『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』2周目に向けた個人の感想・妄想・解釈・考察
ネタバレしかない長い記事です。
主人公のイレブンくんがローシュたちに代わってなにかを償っているなら、それは間違いなく、先代勇者ローシュが果たせなかった邪神討伐です。勇者の仕事は選ばれし勇者にしかできません。邪神討伐なしでは勇者ローシュの贖罪は達成できないので、それより前にセニカを送り出す選択肢はないということなんでしょう。私の勝手な解釈ですが、けっきょく人間の魂が成長していないといくら世界の時間を巻き戻しても、世界がひとつに収束する影響で似たような歴史をたどってしまうんじゃないかと思います。だからイレブンくんはローシュたちの軌跡に寄り添い、ローシュたちの過ちを正すことで、彼らが本来の時間軸で自分たちが望んだ結果を引き出せるようにしてあげているのだと私は解釈しています。
イレブンくんがそういう存在だと思う理由は、けっきょくイレブンくんの存在自体に邪神討伐以外の担当らしい担当が見当たらず、当事者感がとても薄い点にあります。冒頭にも書きましたが、主人公がローシュの生まれ変わりっぽくないなと感じるポイントはいくつかあって、その根本的な問題は、イレブンくんが受け身すぎてあんまり自分の仕事やってる感がないってところです。強いて言うなら、やらされて、見せられて、手伝わされている感じで、イレブンくんも愛にあふれた救世主然として、菩薩のように黙って忍耐強く相手に寄り添っているような印象を受けます。主人公はプレイヤーの代理だからって、最初こそ思ってたんですが、たぶん実際にイレブンくんは巻き込まれただけの通りすがりのただの勇者なんじゃないでしょうか?
イレブンくんは地元の村の成人儀式で勇者の力を発揮したことをきっかけに、母親から「お前は勇者の生まれ変わりだからお城に行きなさい」と言われます。お城に行くと「悪魔の子」呼ばわりされて投獄されます。そこで盗賊に出会い、一緒に逃げるうちに今度は勇者を大樹にお連れする使命を負ったという双子に出会い、一緒に大樹を目指すことになります。旅芸人の力を借りて大樹に行くヒントとなるアイテムを探すうちに、祖父である元王様と姉のような存在だったお姫様と出会い、「祖国を滅ぼした魔王こそお前の敵だ」と言われます。そして、魔王を討つための武器を取りに行った大樹で魔王にボコボコにされます。
大樹までは降りかかる火の粉を払いながら、ほとんど言われるまま動いている印象で、その理由は往々にして“勇者だから”です。祖国を滅ぼされたのも赤ちゃんのときの話で、個人的な因縁はそれほど強く感じられません。イレブンくんはイシの村のあたたかい環境でそれなりにきちんと育ったアイデンティティがあり、ある程度人格ができあがってからいきなりどこぞの王子様だと言われても、大きく揺らぐような不安定なキャラには見えないので、祖国云々で思うところはあってもやはりどことなく他人事の域を出ず、まわりの人間のために行動しているような印象が私としては強いんですよね。ユグノアの復讐を考えるなら、むしろイシの村の復讐のほうが比重が大きいのが妥当だと思います。
この大樹のシーンをそれぞれのキャラクターが背負っているローシュ一行の罪と照らし合わせると、けっこういろんな罪が再現されて、贖罪の機会が失われていることがわかります。
のちのちカミュがこのあと記憶喪失になっていることがわかりますが、私の解釈ではこの一連の罪の再現と贖罪機会の損失によるショックが大きいんじゃないかと考えています。大樹のシーンはよく顔を上げて実況役を担っていますが、ウルノーガが勇者の力を奪って暴走を始めてからは表情が一気に映らなくなるので、ここらへんからすでに亡失が始まっているんだと思います。カミュは本人の自覚はともかく、ローシュ一行の問題を作り出した元凶の象徴として、勇者の相棒となって邪神と最後まで戦うことを目標に掲げたキャラの位置づけになっています。目標がなくなったことで呆然としてしまった表現ではないでしょうか? あるいは、ウラノス自身も邪神の誘惑に抗っていたけど、気がついたらやってしまっていたという話をしていたので、その再現なのかもしれません。そして、カミュは仲間と合流したあと、ウラノスとは共通していないものの、カミュ本人の贖罪を果たすなかで自我をやっと取り戻します。
大樹のシーンは背面からの攻撃が二度あるので、二重否定なんだと思います。とくにグレイグのシーンはカメラアングルもローシュの最期と似ています。ウラノスとローシュの関係をデルカダール王とグレイグの父子のような関係に見立てた再現かなと勝手に推測しています。
ここで、じゃあイレブンくんはなにの罪を再現したかという点に注目すると、私はやっぱりそれらしいのを見つけられなかったんですよね。ほかのキャラクターがローシュたちの罪を再現していても、イレブンくんにとっては勇者としての初めての大きな挫折みたいなものなんじゃないでしょうか?
