからすでに人間そっくりなロボットが登場しています。最近のゲームだと Detroit: Become Human あたりが近いテーマなんじゃないでしょうか。テレビがやっと作られたころから、人間はずっと機械に追い抜かれて支配されることを恐れてきました。でも、ママーはここで、人類の長年の懸念をあっさり否定しています。

技術的特異点をめぐっては、いろいろな議論があるので、一概にすべてを否定できるわけではないと私は考えています。そもそも性質が違うものを並べて、どういった基準をもって超えたと判断するのかも問題なわけですしね。厳密に言えば、ママーはあくまでも「起きなかった」と、この終末を迎えた北米大陸から過去を振り返って事実を述べているのであって、機械はどうやっても人間を超えられないと言うのも、この経験に基づいた知識として語っているものと思われます。現実で今後もずっとコンピューターには死が理解できないと言い切るのは、理解させる技術を開発するのと同じぐらい難しいと思います。

死の概念

でも、機械が人間を超えるにはまだまだ課題が残っているというこの感覚は、テクノロジーがそれなりに、少なくとも簡単な通信機やアナログ家電よりは発達してきて、それが絵空事ではなく、現実味を帯びてきているからこそ芽生えるものだと思います。AI は人間を超えるかという議論で、否定的な意見を出す人は、意外と AI を研究している当事者側の立場の人が多いという話をどこかで聞いたことがあります。彼らは機械に人間を超えさせようとしている人たちです。だからこそ、そのための課題をよく理解しているという話らしいです。

アナログ家電から量子コンピューターまで、人間がわからないものに対して不安を抱くところからはじめ、どんどん理解を深めて、いろんなものを作りだして、実現できないものを目の前にして、それはさすがに無理だろうという手応えを得ていく感覚が表れているからこそ、今まで一種当たり前だったテーマを否定する作品も出てくるっていうのは、これもこれでロマンだと思います。だからママーのここのセリフは重みがあると思うんですよね。

今のコロナ禍もウィルスに関する基礎知識がないと、もっとタチの悪いウワサや詐欺なんかが横行する世の中になっていたと思います。それこそ過去の疫病蔓延から築かれた一大ジャンルがヴァンパイアものだったりします。人はヴァンパイアが非現実的な理由を理論立てて説明できる科学的な知識を手に入れましたが、いっぽうで今でもヴァンパイアのような存在はもしかしたら実在するかもしれないという可能性を楽しみ続けています。その余地を残すことで、このジャンルの作品を楽しむ娯楽も享受しているので、科学的な知識と想像力の産物みたいな一見相反するものを共存させる情緒も楽しんでいるんですよね。こういうところこそ、機械が不得手としている思考パターンや感情の領域なのかな。

なんかウダウダ書きましたが、現段階の機械にはまだ死の概念は早いというのは、理解しやすいところだと思います。だから、死を思うからこその人間的な哲学は持ち合わせていないし、ビーチもないし、対消滅も起こしません。この部分に異論はないんですけど、じゃあ動物はどうなのかって話なんですよね。ハートマンは動物がネクローシスを起こさないことから、ビーチは人間にしかないという持論を展開しています。動物は、ゾウや鳥類が有名ですが、とくに群れをなす生態の種には死の概念があると言われています。ほかでもないハートマンの説明で、過去の大量絶滅がデス・ストランディングの先例として紹介されるとき、そこで死を迎えているのはマンモスや恐竜といった動物でした。でもデス・ストランディングでは、ビーチや対消滅の問題は人間にしかないという設定になっているようです。たまたま今回の絶滅体が人間だったからで、もしブリジットがトカゲとか蝶々だったりしたら、生物学的にどこまでが範囲になるのかわかりませんが、対応する種のみがビーチを持ってネクローシスする世界になっていたってことでしょうか?

もっと言うと、デッドマンはどうなのかって話なんですよね。以前にも書いたんですが、デッドマンは自分でビーチがないと言っています。反対に、作中明らかに物扱いされているブリッジ・ベイビーたちはビーチを持っていると言われています。いや、実際デッドマンが死にかけてみたら勝手に思い込んでいただけで自分だけのビーチあったわ~みたいなオチになる可能性もなきにしもあらずですが、なにを根拠にああもビーチがないと言い切れるんでしょうか?

デッドマンには死の概念があるし、死を思うからこその哲学も人並み以上に持っているように見えます。医療に携わっている点から、知能もおそらく人並み以上にあり、感情も持っています。デッドマンがネクローシスを起こさないなら、機械以上人間未満という便利なポジションになり、彼もこの終末世界のポーターに向いている体質と言えそうです。それこそ鬼のようなことを裏でしてきたブリッジズなら、デッドマンのような人間を量産して、そのクローン部隊を第二次遠征隊にしてもよかったわけですよね。

長々と書きましたが、なにを言いたかったのかと言うと、機械を推すママーの気持ちもわかるし、機械の過剰な活用を警戒するブリッジズ内の反対の声も理解できるんですが、機械を推奨する理由に挙げられているデス・ストランディング関係の事象はいまいちピンときませんでした。だれか、説明してくれー!

依頼 No. 448「高たんぱくの食用植物を届けろ」

自動配送ロボは、あなたが指示した配送依頼をあなたのかわりに遂行する。できるのは「指名なし依頼」の配送だけよ。サム、依頼を選んでみて。

ママー

御託はいいからさっさと自動配送ロボ使ってみろよってことで、ママーの説明が終わるといつもの配送端末の画面に勝手に切り替わって、「指名なし依頼(自動配送ロボ)」メニューから、エルダー行きの指名なし依頼 No. 448「高たんぱくの食用植物を届けろ」の配達を実際に自動配送ロボに指示できるようになります。お届け物は大豆かなにかかな? エルダーは近いし、なんか物資を優先的に届けてあげたくなるお年寄りなので、ピッタリなお届け先ですね。

自動配送ロボ

指示を出すと床下から二足歩行の自動配送ロボが荷物を担いで出てきて、サムの目の前を横切りながら配送センターから出発していきます。その後ろ姿は鼻歌のような音楽を流してご機嫌です。このロボットめっちゃ人間味あるやん。そのうち道中でミュールに襲われて「死にたくない」って言い出したらどうする? 人間っぽいことを口にすると破壊を免れられる確率が上がるとか説明してさ。

犬型ロボットや二足歩行ロボットのアトラスを開発する米企業ボストン・ダイナミクスが、パルクールをするアトラスの動画を公開したときに、“Let’s hope Parkour is enough to keep them distracted from Sarah Connor(パルクールだけでヤツらの注意をサラ・コナーからそらせることを願おう)”というコメントが付いていて笑ったことがありました。アトラスはほかにもスムーズなダンスを披露して話題を呼んだことがあります。

開発者によれば、これらの動きは、プログラマーがあらかじめコースと動きを考えてプログラムしておくのではなく、ロボットがコースの障害物を観察し、ジャンプなどの基本的な動きがそろえられたレパートリーのなかから、適した動きを動的に選択して組み合わせ、目の前の障害物に対応していると説明されています。

同社の犬型ロボット BigDog は、蹴られてもバランスを取って踏ん張る動画が10年以上前に公開されたとき、生き物みたいで気持ち悪いと話題になりました。精巧なロボットにはどうも人間の生理的な嫌悪感を生じさせる傾向があるようです。この傾向はなんとなく、日本より欧米のほうが強いように感じています。

BigDog から進化した犬型ロボットのスポットは、最近ニューヨーク市警にロボット警察犬として導入されましたが、市民団体の反発を受けてけっきょく利用停止になっています。上述の生理的な嫌悪感や、『ターミネーター』ファンの懸念もあるんでしょうが、ロボットの開発と利用には現実的な問題もつきまといます。こうしたロボットの開発では、ロボットが人間に危害を加えないことが念頭に置かれていますが、テクノロジーが悪用される危険性はどれだけ細心の注意を払ってもゼロにすることができません。海兵隊で利用が検討されていた四足歩行のロボットは、実際に銃撃犯が立てこもった建物に爆弾を積んで突撃し、犯人を殺害する任務にもあたっていたようです。これらの技術が、例えば自爆テロのような犯罪に悪用されれば、とんでもないことになります。

銃を搭載したモデルもあるので、悪用されなくても、ロボットの管理ミスで人が負傷したり命を落としたりということも今後は当たり前に起こり得るでしょう。そうなると余計に市民感情を煽ることになります。こうした精巧なロボットの問題は比較的最近の新しい課題であるため、ロボット開発の産業を萎縮させず、かつ安全性も確保できるバランスのとれた法整備などが求められています。

デス・ストランディングが起こる前に技術的特異点は起こらなかったそうですが、案外ロボットの進化を阻止していたのは、こうした法整備やらの過渡期に人間の感情が邪魔した結果だったのかもしれませんね。それこそ、ドローン症候群みたいな事象が相次いでしまったとか。

サム専用に1台もらえるらしい

さっき出て行った試作機がうまく配達に成功すれば、自動配送ロボは順次量産される予定だとママーは話します。実地テストはこのあとも続くので、サムが自由に使える自動配送ロボも別にもう1台用意されるそうです。これからは自分が配達依頼を受けるのと同じように配送端末から自由にロボットに配送指示を出せるようになりますし、好きに使える自動配送ロボの台数も特定の施設と親密になることで増えていきます。

ママーの赤ちゃんがぐずり出す。

自動配送ロボの説明がおおかた終わろうというころに、ママーは「ごめん。子供がぐずってるみたい。ありがとう、サム。またね」と言って通信を切り上げてしまいます。ママーを演じている女優のマーガレット・クアリーさんはまだこのとき20代前半で、子持ちとは思えない若さだったと記憶しているんですけど、このセリフでママーが名前のとおり赤ちゃんを育てる母親であることがわかります。逆に乳児なんて抱えてたらブリッジズの仕事なんてろくにできないんじゃないかと疑問に思うのは私だけでしょうか……? ここのママーの設定はちょっと育児舐めすぎじゃない?

ちなみに女優さんの名前が出たのでついでに書いておくと、このかた、シャイア・ラブーフがリハビリみたいな映画『ハニーボーイ』を作ったあとに、けっきょくまた FKA ツイッグスやシーアから虐待の告発を受けてスキャンダルまみれになっていた真っ最中に熱愛報道が出たお相手で、肝が据わっているなと思って注目していたんですよね。スクープされたときはかなり熱々そうでしたが、それから長く続かず、すぐ別れてしまったそうですけどね。

代理のダイハードマン

ママーが去ると、代わりにダイハードマンが出てきました。ダイハードマン、こういう登場のしかたも多いですよね。長官っていうか、みんなのフォロー役っぽさがあります。やっぱりリーダーっていうより、気が回る側近タイプに見えるんですよね。

ママーの説得が功を奏したのか、ダイハードマンも自動配送ロボがみんなの役に立つとサムに語ります。カイラルネットワークでアメリのビーチにつながった自動配送ロボが、やがてスカイネットを形成したり、別の絶滅体が誕生しているもうひとつの宇宙では、リージョンという AI の手足となって人類相手に全面戦争を仕掛けたりしているなんて、みじんも想像してなさそうです。呑気にプライベート・ルームで休んでこいと、サムに休息をとるように促します。

いつもと同じプライベート・ルームの簡易ベッドに横たわったサムは、気がつくと黒い砂浜に裸で寝そべっていました。カメラが足下から舐めるようにサムの裸体を映し出して、ノーマン・リーダス鑑賞会が始まります。ポロリもあるよー!

ビーチに裸で寝転ぶサム

このセクシーショット、なんか懐かしいですね。イゴール大爆発のとき以来じゃないですか? チラチラ映り込む背景を見る限り、いつものアメリのビーチで間違いないようです。前は背後に BT の黒い臍帯が複数映り込んでいましたが、今回は一瞬1本映り込むだけで、あまり存在感がありません。そう言えば、浜の小魚やカニ、座礁鯨も見えませんでしたね。強いて言うならサムのお肌にところどころ張り付いた白い海藻ぐらいしか見えません。もしかしたら見えないだけで股間あたりを白いホタテ貝がガードしているのかもしれませんが。

浜でハッと目を覚ましたサムは、前と同じように立ち上がって、おもむろに海岸に目をやると思いきや、その場に座り込んだまま自分の両手をまじまじと見下ろしています。

両手をじっと見るサム

その両手は温泉に長時間つかりすぎたせいで白くふやけてシワシワになっていました。

なぜ手の皮膚だけシワシワになるのかという疑問は、学術的に真面目に研究されてきたそうで、手の角質層は手首より上のほかの皮膚に比べて厚く、水分を蓄えやすい特徴があるそうです。でも、ケガなどで指の神経が切れてしまった人はシワシワにならないことがわかっています。だから最近は自律神経の働きで意図的にこのシワシワ化が引き起こされているという考えかたが主流だそうです。その目的は、シワシワの凹凸で肌のグリップ力を増幅させ、水中の物をつかみやすくするためという説が有力です。人の体が陸上でも水辺でも、本能的になにかとつながろうとしている証拠だと思います。

水辺や水中でなにかをつかむと言えば、ビーチ姫がマリオことサムとつなごうとしていた手や、エンディングで水中に沈んだサムの足をつかんで北米大陸に連れ戻したデッドマンの手が印象的で――と、ここまで無理やり書き進めてきて、そう言えば、普段のサムもデッドマンも、手袋を着けてるから関係ないわと気づきました。ただの気のせいやったわ。

いや、初見プレイのとき、ホントにこのシーンの手を見て、「あ、水分吸いすぎてシワシワになってる。そんなに温泉つかったっけ?」としか思わなかったんですよね。のほほんとしすぎです。

サムの実際の手

ビーチの夢から覚醒したサムは、慌てて飛び起きて自分の両手を確認します。その手はシワシワではなく、いつもどおりの皮膚をしていました。

ホッとしたのもつかの間、サムはプライベート・ルームの異変に気づきます。シャワールームから音がするのです。

のぞいちゃうサム

ここで、サムのプライベート・ルームのシャワーをフラジャイルが勝手に使っていることがわかります。サムがビーチで見たシワシワの手はおそらく、時雨によって老化が進んだフラジャイルの肌を意識して見た悪夢でした。私のようにボケッとゲームをしている人間は、いつぞやに見せてもらったフラジャイルのお肌のことなんてすぐ忘れているので、ここまでこないと絶滅夢の描写に合点がいかないんですよね。

壊れ物の手

小説では自動配送ロボの配達仕事がないので、このシーンはサムがプレッパーズの説得を終えてレイク・ノットシティに戻ってきたときに、同ノットシティのプライベート・ルームで起こります。小説のサムは入眠の儀式としてアメリからもらったドリーム・キャッチャーを手に握ってベッドに横たわりますが、眠りに入る瞬間に手に水滴が落ちる感覚を覚えています。

ゲームのサムは手首から先がシワシワになっただけでした。これは以前に見せてもらったフラジャイルの肌が手首から先だけで、そこしか視覚情報がなかったことも関係していると思います。ここの唐突な老化現象の描写は小説のほうが過激で、たまにプライベート・ルームで見る BB-28関連の悪夢のように、小説のサムは最初からビーチには行かず、夢に落ちた自覚がないままプライベート・ルームで夢を見はじめます。

サムは濡れた感覚がした手から老化が進んでいることにすぐに気づいて飛び起き、次いで腕の筋肉が失われていることにも気づきます。慌てて悪夢を避けるために、床に落としたドリーム・キャッチャーを拾おうとしますが、筋力の衰えで体をうまく支えられずに頭から倒れ込んでしまいます。そこで自分がいつの間にかプライベート・ルームの床ではなく、砂浜に頭を突っ込んでいることに気づきます。必死に顔を上げて砂を吐き出すと、砂と一緒に歯が抜け、どす黒いタールのような血が口から流れ出します。そこで時雨が大量に自分に降り注ぎ、髪をかき上げようとすると手に白い抜け毛の束が張り付くようになります。悲鳴を上げようとして咳き込むサムの前にエルダーが現れますが、サムはすぐにそれがエルダーではなく、自分の年老いた姿だと気づきます。

年をとる運転手

どうしてここでエルダーが出てくるのかはよくわかりませんが、後半の描写はイゴール先輩と組んでいたトラックの運転手の末路からちょっと影響を受けているような気がします。小説のエルダーは作中では老人枠代表みたいな立ち位置にあるほか、プレッパーズのなかで一番頑固に孤立主義を貫いていた人物で、本来ならブリッジズのような組織には属さずに気ままにフリーランスのポーターをやっていたかったサムとちょっと気質が似ているところがありました。本人も心のどこかでエルダーに自分を重ねているところがあったのかもしれません。ちょうど説得のために足繁く彼のシェルターに通った直後だったのも影響したんでしょうね。

サムの体が時雨で老化してしまう悪夢は、自身の未来をエルダーに重ねて感じた老いに対する恐怖と合わせて、プライベート・ルームに勝手に入ってきたフラジャイルの気配をサムが敏感に感じとって見た夢であると考えられます。サムは小説の記述で、自分の肉体がなんらかの形で損傷して失われてしまえば、死ねない帰還者であることから永遠に結び目をさまようことになるという恐怖を抱えていました。老いによる肉体の損失はどうあがいても避けられないサムの未来です。

もしサムの恐怖心が見せた悪夢でなければ、その犯人は絶滅体を置いてほかにはいないでしょう。小説でドリーム・キャッチャーを落としているのも、目に見えない形でアメリに取りあげられていると考えることもできます。サムは夢を見ている最中にほかでもないアメリのビーチに行っています。ゲームのムービーに一瞬映ったビーチに彼女の気配はありませんでしたが、サムが恐れている肉体の死と永遠のビーチ暮らしは、現在進行形でアメリが抱えている苦悩です。アメリからのなんらかのメッセージであった可能性も否定できません。

アメリとフラジャイルの関係は直接の接点があまりないのでよくわかりませんが、フラジャイルに時雨を浴びさせたヒッグスがアメリの配下にいたことから、あの肌もアメリが絶滅やサムの説得に関連して計画して、フラジャイルに与えたものである可能性もあります。

お色気シャワーシーン

フラジャイルが自分の部屋でシャワーを浴びていることに気づいたサムは、ベッドから立ち上がってシャワーブースに近づき、フラジャイルの裸体をのぞき込もうとします。そしてフラジャイルに感づかれて、慌てて背中を向けます。

くもったガラスの向こうに、裸の背中が見えた。老人の背中だった。腕も肩も腰も、しわだらけだ。不思議なのは、その骨格が老人のそれには見えないことだった。腰も背中も曲がっておらず、美しい弓なりを描いている。

小説『デス・ストランディング』

時雨が時間を奪うのは雨粒が最初に触れたものだけだそうです。そのあとは普通の雨水になります。時雨を浴びたフラジャイルの体は、表皮の時間だけが進んで老化していますが、体組織の奥にある骨などには影響を及ぼしていません。この点を考えれば、即座に腕の筋肉が弱ったりしていたサムの先ほどの悪夢は、実際のデス・ストランディング現象にちなんだ映像ではなく、老化の恐怖が形になったものである可能性が高いと思います。

最初に、女がシャワーを浴びているところにズカズカ近づいていくサムの背中を見て、サムも男だな~と思ったんですが、小説の記述から受けた印象では、おそらくサム自身はパニックでそれどころではなかったことがうかがえます。

サムは激しい時雨を浴びる悪夢を見て飛び起きています。目を覚まして体が無事であることを確認しますが、夢だったはずの時雨が降り注ぐ音は消えていないことに気づきます。そこで自分以外の何者かがすぐ目の前でシャワーを浴びていることに気づきます。そして、自分の部屋に何者かが侵入していると認識します。小説の記述によれば、頭のなかでは、先ほど見たエルダーのような自分の老いた姿もチラチラとフラッシュバックしているはずです。悪夢を見た恐怖心がまだ落ち着かないうちに、立て続けに侵入者と対峙しなければならないこの緊迫した状況に、もし自分が放り込まれたらと考えると、軽いパニック状態になっていると思います。

こういう状況って男性のほうがつらい場合ありますよね。女の部屋に男性が侵入したら性犯罪の危険性を多くの人が察知して、女性の意見のほうが多くの場合尊重されるでしょう。ま、そうなったのは多くの男性がこれまで女の部屋に勝手にズケズケ入り込んで暴力を振るってきた歴史があるからなんですけど、かたや男性が侵入される側だと、据え膳食わぬは云々みたいな論調になりがちです。だれかサムのプライバシーを尊重してあげて! プレイバシーはみんな必要なのよ!

たぶん、シャワーブースをのぞき込もうとするサムの心境は、背中を向ける BB-28のポッドにそろりそろりと近づいて、その顔がデッドマンになっていることにビックリする悪夢を見たときとちょっと似ている状態だと思います。フラジャイルで映画『サイコ』の名物シーンを再現することにならなくてよかったですね。

フラジャイルはサムに見られていることに気づくとハッと胸を隠すんですが、普通に考えて寝ている男のそばで裸になってシャワーを浴びる行動に出ている時点で、最悪このまま押し倒されても本望だぐらいの感覚で来ていると思います。配信でも言っていたんですが、こういう女性キャラクターの感覚が私にはよくわからないんですよね。女の武器だって惜しまないって路線にしても、フラジャイルはヒッグスとの協力関係でこっぴどい失敗をしているので、もう一度男と組むならけっこう警戒するもんじゃないのかなと私の感覚では思うんですよね。これだとあんまり学習している様子が見えないので、なんか体をエサに男にこびるしか能がないバカ女みたいに見えてくるんですよね。シャワーつながりと言えば、METAL GEAR SOLID V THE PHANTOM PAIN のクワイエットが頭に浮かぶんですが、小島監督はシャワーになんか性的なこだわりでもあるのかな?