私は逆にイレブンくんがたとえ勇者であっても、ローシュ一行の問題に関しては部外者だったからこそ、このカルマの流れに介入できなかったんじゃないかと考えています。どうやっても、世界がひとつに収束する流れで、彼らの罪は繰り返しなんらかの形で再現されるようになっているんじゃないのかな。
大樹のシーンのあとは、イレブンくんが魔王に負けたことで世界が崩壊し、仲間も散り散りになり、さらに一人はみんなを助けるために亡くなっていたことがのちのち判明します。イレブンくんは苦しい状況でも自分を助けてくれる人たちの温かみに触れ、新しい盾おじさんを加えて仲間を集めながら、自分だけの特別な武器を作り、今度こそみんなのために魔王を倒して平和を取り戻そうとします。
魔王にやられてからやっとイレブンくんの具体的な実害が出て、自分の尻拭いという目的が出てくるんですよね。実際のところ、勇者イレブンの冒険はここまでの魔王討伐による世界平和の実現が目的だったんだと思います。だからこそ、イレブンくんが作った勇者のつるぎはローシュとはまた別の、邪神討伐が念頭に置かれていないああいう剣になると考えれば辻褄が合います。このシナリオはローシュ組4人の問題が全然すっきり片付いていませんが、実害のあるウルノーガは消えましたし、邪神も肉体がないのでしばらく復活できませんし、世界は平和になって復興に向かっているので、ローシュたちと関連のない勇者イレブンの使命は果たされて完結したと考えられます。セニカ救済の筋書きではないので、ロミアもイレブンくんのさじ加減で恋人を待ち続けたり死んだりします。
魔王討伐後も仲間と冒険を続ける場合、イレブンくんは犠牲になった仲間のベロニカを復活させられる方法を見つけます。世界の時間を巻き戻して、魔王にボコボコにされる前からやり直す方法です。その際に、魔王が残した魔王の剣を持っていけます。私はこれがキーポイントなんだと思います。魔王の剣はローシュが作った勇者のつるぎを元ウラノスであるウルノーガが作り替えたものです。つまり当事者の剣です。だからこそイレブンくんは部外者として当事者の力を振るい、ローシュ一行のカルマに介入できたんだと思います。この剣は過去に戻ってすぐピンチを脱する役に立ったあと壊れてなくなってしまいますが、魔王誕生の阻止に役立ち、イレブンくんは魔王になる前の魔道士ウルノーガを討伐できます。そして、その代わりに、魔王にやられるはずだった邪神が復活します。
時をさかのぼるイレブンくんの動機は、みんなのために死んでしまった仲間を蘇らせることと、壊滅的な状態まで追いやられた世界を、もう少しいい状態にとどめられるようにウルノーガを倒し直すことだったととらえています。復活した邪神は世界平和のために“勇者だから”倒すべき存在で、魔王以上に個人的な因縁はなかったはずです。時間が巻き戻ることで勇者イレブンが自発的に倒そうとした魔王討伐のエピソードは上書きされてなくなり、最終的にイレブンくんは時をさかのぼるという決断以外、終始“勇者だから”みんなのために行動することを選ぶことになります。