シャワーのお礼

現実だったら覗きだけでなく、サムの目の前で服を着るセクシータイムが発生することになる場面ですが、ここはブリッジズのナゾの最新テクノロジーでシャワーブースから出ると同時にバッチリ着衣しているフラジャイルさん。あのナゾのテクノロジーが適用されるのはサムだけではなかったようです。私もコレ、現実にほしいんですけど……。

フラジャイル曰く、ビーチから飛んできたらサムがまだ眠りこけていて、さらにいつもよりビーチのカイラル濃度が高くて汚れてしまったので、部屋の主が寝ているあいだにシャワーを借りることにしたらしいです。こんなことする女います? 配信でもだいぶブツブツ言ってたんですが、小島監督の作品は女性キャラクター関連の描写で「?」となることが多いんですよね。ついでに言うと、上で名前を出したクワイエットもなにを考えて行動してたのか、いまいち共感できない女性キャラクターだったんですよね。

フラジャイルのウワサ

そうこうしているあいだにサムもだいぶと目が覚めてきたようです。サッと気持ちを切り替えて、「プレッパーズたちが君の噂を――」とさっさと本題に入ります。しかし覚醒してもフラジャイルの勢いには勝てなかったらしく、言い終わらないうちに「『彼女はテロリストの仲間、信用するな』。それとも『あいつもヒッグスの被害者だ』、『あいつこそが英雄だ』かしら?」と、サムが耳にしたウワサを言い当てられて、詰め寄られてしまいます。そんなフラジャイルについて、小説のサムは「はじめて彼女のことを怖いと思った」と印象を述べています。

フラジャイルが口にする最初のウワサ「彼女はテロリストの仲間」は、英語だと“She’s in bed with terrorists”となっています。“in bed with(~と寝床をともにする)”は普通に同盟を結ぶ表現としても使われますが、成り立ちを考えると性的なニュアンスがどうしても残る言い回しです。「アイツはテロリストの女だ」みたいな性差別的な攻撃でありがちな蔑みの表現ですね。父親をなくして女社長として奮闘するフラジャイルの現実的な気苦労がちょっと垣間見えます。

フラジャイルに詰め寄られ、逃げ場を失ったサムはベッドに座り込んでしまいます。あれ、これデジャブだな。フラジャイルは、というか、レア・セドゥさんの演技は、スイッチが入る瞬間がわかりやすいですね。サムに詰め寄ってるときの顔、実際怖いですもんね。

ベッドに座り込んだサムを見下ろして、フラジャイルは「教えて、サム。『アメリカ合衆国』ってなんだったの?」と、壁のブリッジズのマークを指さしながら尋ねます。日本語だと一般的なイメージを語っているように聞こえますが、英語版では「サムにとっての『アメリカ合衆国』(What does “America” mean to you?)」について尋ねているので、彼女の関心はサム個人の考えにあるようです。私が以前に勝手に推測していたサムのアメリカ像は、「母親を自分から奪うもの」でした。だからこそ、サムはアメリカの再建にあまり熱心ではありません。でも、このシーンでもサムはちょっと首を横に振っただけで、めちゃくちゃ静かに聞き手に徹するので、けっきょく心の内はわからないんですよね。

ブリッジズのマークを指して言うのは、マークが北米大陸の形をしているからですけど、その下にある「R-086」もなんか意図があるかな?「86」には英語で「キャンセルする」や「取り除く」、「処分する」などの意味があり、動詞のように使われます。もともとは20世紀前半に、飲食業界のメニューや招かれざる客などに使われていた業界用語らしいです。アメリカがキャンセルされた、アメリカはもうメニューにはない、アメリカ様のご利用お断りみたいなイメージで解釈もできたりして……?

アメリカとはなにか?

アメリカ合衆国について、「私の父の時代は、世界を繋げる『特別な意味を持つ存在』だった。ただの国ではない『自由と希望の象徴』」と語りながら、フラジャイルはサムの横に腰かけます。あれ、これデジャブだな。

アメリカ合衆国って、歴史が比較的浅くて人種のるつぼになっている国だから、もとからバラバラなみんなをまとめるために愛国心をものすごく重視しますよね。逆にそうじゃないとそうそう簡単にみんなをまとめられないからっていう身も蓋もない表現もできますが、ここらへんは日本の「お国のために」とはちょっと違う感覚だと思います。日本の天皇や皇族も、国と国民の統合の象徴みたいな定義になっていますが、アメリカ合衆国の市民をまとめるための愛国心は、それとはまた本質が異なるものだと思います。

日本語版のフラジャイルのセリフは「アメリカが世界を繋げる『特別な意味を持つ存在』だった」という表現になっていますが、英語版は“Way my dad made it sound, we were something special. The glue that held it all together”というふうに、特別なのは我々アメリカ市民であり、アメリカ、ひいてはそのアメリカ市民であるという誇りこそが、我々全員を団結させる接着材だったと述べられています。個人的に、アメリカ市民は特別だ、今こそ愛国心をもって一致団結しようという誇りは、トランプ政権の支持者によく見られた心理だという印象を持っています。彼の政策のイメージも、昔の勢いがあるアメリカ合衆国を意識してアピールしたものだったと記憶しています。今の現実のアメリカ合衆国も、経済の行き詰まりや新型コロナウイルスなどの自然災害、白色人種優位社会が崩壊した多様性重視の文化によって、変化と苦難の時代を迎えているように感じます。

フラジャイルのお父さんは、年代的にまだ特別なアメリカを知っているから、デス・ストランディングが起きたあともそこに希望を感じたんでしょうね。経験からその力を実感できたからこそ、信じて物資を運び続けられたと考えられます。父が信じたアメリカを語るときのフラジャイルの顔は、さきほどとは打って変わって少し誇らしげで嬉しそうです。

ヒッグスとの馴れ初め

その父を失って、フラジャイルはヒッグスと出会います。ここらへんは小説のエルダーが語っていたとおりですね。ヒッグスは「一緒に組んで、この世界の全域をカバーしよう」と言っていたそうです。フラジャイルは父が残した会社を大事にしていましたが、おそらく野心的な事業拡大にまでは興味がなかったんじゃないかなと私は考えています。あったとしても、それは父が夢見た理念を広く実現したいという理由からくる願望だったんじゃないかな。

「一緒に組んで、この世界の全域をカバーしよう」の英訳は“Together, we can run packages from sea to shining sea”です。直訳で「海から輝きの海へ」は、北米大陸を横断するときに大西洋側の海と太平洋側の海を指して、片方の海岸からもう片方の海岸へ大陸を横断することを言い表しています。もともとは詩の表現だったらしいので、具体性より語感が大事だった可能性も考えられますが、本作でこのフレーズを使う場合に個人的にちょっと気になったのが、輝ける海はどっちかってことです。ヒッグスとフラジャイルはどちらかと言うと西海岸側にいたので、目指しているのは東海岸が面する大西洋かなと思ったんですが、一般的にこの表現を聞いたとき、だいたいの人は東海岸から西海岸への移動を連想するらしいので、輝いているのはむしろこの北米大陸でタールの海に沈んでいる西海岸なのかなという気もします。すでにビーチに飲み込まれているヒッグスの庭が輝ける海になるのはなんとも皮肉です。

のちほど読めるようになる『ある男の手記』の続きで、全土に事業展開したがっていたヒッグスの野心がくわしく語られています。これによると、このときのヒッグスはものすごく純粋に、目の前まで迫った脅威を退けるために一生懸命にみんなをまとめようとしていました。西の配送業者のトップになるも、事業の先行きはあまりよろしくなく、さらに自分の能力も衰えが見え始めていたため、そこで事業パートナーとなるフラジャイルとフラジャイル・エクスプレスを見つけます。自分の庭だった西部と、フラジャイルが事業展開していた中部エリアを合わせて、おそらくこの北米大陸で最大規模の配送業者となり、またそればかりか、自分とは比べものにならないフラジャイルの DOOMS(能力者)の力も手に入れて、ヒッグスは今度こそ BT やテロリストたちにも負けない強い組織を作ってみせると意気込んでいました。小説によれば、フラジャイルは自身のビーチを介して荷物を動かしていたので、その恩恵は計り知れなかったはずです。

パートナーの能力は、噂以上だった。DOOMS だということは聞いていたが、破格のレベルだ。ビーチや BT を知覚できるなんてものじゃない。
ビーチを使うことができる。それに比べれば、私の力などゼロに等しい。ネクローシスして BT となった人間の遺体からもらった力だ。たいしたことないし、私にはもう必要ない。
パートナーが私に直接、力をくれるからだ。
これまでの私は、ビーチの気配を感じたり、その光景を見たりすることしかできなかった。だがいまは、ビーチに行くことができる。パートナーのおかげだ。
私とパートナーとで、この世界をひとつにすることができるだろう。ブリッジズのように、かつてのアメリカ合衆国を再建するのではなく、ひとりひとりの自由と意思を守りながら生きていける、新しい世界をこの大陸に作る。

『ある男の手記#8』

さらに東海岸を拠点にするブリッジズは、デス・ストランディングのときにこれっぽっちも頼りにならなかった旧政府の精神的な後継者です。プレッパーズのシェルター出身者であるヒッグスは、ブリッジズが台頭すれば、また甘い言葉で国家の虚像をでっち上げ、個から自由を奪っていくと考えていました。それでなくても、ヒッグスがフラジャイルと組み出したころは、ブリッジズがいよいよ第一次遠征隊を派遣しようとしていた時期で、刺激を受けたテロリストたちの活動が活発化していました。西のテロリスト、東の元政府に好き勝手させないため、対抗できる大きな組織をまとめあげ、個人の自由と意志が尊重される理想の体制を実現してみせるという使命感に彼は燃えていました。もちろん、ただの勢いだけの英雄気取りではなく、そのために取り組まなければならない問題を認識してプレッシャーも感じていましたし、ミイラ取りがミイラになる危険性も皮肉を交えて言葉にできるほど認識していました。ヒッグスのこの時代はサムが前大統領のもと、第一次ブリッジズのメンバーとして活動していた時代と対比できると思います。

サムがポート・ノットシティで見た現在の姿にヒッグスが落ちぶれてしまったのは、単純に挫折からだろうと私は考えています。育ての親から愛を受けられなかった男の子が、危険な外の世界で仕事をこなすうちに信用を得て、やがて大きな組織のトップまで上り詰めます。課題に直面したときに、協力できる同業者を見つけ、業界でも最大手になりました。ヒッグスは逆境にも負けず、苦難を乗り越えて結果を出してきた功労者です。でも、努力し続けたからこそ、苦難を乗り越え続けたその先に希望がないことをうっすらと悟ってしまいました。結果的に彼は、最後まであがくことをやめ、より大きな力を持つ絶滅体に屈することを選びました。自分の手で未来を切り拓くリーダーであることをやめたわけです。このあと向かうピーター・アングレールのシェルターで、ヒッグスはサムが持ってきたピザを食べながら狭いシェルターのなかでサムに対する憎悪を膨らませています。その姿は父が残した呪いどおりであり、これまでのヒッグスが努力で否定してきたシェルターのなかの哀れな男の子に戻ってしまったと考えられます。

私のパートナーの能力がいかにすごくても、私たちの力では、この世界に本当の意味での自由をもたらすことはできない。
荷物を運んで人を繋いでも、人はかつてのように外の世界を巡ることはできない。
時雨は降り、BT が襲い、カイラル雲のせいで、宇宙から隔離されてしまったこの世界は変わらない。いや、変えることはできない。
それが私たちの限界だ。だが、その限界を超える存在に出会えた。
この混乱してもつれあった世界を繋ぎなおし、世界を本来あるべき姿に創り直すことができるかもしれない。
私が手を繋ぐべきは、今のパートナーではない。

『ある男の手記#9』
転機となった1年前

ヒッグスと事業提携してアメリカの夢を再建しようとしていたフラジャイルは、「最初のうちはうまくいってた」と二人の関係の変化を語り出します。「だけど1年前、テロリストの活動が激化しだして、私たちの配送システムを悪用」とのことなので、調子がおかしくなったのは1年前だったようです。

ここで時系列を整理してみます。のちのち読めるようになる『ある男の手記』の情報なども合わせると、ヒッグスとフラジャイルがパートナーになったのは、ブリッジズが第一次遠征隊を派遣しようとしていた時期とだいたい同じらしいので、二人の関係はだいたい3年前から始まっていると考えられます。そこから2年ぐらいは順調に荷物を運べていたようです。

中部地帯で配送を仕切っている組織と手を結ぶことになった。
今の我々の組織では、早晩立ち行かなくなってしまうから、必要なことだった。相手方のリーダーは、DOOMSだ。そいつをパートナーにする。
ブリッジズの遠征隊がついに出発したせいで、ディメンスやテロリストの活動が激しくなってきた。BT やミュールだけでなく、テロ行為も、私たちの仕事を阻むことになった。だから私たち配達人たちもまとまるほうがいい。いずれはこの大陸全域をカバーできるようになろう。
そう話し合って、私たちはひとつの組織になった。
しかし、これは、形や方法の違いはあるけれど、UCA と同じだ。
共通の脅威に対面して、ひとつになる。そのまとまりを維持するために、ルールや規律が必要になる。一人一人が自分で考えなくなり、組織の判断を待つ。何もできなかったかつてのアメリカ、配達依存症でホモ・ゲシュタルトのミュールと同じになる危険もある。
そうならないためにも、私はこの組織を率いていかなければならない。

『ある男の手記#7』

1年前というのは、前回読めるようになった文書で、フラジャイル・エクスプレスを装ったテロリストがノットシティに出入りしていて、彼らが運ぶ荷物に爆弾や武器が紛れ込んでいるというウワサが立っていた時期ですし、民間配送業者からテロリストに転身したヒッグス・モナハンのウワサをハートマンが書き残していた時期とも一致します。

ヒッグスは育ての親である伯父との関係に問題を抱えた少年時代を送り、もみ合いの末に事故で彼の命を奪ってしまってからは、シェルターのそとに出てポーターとして身を立てています。それから西部エリアの配送業者のトップになり、順風満帆な人生を歩んでいましたが、彼の人生はそこで頭打ちになります。ヒッグスはそのころからエジプト文化に感化されて、黄金の仮面を着けるようになります。これは自分に新たなペルソナを与え、アイデンティティーを偽ることで実力以上の能力が得られるようにする儀式みたいな意味合いもあったと思います。

人間は肉体(ハー)と魂(カー)でできている。このふたつが離れると現世では人は死ぬ。だが魂は還る肉体さえあれば蘇る。その肉体を永遠に保存するために、マスクのついた人型の棺桶が作られた。
少し前にみつけた『古代エジプトの叡智』という古い図録には、死とそれを乗り越えるヒントが記されていた。ファラオの黄金のマスクは生前の力と威信を示すために、呪術的な装飾が施されたという。ビーチの出現は、古代エジプトの死生観が正しいことを証明しているに違いない。
ならば、私は自らを生ける棺桶にしよう。この素顔に、ファラオのマスクの装飾を描くのだ。それが、私のこのわずかな力を王の能力にまで引き上げてくれるかもしれない。
私は、今日を境に素顔を捨てる。

『ある男の手記#5』

そうやって自分をある意味偽って、自分の限界を押し上げた先で出会ったのがフラジャイルでした。でも、フラジャイルと安定した協力関係を結んでも、その先に自分が望む未来を見つけられなかったヒッグスは、もっと強大な力を持つアメリを見つけたことをきっかけに、自分が手をつなぐべきだったのはフラジャイルではなかったという結論に至ります。

フラジャイルとヒッグスの関係は、基本的に等価交換です。ヒッグスが自分を偽るペルソナを使っていたり、DOOMS の能力面で気後れするところがあったりしたのかもしれませんが、人間関係を維持するものは金銭や労働だけでなく、注がれる愛や得られる社会的名声、個々が不得手としていることをカバーし合う思いやり、ただそばで寄り添うことなど、主観的な価値によって多岐にわたります。父から受け継いだ会社のリソースや、自身の能力を惜しみなく提供していたフラジャイルの様子からして、彼女もヒッグスから同等のなんらかの利益を得られていたと考えられ、両者の関係はバランスがとれていたように見えます。いい関係です。でも、その関係は絶滅体の登場によって崩壊しています。

ヒッグスの心を突き動かしたアメリが、彼の前に登場した時期は、逆算するとヒッグスがテロリストとして活動しだした1年前の少し前と考えられます。似たような時期に、オジサンたちのメール確認回で取りあげたダイハードマンの報告が、アメリと同一の存在であるブリジット・ストランド前大統領に上がっています。

大統領への報告 #1

ちょうどこのころ前大統領は、イゴール大爆発で吹き飛んだセントラル・ノットシティからキャピタル・ノットシティへ内密に移動しています。ブリッジズ本部の機能はほとんどがセントラルに残されましたが、第二次遠征隊の任務にかかわるカイラル通信の研究開発機関と、配送システムの運営拠点は、ほかでもない彼女の指示によってキャピタルに移されています。

大統領への報告 #2

くわえて、ヒッグスの裏切り行為が決定的になった1年前にはカイラル通信の実証実験が成功しています。第二次遠征隊の仕事の要となる Qpid が完成する道筋が見えた時期です。前大統領はダイハードマンに第二次遠征隊の準備を進めさせ、サムのことも捜索させています。

もともとブリッジズ第二次遠征隊にはイゴール先輩が任命され、準備が進められていました。サムがこの任務を急きょ請け負うようになったのは、彼が不慮の対消滅で亡くなってしまったからですが、前々から私はすべて、絶滅体がサムを第二次遠征隊に祭り上げて北米大陸をつなぎ直させるために準備したステージや駒だったんじゃないかと疑っていました。ヒッグスも絶滅体の駒だったのは間違いないと思います。落ちるべくして落ちたダメ男として見ることもできますが、アメリと出会うまでけっこう苦労人であることを考えると、すべて頭のどこかでわかっていて、わかったうえで悪役に徹した側面ももしかしたらあるかなという気がしてきます。自分には北米大陸をつなぎ直せないことを悟ったから、できるサムの踏み台になった的な。けっきょくできないと決めたのも自分ですけどね。

ミドル・ノットシティ

最初にフラジャイル・エクスプレスの配送網を通じてヒッグスがテロ攻撃の標的にしたのは、ミドル・ノットシティでした。前回サムがクラフトマンの道具箱を取りに行った廃墟ですね。その際に使われたのは旧世代の核爆弾でした。

物語も最初のころ、第二次遠征隊になる前にサムがアメリからこの北米大陸の状況について説明を受けたとき、過激派テロリストたちは破壊活動に対消滅も利用すると語られていました。そのためサムがイゴール先輩と運んだ死体にも、テロリストの仕業という嫌疑がかけられていました。でも、中部エリアの破壊活動にいそしむヒッグスには、旧世代の爆弾に対するこだわりが見えます。

核爆弾は質量をエネルギーに変える原理から言うと、対消滅と性質は同じです。ただ、対消滅は人の死が燃料になっています。ヒッグスは偶然命を奪ってしまった父や、配達のために立ち寄ったシェルターで住民の遺体を処理したことで、BT を察知する能力に目覚めています。その能力は西部エリアの民間配送業者でヒッグスがのし上がる武器にもなりました。だからヒッグスは死や BT、ひいてはデス・ストランディングという現象に対して、自分に贈り物を授けた神聖なものとして見たがる傾向を持っています。彼が主導するテロ活動に、その神聖な対消滅が使われないのは、そういった心理があるからかなと思いました。

もうひとつ、なぜ旧世代の爆弾なのかという説明で、配信中に私がもしかしたらと口走っていたのは、METAL GEAR SOLID PEACE WALKER のヒロイン的存在だったパスという少女と関連性があるんじゃないかなという説でした。彼女は一見するとただの女子学生なんですが、実際は小島作品あるあるの筋金入りの諜報員で、最終的にシリーズ次作の METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES で敵対組織に捕まって拷問を受けた末に、体内に爆弾を仕込まれて爆死するという壮絶な最期を遂げています。そう言えば、あとで教えてもらったんですが、彼女が飼っていたペットの名前は「ニューク」だそうですね。パスとフラジャイルは声を担当された声優さんが同じなので、作り手としてはなにか対比するメッセージが込められているのかと考えていました。

パスはけっきょく暴力の被害者として、その一生を終えています。普通の年頃の女の子として楽しい時間も過ごせず、虐げられるだけ虐げられて、最後は人の命を救うために爆弾を腹に抱えたままヘリコプターから身を投げて死んでいきます。被害者のまま死んだ彼女と比較して、フラジャイルは一度地獄を見たあとに、もう一度立ち上がって前へ進むために落とし前をつけようとしています。これが小島監督の女性キャラクターに対する前向きな変化を表していたらいいと、半ば願いながら書いているんですけどね。前から配信で言ったり、記事に書いたりしてきましたが、彼の作品で描かれる女性キャラクターの境遇は、ちょっといきすぎていて恐怖を感じることがあります。

ミドル・ノットシティを吹き飛ばした犯人

フラジャイルは涙ながらに、ミドル・ノットシティに爆弾を運んだのは、ほかでもない自分だとサムに告白します。彼女がどうやって自分が運び手だったことを確信したのかは不明ですが、本人視点でも疑いようのない事実みたいです。ヒッグスから嫌みったらしく告げられたのかな? サムはその涙を見て、彼女の心情を察したようでした。

フラジャイルがこぼれた涙を拭いている。ビーチをジャンプしてきたせいではない。その涙は、身体の反応ではなく、心の作用で流れているのだ。そのことだけは、サムにも確信できた。

小説『デス・ストランディング』

自分が無知だったがために大惨事を引き起こしてしまったと知ったフラジャイルは、途方もない罪悪感を覚え、次の標的だったサウス・ノットシティだけは守ろうと行動を起こしました。サウス・ノットシティはこれから行く都市なので、またそのときに詳しく掘り下げます。