邪神に勝つとイレブンくんはしばらく考え込んで、先代勇者ローシュの恋人だった女性を過去に送り出すと勝手に決めてしまいます。このイレブンくんの決断はプレイヤーが干渉できず、勝手に決まってエンディングになります。過去に戻る決断すら「はい」と「いいえ」の選択肢があるので、ある意味これこそイレブンくん自身の意志ということになります。
「オレたちはもう一度お前と旅をするからな!」は感動的なシーンですけど、いろいろ考えると、ローシュの話を切り離すか、主人公がローシュの生まれ変わりじゃないと複雑な気分になる場面だと思います。主人公がローシュなら前世の尻拭いをみんなでする形になって感動的ですが、主人公が通りすがりのただの勇者だと、向こうの都合で付き合いが生まれているわけで、「そりゃそう言うよね」ぐらいの感想しか出てこなくなります。全員が正確な生まれ変わりではないので彼らに罪はありませんが、イレブンくんにしてみれば“なんのために冒険をしているのか”という疑問を持った時点で負け状態です。持たないイレブンくんがある意味神であり救世主なんですけどね。私はここらへんのところでも、おじいちゃんがローシュ説をはっきりさせられる根拠を2周目で探したいと思っています。
イレブンくんがただの通りすがりの使い捨て勇者だった説は、おじいちゃんがローシュだと仮定するといろいろ話がつながると思うんですよね。聖地ラムダの壁画を見ると、ローシュを産んだ聖母がちょっとエレノア・マッマに似た雰囲気をしています。勇者を産める女はそうそういないはずですので、ほとんど大樹に等しい祝福を受けた存在で、魂は同一でも不思議はないと思います。
この勇者を産める聖女、あるいは大樹自身が、味方に裏切られてほかの人間に生まれ変わっている我が子ローシュの魂のために、ニズゼルファ復活の機が熟したときを見計らって別の勇者を産んで助けてやろうと、今度は娘として生まれ変わってきたということは考えられませんか? そうやって調達されたローシュ救出用の臨時勇者がイレブンくんだったというオチです。四大国会議の内容では、アーウィン・パッパの勢いで勇者の光が闇を生むわけではないという結論に達しましたが、けっきょく勇者と邪神はどっちがニワトリでどっちが卵かわからない状態のまま決着はついていないと思います。ローシュの復活が第一目的なら、ニズゼルファさえこの復活劇に利用された可能性もあります。
こういうふうに考えると、人食い火竜のイベントを当てはめやすくなります。このイベントを最初やったときは、母の愛が目に見えて明らかなテーマだったので、「エレノア・マッマの話かな?」なんて適当に考えて、あんまり気にしていませんでした。でもこれ、マッマよりローシュ母子に置き換えたほうが話が通じませんか?