ヒッグスに阻まれたフラジャイル

なんとか爆弾を都市の外に運び出したフラジャイルでしたが、そこでヒッグスに捕まって、「心と体に消えない罰」をつけられました。「時雨(タイム・フォール)が私から今を生きる『時間』を奪った」と言っているので、先ほどサムがのぞき見たしわくちゃな肌のことを指していると考えられます。私はあえて、先ほど述べた手の皮膚がなぜシワシワになるのかという説明から、そのお肌は全身でなにかをつかみとろうとしている表れであるという説を推したいです。

フラジャイルは英語版で“So I did everything in my power to stop South Knot City from getting destroyed”と言っているので、ビーチを経由して移動できる DOOMS の力もフル活用で爆弾の排除にあたったと考えられます。明らかに DOOMS としての力が劣るヒッグスがフラジャイルを出し抜けたのは、アメリのお力添えがあってこそだと私は考えています。アメリはフラジャイルの罰をとめなかったので、手負いのフラジャイルの存在も、サムを第二次遠征隊にする計画にあらかじめ組み込まれていたのかもしれません。フラジャイルは DOOMS のなかでも飛び抜けて能力が高く、人間のなかではアメリに一番近い存在と言えます。それが選ばれた要因じゃないかと考えています。

ところで「消えない罰」の罰って、なにに対する罰なんでしょうね? フラジャイル視点ではミドル・ノットシティの過失によってもたらされた罪悪感が大きいでしょうから、罰という表現になるのはちょっとわかる気がします。ただ、諸悪の根源はこの場合ヒッグスでしょ? なんでフラジャイルが悪いみたいな流れにしたいんでしょうね?

英語版ではフラジャイルが“He took his pound of flesh and then some”と言っています。“pound of flesh”は1ポンドの肉のことで、ウィリアム・シェイクスピアの『ベニスの商人』で、航行中の船に財産を置いてきたアントニオが必要に迫られ、高利貸しのシャイロックから、返済できない場合は自分の肉を1ポンド渡すという条件でお金を借りるエピソードにちなんだ表現です。アントニオと違ってフラジャイルは肌の時間を失ったわけですが、それが借金の形なら、もともとフラジャイルにはどんな借りがあったんでしょうね? ちなみに、シャイロックはけっきょく周囲の人物が機転を利かせたことでアントニオの肉を切れず、逆に罪に問われたシャイロックも残酷な処刑を温情で回避できて、大団円を迎えます。ハッピーエンドだった同作に比べて、フラジャイルはしっかり1ポンド以上の肉に相当する体の一部を奪われています。

個人的に、フラジャイルに対する仕打ちがなぜこうあるべきだったのかという理由がいまいちよくわかりません。フラジャイルとヒッグスの関係が一見良好でも、2年も一緒に仕事をしていれば、それぞれの視点では相手にムカつくこともあったでしょう。仮にフラジャイルがヒッグスの前で、今からは想像もできないようなどうしようもないクソ女だったとしても、こういう仕打ちを喜々としてするもんでしょうか? 時雨は現実にありませんが、やるとしたら死なない程度にムカつく相手の全身に酸を浴びせたりするような感覚でしょうかね? 真っ当な人間は、ムカついてなにか復讐を考えてみても、まずそこまで実行に移せないと思うんですよね。しかも、あとで見られるムービーでわかりますが、ヒッグスは笑顔でそれをやっているんですよね。なぜそういう心理に走る人がいるのかを研究するテーマは大事でしょうけど、人としては、この狂気は理解できるとダメな域だなと私は感じました。

これまでヒッグス側の視点でも時系列を整理してきましたが、アメリと出会ってテロリストに転けるまで、わりとまともな人間をしていたように見えるんですよね。幼少期は育ての親と良好な関係を築けず、不遇だったと言えますが、その後自分の努力で出世して、周りからも一目置かれる存在になっているので、努力できる点やちゃんと社会に出て結果を出せる点で、そこまで人としての根本、社交性とか人間性も腐っているようには見えません。現実でも騒音問題とかで、一見おとなしそうな人が隣人を殺す事件がたまにありますが、そこまでの凶行に出るのはごく一部の人間だけです。たいていは引っ越しなどで自分のほうから距離をとろうとしたり、だれかにグチを聞いてもらったり、ストレス発散法をほかに見つけて対処しようとします。ところが彼がフラジャイルにしたことは、もともとから猟奇的な性質を持っていたと仮定しないと不自然なほど狂気に満ちています。なんか振れ幅が極端すぎて、ヒッグスの人物像が逆に不自然に感じられるんですよね。

人間って、根底は醜い生き物だから、追い詰められるとなにをしでかすかわからないっていう考えもわからなくはないんですよ。ただ通常、心理的に言えば、悪者になることってかなり社会的な報酬がないので、たいていの人って本能的になりたがらないんですよね。むしろ、METAL GEAR SOLID PEACE WALKER のヒューイみたいなちょっと歪んだ人間のほうが、その不利益をよくわかっているので、露骨に避けたがる傾向があります。現実の世論でも、ニュースのコメント欄でも、大多数の人が思い思いの正義の側に立って、間違っていると思うものを正論で叩くのが好きじゃないですか。METAL GEAR SOLID シリーズも敵味方どっちも近代兵器持ち出してバチバチやりあっているけど、あくまで作品のテーマとして「争いをやめよう」っていう正義を振りかざしているから、戦争ごっこに興じながらも、なんでも無理やり力で解決しようとするお前ら雑魚とは違うぜっていう言い訳で小さな肯定感が得られるところがあったと思うんです。

で、ちょっと気になったのが、すでに何回か書いてますが、小島監督の作品は全体を通して、こういういきすぎた暴力描写が多いんですよね。既出のパスなんて、とくに顕著な例だったと思います。監督、ちょっとこういう反社会性パーソナリティ障害みたいな性質持ってないですかね? これ以上やると異常だなっていうボーダーが作り手に欠落しているから、ああいう作品のキャラクターが生まれるんじゃないかという疑念が頭に浮かんだんですよね。しかもヒッグスだけなら、あるいはパスだけなら、なんとなく物語の構成やインパクト、リアリティを考えて配置されたキャラクターかなと流せるんですけど、小島作品を振り返ると、程度の大小はあれど、今回だけじゃないよねっていう印象に行き着くんですよね。とくに暴力や女性の描写にかんしては、病質的ななにかを持ってそうな印象を受けます。

一時期、飲食店のアルバイトが食べ物で悪ふざけした動画とかが広まって、立て続けに炎上していたことがありました。あれって、動画の行為そのものがダメだという点以外に、自ら SNS に投稿したりして、それ自体がたいして悪いことだと思っていない問題もあると思うんですよね。自分の行為が周りの人の目にどう映って、どういう扱いを受けるか、自分の感覚が周りとどれくらい違うのかを自覚できていないっていうか。小島監督の傾向も、暴力が好き、苦しむ女性を見るのが好きな程度なら、そういう人間も少なからずいるだろうし、仮にそういう嗜好だったとしても、うまくプライベートで欲求を発散して、社会的な節度を意識できるならまったく問題ないと思うんです。例えばハードコア SM なんて、わりとそういう欲求を満たすための趣味だし、映画『シン・ゴジラ』の考察で目にして納得したんですけど、怪獣が人間から総攻撃を受けてズタボロに傷つくのが好きなのは、暴力的なエロスの欲求が昇華されるからだという見方もあって、わりと日常生活のいろんなところで、ちょっと世間にはおおっぴらにはできない屈折した趣味の欲求を発散するポイントはあると思うんです。ただ、こうやって趣味大爆発の作品を、自覚している様子もなく発表し続けているあたり、どうも自分の感覚が病質的で、一部の人間には恐怖、あるいは不快に映るっていうのを自覚していない可能性があるかなと思ったんですよね。そこが余計に怖いと感じるポイントなんです。

METAL GEAR シリーズからこの DEATH STRANDING まで、女性キャラクターをどんどん順番に思い浮かべてみます。さっきから書いているみたいに、悲壮な死を迎えるキャラクターが数え切れないぐらいたくさんいるよね、メイ・リンやローズマリーみたいな、男性キャラクターをサポートしてナンボみたいな立ち位置の女性も少なくないよね、とくにローズマリーは雷電が死ぬと一緒に死ぬ設定になってるよね、死ぬ女と同じぐらい恋する女もバカみたいに多いよね、モデル、スケーター、アイドルみたいな、性的な魅力と切り離せない職業に就いていた美人も多いよね、ザ・ボスとかオルガ・ゴルルコビッチみたいな強い母親像も印象的だよね、と整理していくと、驚くほどレパートリーが少ないことに気づきます。両性愛者のストレンジラブにさえ、小島監督は夫をあてがい、母の属性を与えています。女、妻、母、たいてい男性が男性視点で描く男社会の物語にありがちな添え物であって、女性の実態や心理みたいなものにはまったく興味がないんだろうなというのがうっすら見えてきます。

とくに母は、おそらく彼が一番重視している属性で、DEATH STRANDING でも重要なテーマのひとつになっていると見ています。思春期に父を失い、シングルマザー家庭で育った彼は、KONAMI を退社してから本作を仕上げるまでのあいだに母親を亡くしていて、病床の母に心配をかけたくなかったので独立した報告はしていなかったとインタビューで語っています。なので基本は性的対象としての女、それも連れているだけで男が上がるようなトロフィーワイフ系の美女と、男社会で成り上がれるだけの力を持った母親の2種類が小島作品あるあるの女性キャラクターのタイプだと私は分析しています。彼女たちは男性が妄想する都合のいい象徴でしかありません。リアリティという観点から言うと、ものすごく薄っぺらく、私は共感するのが難しいと感じました。

例えば、敵対関係から始まるクワイエットは、戦っているうちに勝手に主人公に一目置くようになり、勝手についてくるようになります。以後は一緒に戦い続けていれば、とくに特殊な掛け合いなどないのに、一緒にシャワーを浴びたり、性的関係を匂わすような親密な行動をしたりするようになります。男女の掛け合いのようなものがまったくなく、黙ってオレについてこい的な背中で語る態度で勝手に女がついてきて、ハードボイルドな映画のようにイケてる女に好かれるイケてるオレになれるようになっているわけです。今回の DEATH STRANDING でも同じです。気がつけばみんなが、絶対的な力を持っている絶滅体のアメリや、サム以上の DOOMS であるフラジャイルが、「あなたにしかできないの」と切羽詰まった様子でお願いしてきます。努力はしたくないけど、女にはチヤホヤされたいとか、女は面倒くさくて理解したくないけど、モテる男にはなりたいとか、人並みの社会的なステータスはほしいけど、自由でいたいみたいな、現実で結婚して子供が生まれれば、あっという間に家庭を崩壊させそうな男の甘い幻想が詰まっているように見えるんですよね。

説得力のある自然な男女の掛け合いがいまいち見えないと書いたんですけど、前にもちょっと書いたとおり、今作のヒロインは実質デッドマンだったんじゃないかと私はとらえています。アメリやフラジャイルに比べて、サムと一緒にシャワーを浴びたり、サムが抱きついたり、サムの機嫌の悪さを察知して柔軟に対応したり、明らかに一番それらしい掛け合いが見える人物になっていました。小島監督はプライベートでも男性と仲よくしているイメージを持っています。デッドマンとの親密な描写には最初ちょっと戸惑ったんですが、彼を演じたギレルモ・デル・トロ監督は、小島監督の KONAMI 独立騒動のときにそばでずっと擁護していた人物なので、監督の感謝の気持ちが反映されていると思うと妙に納得できて、ほっこりさえしました。彼以外にも、小島監督はサムを演じたノーマン・リーダスさんや、クリフォード・アンガー役のマッツ・ミケルセンさんらと一緒に収録の合間の休憩中にタバコを吸っていたり、マッツさんに『マッツマックス(MADS MAX)』という作品のアイデアを話したという小話を Twitter に投稿していたり、男性キャストと仲がよさそうな話が出てきます。

インタビューを見ても、いい関係が築けているような印象を受けるんですよね。で、女性キャストはどうかって話なんです。男性キャストに比べて、あんまりなにかを話したとか、どこでなにか一緒にしたとかいう話が出てこないんですよね。とくにレア・セドゥさんとは、プロモーションに参加する契約もなかったのか、絡みはまったく見つけられませんでした。

今作で大事な母親像を演じているリンゼイ・ワーグナーさんなんて、意見交換したら作品の深みが出そうなのにって思うんですよね。ブリジットとアメリも、今作でなにをしたかったのか、いまいち見えてこない女性キャラクターだと思います。私が初見プレイでエンディングを見た感想は、なんか絶大な力を持っていて、壮大なことを考えていて、主人公のサムに異様に執着していて、自分が十分強いのになぜかずっとサムのことを頼ろうとしていて、けっきょくなんかわからんまま自己犠牲で消えていくみたいな終わりかたでした。何回も書くんですけど、小島作品の女性キャラクターってみんなこういうところがあります。なにを考えているのかわからないので、共感できないし、物語のほかの部分がリアルだと、カイラル・アーティストの話みたいに妙に浮いてしまいます。

E3のインタビュー

リンゼイ・ワーグナーさんとの絡みを調べていたら、2018年の E3で開催されたらしいトークショーの映像が出てきました(のちに削除されたようで、現在は視聴できません)。小島監督とリンゼイさんのあいだに、どなたかもう一人座っているな、私の知らない主要開発スタッフのかたかしらと思ったら、通訳のかただったそうです。こんな座りかたあります……?

動画内で小島監督は、通訳を壁にしながら、今作が最後の作品になるかもしれなかったので、憧れだった彼女に重要な役をオファーしたと一方的な憧れを語ります。そこに男性キャストと話していたときのようなフランクさは一切見えません。ものすごくシャイに見えます。憧れの女優を目の前に照れている男の子といった感じです。

けっきょくこういう性格が原因なのかなという結論に私は達しました。小島監督は自分の作品に、思春期の男の子のように憧れの女性を詰め込みます。その心理はリアリティの追求ではなく、理想の追求です。彼女らを特別視しすぎて、距離を詰める方法を知らない、あるいは詰めたがらないタイプなんだと思います。たぶん男性相手に比べて、女性と関係を築くことが不得手だから、作品内でも無意識に避けているんじゃないでしょうか。別に人間関係なんて、多少の傾向に差はあれど、信頼関係を築くポイントはそれほど変わらないと思うんですけどね。

女性キャスト以外でも、小島監督って、そばに有名な女性スタッフいましたっけ? ゲーム業界はとくにですけど、男性がトップに立っている有名作品でも、それを支えているスタッフを見ていくと、特定の分野ではこの人しかいないという女性スタッフがけっこういたりします。有名どころだと、スタジオジブリには宮崎監督でもかなわない保田道世さんという色彩設計のプロがいらっしゃいましたし、『ファイナルファンタジー』だと渋谷員子さんっていう2D ドットで知られる最初期からのスタッフさんがいらっしゃるんですよね。『シン・ゴジラ』の話題を出したので庵野監督の名前も出しておくと、ここ数年の作品の考察には切っても切り離せない奥様の安野モヨコさんの存在がすぐに頭に浮かびます。

数人の小さなチームなら仲がいい者同士で開発しましたっていうんで、同性だけしかいないみたいなこともあるでしょうけど、億単位で予算が動くようなプロジェクトは女性スタッフがいて当然です。そこで熟練の女性スタッフがいないのは、職場としてなんらかの力が働いてふるい落としがおこなわれていると推察したほうがいいと思います。小説を書いた野島一人さん、シナリオライターの村田周陽さん、アートディレクターの新川洋司さん、よくよく名前が出てくる周辺のスタッフさんを思い浮かべても、男性が圧倒的に多いんですよね。この前 Twitter でようやく女性スタッフさん見つけた~と喜んでいたら、Ayako さん、「小島監督秘書」だったんですよね。秘書て……。また大好物の男性を健気に支える女性ポジションねって、思っちゃったんですよね。小島監督の周りって、じつは女性が働きにくいというか、キャリアを築きにくい環境なんじゃないかなという疑問すら湧いてきます。

まあ、女性キャララクターにかんしては、あくまでゲーム作品なので、夢を見られる幻想の女性像でもいいと思うんですよ。でもそうすると逆に気になってくるのが、暴力描写のリアリティです。ここだけ引き続き「縄」じゃなくて、ものすごい絵に描いたような「棒」がねじ込まれているんですよね。彼女たちに対する暴力にかんしては、小島監督はものすごく生々しく描こうとする執着を見せます。上述のパスの爆死シーンでは、爆弾を取り出すために麻酔なしで開腹手術される様子を描き、内臓や血が飛び出る描写のほか、体の一部が壊死しているというアイデアまで出していたという話です。ローズマリーが男と一緒に道連れになる運命にあるのは上で述べましたが、ストレンジラブは夫に密室に閉じ込められて殺されていますし、パスもクワイエットも性暴力を受ける描写があるほか、今作のフラジャイルは上述のとおり皮膚だけダメにして半殺し、アメリは一人で人類が滅びるのを永遠に見つめ続ける孤独、ママーは生き埋めのまま出産して死産と、彼女たちに振るわれる暴力、そして彼女たちが味わう恐怖の種類は非常にレパートリーに富んでいます。兵士として戦死する、戦うなかで身体的な障がいを負う、拷問を受けてトラウマを持つ、性的暴力を受ける、こういったことは戦争に身を置く女性たちのリアリティを描くうえで必要かもしれません。ただ、描写にこだわる姿勢を見ていくと、本当に戦争で傷つく女性のリアリティを描きたいなら、統計を調べてもっと実態を把握しようとしたり、被害者の体験談から女性心理を調べようとしたりもするんじゃないかなと思うんですよね。作品の世界観に必要だからというより、小島監督にその暴力に対する興味があるからこだわっているんじゃないかと疑わずにはいられないクオリティのバラツキが見られます。パスのような過激な描写は、戦争の残酷さを描くために必要だったというなら、第三者に語らせるとか、なんとでもごまかしてそういうことがあったと描写する方法もあったはずなんですよね。あえて直接生々しく描写したのは、そこに監督がエロさを感じる性癖持ちだったからではないかと私は疑っています。そうだとしたら恐ろしいし、それが病的だと認識していないとしたら、もっと恐ろしいことだと思います。

実際、女性への暴力で性的興奮や満足感を覚える男性はそんなに少なくないらしいです。ただし、少なくないからと言って、それが普通として許容されるべきという話ではありません。世界のほとんどの国で30~60%の女性が家庭内暴力や性暴力の問題に直面していると言われています。男性からの暴力は、今の日本のような今すぐ戦争に巻き込まれるリスクが低い国の女性にとって、戦争とは比較にならないほど身近な脅威です。

Gender violence is one of the world’s most common human rights abuses. Women worldwide ages 15 through 44 are more likely to die or be maimed because of male violence than because of cancer, malaria, war and traffic accidents combined. The World Health Organization has found that domestic and sexual violence affects 30 to 60 percent of women in most countries.
(ジェンダーに基づく暴力は、世界的に広く見られる人権侵害のひとつです。世界中の15~44歳の女性が亡くなったり、身体的障害を負ったりする確率は、がん、マラリア、戦争、交通事故によるものを合算しても、男性からの暴力によるもののほうが高くなっています。世界保健機関によると、家庭内暴力と性的暴力の問題に影響を受けている女性は、ほとんどの国で30~60%にも上ります。)

Nicholas Kristof, Is Delhi So Different From Steubenville?

世界的に見ても、犯罪統計を調べると女性より男性のほうが犯罪を起こす傾向が強いことがわかります。もちろん大きな分母で絶対なんて言うつもりはありませんが、一般的な傾向として、暴力は男性的な特徴のひとつとしてよく挙げられます。

別に男に意地悪したいわけじゃない。ただ、概して女性は男性にくらべて驚くほど暴力性が少ないことに気づきさえすれば、暴力が一体どこから来るのか、それについて私たちに何ができるのか、もっと生産的に理論化できると思うだけだ。米国の場合、簡単に銃が手に入るということも大きな問題だが、だれにでも銃が手に入るにもかかわらず、殺人犯の90%は男性なのだ。

あまり触れられないことだが、アメリカ合衆国でこの30年で起きた62件の銃乱射事件のうち、女性が犯人だったのはたった1件しかない。というのも、「孤独なガンマン」と言われてみなが思い浮かべるのは孤独な人物と拳銃のことであって、だれもがそれが男性であることについては話題にしないからだ。ついでに言うと、銃で射殺される女性のうち実に三分の二は、パートナーか元パートナーの手にかかって亡くなっている。

レベッカ・ソルニット, 『説教したがる男たち』

死者35人、負傷者33人という大惨事になった「京都アニメーション放火事件」の容疑者は41歳の男だ。5月に起きた川崎のスクールバス殺傷事件の犯人は51歳の男、大阪で6月に起きた警官拳銃強奪事件の犯人は33歳の男、8月に横浜の路上で起きた通り魔事件の犯人は46歳の男だ。ちなみに、川崎の事件の4日後に起きた農水省元事務次官長男刺殺事件の被害者も44歳の男だった。

今年(2019年)に入って立てつづけに社会を震撼させたこれらの事件には明らかな共通点がある。事件を起こしたのが中年の男であることと、犯人たちが無職かそれに近い境遇にあり「孤立」していたことだ。これは、女性と交際していた形跡がないということでもある。