母がどれほどそなたに会いたかったか。幾千の孤独と苦しみの夜を耐えながら、必ず帰ってくると信じて待っていたよ……。
ヒノノギ火山には人食い火竜というモンスターがいて、麓のホムラの里にたびたび被害をもたらしていました。里のリーダーである巫女のヤヤクは、息子のハリマと一緒に火竜討伐に出かけます。しかし、ハリマがトドメを刺そうとしたとき、火竜の呪いの瘴気を浴びてしまい、無事に火竜は倒せたものの、今度はハリマの体が火竜と化す問題が発生します。ヤヤクはハリマが死んだことにして里に匿まい続けますが、症状が悪化して隠しきれなくなり、ヒノノギ火山へ戻さざるを得なくなりました。なんとか呪いを解く「やたの鏡」を見つけ出しますが、本来の機能を損なっているようでうまく効きません。そのため、息子の腹を満たす時間稼ぎに、許されないことと承知の上で、里から生け贄を出すことを決意します。
時のオーブを割る前の魔王討伐シナリオでは、生け贄に選ばれた女性の子供たちが妨害行為に奮闘したため、飢えに耐えられずに先に里を襲った火竜にヤヤクが食べられてしまいます。主人公たちが火竜を倒すと、弱体化したことでやたの鏡が機能するようになり、ハリマが少しのあいだだけもとの人間に戻ります。自分が母を食べたことを知らないハリマは「これで里は安全だから、母上に幸せにと伝えてくれ」というような母を気遣うメッセージを残してこの世を去ります。
時のオーブを割った邪神討伐シナリオでは、まだ生け贄を出すほど状況が悪化しておらず、ヤヤクから鏡の本来の機能を取り戻す「ラーのしずく」というアイテムの情報を教えてもらえます。このアイテムをヤヤクにわたすとハリマの呪いが解け、ヒノノギ火山の火竜の呪いを断ち切ることができる上に、母子が感動の再会を果たします。
私の解釈では、火竜の呪いはウラノスの裏切りに端を発するローシュたちのカルマの呪いです。おそらく火竜がウルノーガで、ハリマがローシュです。そういう意味で二人のカルマは表裏一体なんです。火竜の呪いはずっと受け継がれてきた、つまり前の火竜ももとは瘴気を浴びた人間で、人から人へ引き継がれていたという示唆が作中にあったはずです。おじいちゃんはもしかしたらこれまでもローシュから転生を繰り返して、勇者としての意識を取り戻せず、大切なものを奪われ続ける無力な人間の苦しみをずっと繰り返し味わってきたのかもしれません。暴走したウラノスである魔道士ウルノーガが長いあいだなにをしていたかわかりませんが、もしかしたら水面下でウルノーガが暗躍するたびにずっとローシュの転生体が被害を被るカルマの鎖が今までも続いていた可能性だってあるかもしれません。
ローシュの母親はヤヤクのように修羅の道を行くことになっても息子を助け、もう一度勇者としての使命を果たせるようにしてあげたかったので、息子が贖罪を果たしてふたたび過去に戻ってこれる方法を考えたのではないでしょうか? 私の読みでは、やたの鏡はイレブンくんの勇者の力で、ラーのしずくは魔王の剣および勇者のつるぎ・真です。生け贄がイレブンくんと仲間が送るはずだった本来の人生を指すことだって考えられます。実際、生け贄に選ばれた女性はペルラ・マッマに似たふくよかな体型のシングルマザーで、髪型もペルラ・マッマの帽子で確認できない部分はあるものの、見える範囲は共通しています。赤毛がルビス関係者を示唆している可能性もあります。子供は歴史的にも生け贄になりやすい傾向がありますが、ゲームで子供に対する暴力表現は御法度なので、代わりに母親が対象になることで大義のために引き裂かれた家族を表現しているのかもしれません。
本当は邪神が復活するタイミングでもう一人勇者を用意すれば、その勇者が邪神を倒す道中で息子の贖罪がかない、時間を巻き戻すことができると考えていたのかもしれません。ところが、イレブンくんは一連の事件の部外者であるために、世界がもとの形に収束する影響を受け、ローシュ一行の件をきれいに避けて世界平和を実現するルートをたどってしまいました。やたの鏡である勇者の力がうまく機能しなかったせいで、勇者ローシュの親である大樹は奮闘むなしく息子のために途中で滅びることになります。大樹がヤヤクと違ってよみがえるのは、イレブンくんが勇者の力をもって世界平和を願ったためと考えられます。呪いのアキレス腱であったウルノーガが死んだのでカルマの鎖は断ち切られますが、息子は帰ってきませんし、息子を大切に思う人たちも取り残されてしまいます。世界は絶望的な状態で、(大樹や)勇者というリーダーをなくした民衆は混乱に陥り、なんとか自分たちでやっていかなければという希望を持つところからもう一度一歩ずつ歩き始めなければなりません。