橘 玲, https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66819

男性が暴力的になりやすい原因をあえて掘り下げていくと、男性ホルモンのテストステロンが大きく作用しているという説がよく出てきます。このホルモンが分泌されると、ラットは暴力的になり、人間では自分の社会的地位を重視するようになるという研究があります。人間は子供の出産と育児にかかる女性の負担が大きく、女性が慎重になることで生殖行動では男女で需要の偏りが生じます。男性は生物学的な魅力のほかに経済力や社会的地位など、リソースを自分の子の母親に提供できることが、遺伝子を残せるかどうかに大きく影響してきます。自然界では、モテないオスは遺伝子を残せず消えていきます。メスを多く確保できるかどうかは、オスが自分の人生に価値を見出すうえで重要な要素になっています。人間は知能があるので、かならずしもそうとは限らないと思いますが、たぶんこういう本能に振り回される男性がまだまだ少なくないんだと思います。

メスを確保できないオス、メスに逃げられそうなオスはどうするのかという問いの答えが暴力です。こういう男性はなぜオレだけがという不平等感に苦しんでいて、振り回されることに疲れています。自分で状況をコントロールしたい欲求を持っています。支配できる感覚は、群れのほかのオスを蹴落として、自分のそばにメスを自由に置ける実感に近い充足感をもたらします。アメリカ合衆国では妊婦の死亡原因の上位に配偶者からの暴力があがっています。暴力的な夫のもとから逃げた妻が殴り殺される事件は世界のあちこちで起きています。イギリスのロンドンでは性的暴行を受けた女性の遺体が公園で見つかって、犯人が現役の警察官だったことから「女性が襲われるのは女性のせいじゃない」と訴える社会的な運動が広がっています。

2019年3月からの1年間で、イギリスでは207人の女性が殺害された。殺人事件の5件に1件の割合、被害者が女性だったことになる。前年は241人で、過去10年間で最多だった。

男性が女性に振るう暴力を調査する民間団体「女性殺人統計」によると、2018年までの10年間でイギリス全体で1425人の女性が殺害された。およそ3日に1人が殺されている計算になる。

イングランドとウェールズのみの統計では、過去10年間に殺人被害者になった男性は4493人、女性は2075人。

殺人犯の9割以上は男性だった。

英国家統計局(ONS)によると、女性被害者の約57%は知人に殺害されていた。犯人の多くは伴侶や元伴侶だった。これに対して、知人に殺害された男性は全体の39%だった。

知人ではない相手に殺害されたか、容疑者が特定されていない女性被害者は13%、男性は30%だった。

女性の70%以上が自宅で殺害されており、これは男性被害者の倍になる。

性暴力については、2017年のONS統計によると、1回以上性暴力の被害を受けたことのある女性は推定340万人。これには強姦や強姦未遂の被害者100万人が含まれる。性暴力を受けたことのある男性は、約65万人だった。

性的いやがらせについては政府統計がないものの、国連女性機関のために調査団体YouGovが実施した最新の世論調査では、7割の女性が公の場で何らかの性的嫌がらせを経験したと回答した。若い女性になるとこれは9割に上った。半数以上が性的な冷やかしや罵声を浴びせられ、4割が同意なく体を触られ、3割が後をつけられ、2割が性器を見せ付けられる被害に遭っているという。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-56390358

日本でも最近、女性に交際を断られた男性が女性の自宅に刃物を持って殴り込んで家族を殺す事件が発生しています。暴力とそれによってもたらされる恐怖は、彼らにとって、どうしようもない生殖の問題をコントロールできる唯一の術なんだと思います。

つまり、別の言い方をすればこの男は、自分が選んだ被害者にはいかなる権利も自由も存在せず、自分だけが相手をコントロールし、罰する権利を持つような状況を作り出した、ということだ。ここで思い出されるのは、暴力とは何よりもまず、独裁主義のようなものだということだ。その前提はこうだ――私には、お前をコントロールする権利がある。

この独裁主義のもっとも極端なヴァージョンが、殺人だ。殺人者は、あなたが生きるか死ぬかの決定権は自分にあると主張する。だれかをコントロールするための究極的な手段だ。

……

欲望を抱えて女に近づく男は、同時にその欲望がはねつけられるかもしれない可能性を思って、あらかじめキレている。怒りと欲望はセットになっていて、それが複雑に絡み合ってつねにエロスをタナトスに、愛を死に変貌させる。ときに死は現実のものとなる。

レベッカ・ソルニット, 『説教したがる男たち』

小島監督が描く女性への暴力で、被害者になっている女性キャラクターは、性的な魅力が特長になっていることも少なくありません。上で述べたパスは、女子学生のアイドルのような存在で、実際に小島監督自身が恋愛シミュレーションゲームの『ラブプラス』に出してほしいと語っていたようなポジションの女性キャラクターでした。METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES では、主人公が助けに行く囚われの姫のような存在だとインタビューで語っていました。助けに行った姫が生々しい外科手術のあとに爆死するという発想は、普通の人ではなかなか出てこないと思います。そこになにか物語上の必要性が感じられればよかったんですが、私は感じられませんでした。だから表層的なただの性欲の発露ではないのかという疑いになってしまいます。

猟奇的な男性が女性を狙って執拗に体を刃物で刺すという行為は、犯罪心理学では性行為の代替行為だと見られることがあります。女性の性器に自分の性器を突きさす感覚に似ていて、かつ相手を恐怖で支配できる快感が得られるとされています。男性の性欲は、周期的な女性のそれと違って、性器にため込んだ精子の量に左右されます。生殖パートナーと安定した関係を築けている男性は、そもそも犯罪のような社会的リスクを冒して性欲を発散させる必要に駆られていません。でも、性的に不能、あるいは社会的立場から満足に女性との接点が得られなかった男性は、なんとかして相手を見つけなければいけません。そこにまともな社交性はなく、たいていは追い詰められた者特有の怒りがセットになっています。

こう考えていくと、以前にヒッグスとフラジャイルは男女の関係になっていた可能性もあるかなと書いていたんですが、ヒッグスの変貌ぶりからすると、ヒッグスにその気があってもフラジャイルが拒んでいた可能性のほうがありそうかなという気がしてきました。その鬱憤が、サウス・ノットシティでの爆破テロ妨害で爆発してあの処刑になったと考えると説得力があります。ただ、そうすると身持ちが堅いフラジャイルが今回サムの寝室でシャワーを浴びる愚行に出ている説明にはなりません。やっぱりどこかで人物描写にほころびが出ます。小島監督って、人間関係の構築、じつは苦手なのかな?

性欲の対象としての女性キャラクター以外では、母親が小島作品で重要なポジションに位置づけられている気がすると書いてきたんですが、それもちょっと歪んで見えます。ザ・ボスもオルガも男社会で通じる強さばかりが強調されて、正直あまり女性らしさみたいな掘り下げが感じられませんでした。そのくせ、子供を思う母性だけはしっかり描かれています。ブリジッド・バルドー並みのセックスシンボルは登場させるのに、彼女のようにうまく母親になれなかった女性は登場させない矛盾があります。出産は今のところ女性にしかできないことなので、女性キャラクターを出さざるを得ないんでしょう。でも女社会の競争心理に興味はないので、男性側の土俵に出て勝負できる女しかいらないというような自己中心的な視点もあるように感じます。いわゆる、男の子が自分の母親だったらいいなと思うような、誇れる母親像のイメージが優先して採用されているんだと思います。METAL GEAR SOLID は戦争モノだったので、実力主義の淘汰でそうなるのはまだわかりますが、DEATH STRANDING はまたちょっと違うと考えています。とくに開発途中で監督の実母が亡くなったエピソードがあります。監督が親とどんな関係を築いていたのかまではわかりませんが、親しい人間がなくなったときは、あのときあの人はなにを考えてあんなことをしたのかなとか、どういう考えで自分に接していたのかなと考えをめぐらせるものだと思います。シングルマザーだったなら、きっといろいろ苦労されたことだと思います。心配させたくなかったから独立したことを伝えられなかったというような健全な関係だったなら、母親がなにを望んでいたのかといったことに考えをめぐらせるものだと私は思うんですよね。自分を育てるために、あれを我慢したのかなとか、再婚を考えたことはあったのかなとか、いろいろあると思います。

サムの実母のリサは、作中すでに脳死状態で、サムを救うために夫に射殺されて捨てられています。サムの養母のブリジット・ストランドは、アメリカ合衆国をもう一度つなぎ直したいという本人の意志に反して、世界を絶滅させる使命を帯びていて、その使命に絡んだお願い事をサムに押しつけて死んでいきます。分身のような存在のアメリも、やたらとサムにお使いをお願いして、けっきょく最後に北米大陸を救うために自己犠牲を選びます。正直、これが母の死を乗り越えた男の物語か~としみじみ思ったんですよね。なんか男の子が妄想する、自分の母親にはものすごい力を持っていてほしい、そのおかげで自分も生まれながらにして特別な人間でありたい、でも大きな力を抱える女の泣き言には興味がないのであんまり関わりたくない、自分で落とし前をつけて勝手に一人で犠牲になってほしい、オレのために自分の身を犠牲にする女サイコー、女に尽くされるオレ天才、みたいにとらえられる余地があるから怖いんですよね。

アメリは世界の滅亡を一人で見ることに疲れたと言っていました。大切な家族なら、そばに寄り添ってやることが一番のはずなんですよね。寄り添える物語じゃなくて、私たちは離れていてもつながっているし、絶滅の前の進化が肝要なのみたいな理屈をこねて、息子のために消えることを選ばせる物語を作っているんですよね。そもそも母親を義理の姉ぐらいの年代の女性に分裂させる発想も、理由を探ると薄ら気持ち悪く感じられます。そう言えば、METAL GEAR SOLID のオタコンって、義理の母と肉体関係を持っていたし、妹からも言い寄られてましたよね。未成年の子供に対する性的虐待と、義理とは言え兄妹愛って、なんか倫理観の欠如というか、節操がない印象が拭えません。そもそもオタコンに性的虐待をするジュリー・ダンジガー、端から裏切るつもりで雷電に近づいたローズマリー、世界を絶滅させるアメリ、ブリッジ・ベイビーで人体実験していたブリジット、ミドル・ノットシティを吹き飛ばして罰を与えられたフラジャイル、スパイ行為の末に爆死したパス、全体を見ていくと、「女が悪い」というメッセージもチラホラ見え隠れするようで怖いんですよね。あと、オルガにしろ、今作のママーやサムの母親にしろ、子供を母親から取りあげるのも好きじゃないですか? エンディングで息を吹き返した BB-28はサムに保護されるし、オルガの子がオタコンの養女として立派に育てられていたことも合わせると、問題のある女から取りあげられた赤ちゃんが、独り身の男性に引き取られて幸せに育つ流れもできつつあります。クリフォード・アンガーだって、要約すれば父性の物語でしょ? 理想の母親像への執着は見えるのに、母親に対する思いやりが具体的に見えてこないので、独立したことを母親に伝えられなかったのは、母親に心配させたくなかったんじゃなくて、むしろ自分にとって大事な女性の一人である母親に、「この子ダメな男ね」と思われたくなかったからじゃないかなという気もしてくるんですよね。相手がどうこうじゃなくて、だいたい自分がどうこうの自分軸なんです。

じつは母親との関係、あんまりよくなかったんじゃないかな? それはそれで別にいいと思うんですよね。すべての母親が、思いやりに値するほどできた人間じゃないのは当然なので。

話が盛大に逸れまくったので、もとに戻します。別に小島監督のなにかを批判したかったわけじゃなくて、物語を掘り下げていくと、どうしても納得できない不自然な部分が諸々あるという話を詳しく述べておきたかっただけなんです。KONAMI 時代の作品のテーマ「反戦」から発展して、今作は「棒」を振り回すのではなく、「縄」でつながろうというテーマになっています。私は女性に対する暴力の生々しさが相変わらずある点から、「あ、監督、たぶん自分が棒を振り回していること自体に気づいてないタイプかもな」ってちょっと思ったんですよね。この棒が必要悪なのか、作品内の情報だけ集めてもいまいちピンとこなかったので、クリエイター周辺のことを調べてみたら、なんかこれが原因じゃないかなっていう背景がちょっと推察できた気になれたので、私視点で書き出してみました。この話題はカイラル・アーティストが出てきたときにも蒸し返すと思うので、先にフラジャイル関係で考えたことをまとめておきます。エンディングを見て、感動して泣いたって人が何人かいたんですけど、私はそこがよく理解できなくて、逆に詳しくどこが感動ポイントだったのか教えてほしいと今でも思っているんですよね。私は逆に、もっとうまく物語をまとめてくれると期待してエンディングまで行ったので、クリアしてからこの作品の評価がガクンと下がったタイプです。

すべてがウソで、すべてが真実

感情的に身の上話を終えたフラジャイルは、クルッと振り返って、サムが知りたかった結論を「だから私の噂は、どれも本当で、全てが嘘でもある」とまとめてくれます。長い話を挟んでも、最初に投げかけられた本題を忘れない会話上手な女、それがフラジャイル。

思い返せばサムは、物語冒頭に久しぶりに再会した死にかけの養母を前にしてもピンときている様子を見せず、ダイハードマンから「あなたのお母さんですよ~!」と耳打ちされるほどボンヤリした子でした。前回フラジャイルと話したときなんて、「あなたたちに全面協力するからヒッグスの件で協力して」と申し出るフラジャイルに、「納得できない。本当の望みはなんなんだ」と主張し続けていたサムが、いまいち噛み合っていないまま話し合いが終わっていました。うまくおしゃべりできない男、サム。

フラジャイルの望み

さらにフラジャイルは、前回サムが気にしていたとおり、本当の望みはなにか、どんな見返りを求めているのかまで掘り下げて説明してくれます。彼女は「ブリッジズにも『アメリカ再建』にも興味はない。でも、父が命を懸けた配送網をヒッグスやテロ行為には利用させない」と素直に語り、「そのために、あなたに近づいたの」とはっきり説明してくれます。

これでボンヤリしたサムにも、彼女がなにを望んでいて、なにをしている限り彼女のリソースを利用しても文句を言われないのかハッキリ理解できました。できれば一緒に仕事をするなかで、手探りでちょっとずつ相手の好みや考えを理解していければいいんでしょうけど、こうハッキリ宣言しすぎるとちょっと野暮な感じがしますね。

フラジャイルがアメリカ再建みたいな大層なブリッジズの理念には興味がないと言い切るのは、ハートマンやサムと同じです。みんな自分のごく私的な目的を持っていて、利用できるからブリッジズという船に乗っかっているみたいな、利己的なところがあります。大層なことを掲げてても、組織ってこんなもんよねっていうことかな?

METAL GEAR SOLID の話題が上で出たので、ついでに書き残しておくんですが、今作のアメリカ合衆国はすでに滅んでいて、主人公側の中心人物らがわりと「もうどうでもいい」というスタンスをとっているんですよね。フラジャイルもかつて父が夢見た理想については否定までしていませんが、ここのセリフを見るに、それはそれ、これはこれで、これからの時代にそのアメリカのビジョンはもう合わないと割り切っていそうに見えます。これって「らりるれろ!」と関係ありますかね? もっと上のほうでは、AI も人間の代わりにはならないとママーに否定されています。

フラジャイルジャンプ

フラジャイルはサムの返事を待たずに、「いつでも待機している」から「必要なときは呼んで」と声をかけてビーチへ消えていきます。彼女がいなくなったプライベート・ルームは、いつものノーマン・リーダス鑑賞会場に戻っていました。

フラジャイルは自分でなにかしようとせず、自分の代わりに目的を果たしてくれるだれかを探しています。これだけ有利な能力を持っているフラジャイルが、男を頼り続けて自分で行動を起こそうとしないのもちょっと不自然に感じます。父親が大事にしていた会社なんだから、フラジャイル・エクスプレスにも優秀な人材が何人かいたでしょうに、どこ行ったんでしょうね? 中部エリアには非殺傷武器を作れるクラフトマンだっているんだから、それこそビーチ経由で隠密行動するスカルズ部隊みたいなのを作ろうと思えば作れたでしょ。

フラジャイルは話し終えてから姿を消すまでのあいだに「どう? 私を信じる?」と一度サムに尋ねています。でもサムは視線を逸らしてまともに返事をしていません。ムービーをよく見返すと、アメリカについて尋ねられたときと同じように顔を横に振っているようにも見えます。ちょっと顔を引っぱたいてやったほうがいいんじゃないですかね? これだけ相手がコミュニケーションを試みているのに、こんな塩対応しか返せないのは、ちょっと社会性に問題があるように感じます。しかも、サム自身も過去に死体運搬ミッションに失敗して、イゴール大爆発でセントラル・ノットシティを吹き飛ばしているので、彼女の罪悪感が痛いぐらいに理解できるはずなんですよね。でも、男は背中で語るみたいな世界観があるのか、そんな不器用なサムにみんな飽きもせず助けを求め続けます。こういう都合のよさにも違和感を覚えるんですよね。小説では別にサムの返事を求めてる感じじゃなくて、「わかったでしょ。じゃ、またね」みたいなトーンでこのセリフを口にして流れるように去っていくんですが、ムービーでこの演技してるときのレア・セドゥさんのサムに詰め寄る演技を見たら、ちょっとケンカしてるみたいに見えてくるんですよね。この役はレア・セドゥさんがやって本当によかったと思います。小説の描写と読み比べたら、本当にリアルな女性に見えてきますもん。

アメリカ合衆国を背負うサム

フラジャイルが去ったあと、サムは視線を落として少しなにかを考えている素振りを見せますが、相変わらず私にはなにを考えているのかさっぱりわかりません。サムの背後には半分までカイラルネットワークにつながった北米大陸が表示されています。アメリカ合衆国を背負う男、サム。

サムがアメリカ合衆国の重要人物なのはわかるんですけど、なんでなのかよくわかんないんですよね。ブリッジ・ベイビー第一号で、絶滅体のお気に入り、死なない不死身の帰還者なのはわかるんですけど、自分で意欲的にそうなったわけでもなく、周りに推されて気がついたらすごいポジションに立ってて、素質だけでは説明が付かないほどみんながサム推し人間になるので、面倒な仕事押しつけられてるだけでしょ感すらにじみ出ています。そんな境遇ある?

フラジャイルのフィギュア

配信ではパスについて語るのに必死で、一言も触れませんでしたが、テーブルにいつもの緑色のフィギュアが追加されていました。このあとベッド横のディスプレイに移動したんだと思います。ここもだいぶと充実してきましたね。

フラジャイルのフィギュア

傘を差したフラジャイルと、バイクにまたがったサムなので、最初の出会いの再現かな? 不思議とクリプトビオシスのビンと並べるといい感じに見えてきます。

突然遠くを見つめるサム

身支度も終わったし、そろそろプライベート・ルームから出ようと思ったら、いつものボタンがドアのところに表示されなくて、サムが後ろに手をついて、扉のほうを遠くから見つめているような構図になりました。こんなんなったの初めてなんですけど、なんだったんだろ? 変なボタン押したかな? よくあるサムのポーズのひとつだったのかな? それか、ランダムイベントを見逃したのかもしれません。それだったら残念だなぁ。

クリフのフラッシュバック

いつものプライベート・ルームから上がるエレベーター内で、またクリフォード・アンガーの映像が見えました。視点主の BB ポッドを抱えて、銃を片手にどこかから逃げている様子です。物陰に潜んでジッと息を殺しているところで映像は途切れます。

これはいつもの指名なし依頼の消化旅とかでランダムで見られる映像とちょっと違っていたので、ストーリーの進展によって初めて見られるようになる内容だと思います。エンディングまでクリアすると、サムを連れてブリッジ・ベイビーの研究室から逃げようとしている緊迫したシーンであることがわかります。

クリフの映像は、そのときのサムの心理とよく似た状態の彼が見える共通点があるかもしれないと以前から書いていたんですが、この場合なら、サムは武器を手に取ってだれかを守ろうとしていたと考えられます。もしかしたらさっきのフラジャイルに同情して彼女を守ってやろうと思ったってことかなと思いついたんですが、そのわりにはまったく態度に出ていませんでしたね……。

デッドマンの通信

フラッシュバックが終わると、ちょうどタイミングよくデッドマンから通信が入って、そのブリッジ・ベイビーの調査がどんな感じか途中報告を聞けます。残念ながら、成果は依然あまり期待できないようです。

サム、あんたが繋いでくれたおかげでアーカイブが復元されてきている。だが、BB の起源については今のところ記録を見つけられない。BB-28の過去の履歴にもプロテクトがかかってる。少なくとも、それがわかれば、あんたが見ているというフラッシュバックの謎が解けるかもしれない。努力してみるよ。あんたも頑張ってくれ。

デッドマン

BB-28の履歴、ちゃんと見たいですね。相変わらずクリフのフラッシュバックは BB-28の記憶と思われていますが、何度も書くように実際はサムの記憶です。ここもミスリードで進み続けます。そろそろ1周目プレイの記憶が曖昧になってきていて、細かい時系列が思い出せないんですよね。ちょっと新鮮味があるので、これもこれでアリかという気がしてきています。ありがたいことに、最近はゲーム好きなかたからツッコんでいただける機会も増えてきましたしね。

小説ではここ K4南配送センターへ向かう件がないので、サウス・ノットシティへ向かう道中のセーフハウスでクリスの映像を見ているんですが、サム本人は「気持ちのいいものではない。いや、それ以上に、BB の感情にダイレクトにつながったようで、底が抜けたような不安にわしづかみにされている」と語っています。動揺するサムとは反対に、BB-28は「なにごともなかったみたいに目を閉じていた」と書かれているので、ちょっとした伏線になっています。ただ、なんで BB-28がサムにこのフラッシュバックを見せるのか、あるいは本人の意志じゃなくても、なぜ二人がつながることでサムの父親が見えるのかはよくわかりませんよね。ナゾです。

デッドマンとの通信が切れると、「サム、配送端末で依頼を受けてくれ」というダイハードマンの指示が聞こえてくるので、おとなしく端末に向かいます。

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