時のオーブを割ってイレブンくんが過去を変えると、ハリマはまだ手遅れな状態にはなっていません。大樹で起こるローシュたちの贖罪機会の損失が回避できたため、ローシュにはまだ勇者に戻るチャンスがあるということだと思います。ヤヤクとハリマはとくに自分たちがなにもしなくても、必要なラーのしずくを持ってきてくれる親切な見知らぬ旅人に恵まれ、息子は蘇り、母も身を滅ぼすことなく事件を解決することができます。リーダーを失った里が混乱に陥ることもありません。
やたの鏡がその機能を発揮するとき、光を放って呪いを解く対象を包み込む演出になっています。どことなく、一番最後の時のオーブが割れたときに漏れ出す光に似ていると感じました。あのオーブを割った瞬間に、先代勇者の呪いに巻き込まれていたイレブンくんと仲間たちもまた、その鎖から解放されたのではないでしょうか? あのシーンを見返すと、仲間のなかでおじいちゃんが一番光に照らされて白飛びしています。そして光を浴びたあと、落ちる勇者のつるぎを恍惚と見つめてからは、描写が一気に激減します。もっと言えば、ニズゼルファの最後の光だって、こういうカルマ関連であることを示唆するためのものだったのかもしれません。
火竜の一件をどう解釈すべきかは、イベントで一緒についてくる生け贄の女性の息子、テバくんが実際に言葉にして締めくくっています。
……おいら、ここで火竜を見つけた時、みんなをだましてたヤヤクさまを絶対ゆるさないって思ったんだ。でも……おいらがかあちゃんをいけにえにしたくなかったみたいに……ヤヤクさまも家族を守りたかったんだよね。ヤヤクさまとおいら、同じだね。悪いことをしたとこも、家族が大好きなとこも……。
ローシュはたしかに親友の裏切りに相応しい人間だったのかもしれません。でも彼は勇者であり、親友であり、息子であり、恋人であり、一人の人間でもあり、一面を見ただけではすべてを知ることはできません。それはほかの三人だって同じです。このことは四人の関係を七人の仲間とその周辺の人々から読み解かなければならない複雑さによく出ています。たしかなのは、勇者として取り返しがつかない失態をさらしても、彼の復活を望む存在が少なくなかったことです。勇者ではなく、ローシュだから必要なんだというメッセージはあちこちで見られます。主人公たちがベロニカを求めて世界の時間を巻き戻したのと同じで、彼らもまた、ローシュを取り戻すためにたとえ自分が地獄に落ちることになっても世界の時間を彼のために巻き戻して復活させてやりたかったのでしょう。
そう考えると、イレブンくんが父親の魂を解放したときに聞けるエレノア・マッマの言葉もけっこう不気味なところがあります。
……イレブン。私のかわいいイレブン。あなたにはこれからも多くの困難が立ちはだかるでしょう。それでもそのまままっすぐ進みなさい。あなたの中にある希望の光が、きっとあなたを導いてくれるはず。父と母もいつもあなたを見守っていますよ。さようなら、イレブン……。ずっとあなたのことが大好きよ……。
彼女は何度もイレブンくんの名前を呼びながら、この言葉をきっとローシュに向けて言っているんでしょう。アーウィンもまた、ローシュを蘇らせるために、ローシュの贖罪に必要な犠牲になることもいとわずに転生してきた魂である可能性があります。
だとしたら、もうイレブンくんはローシュの代替として生きる勇者の象徴としてだけ考えたほうがいいような気がしてきました。ローシュとイレブンくんの2人の勇者がいると考えると、重篤の兄を助けるために犠牲にする弟を産みだした母親のような気味の悪い話になります。ほかの仲間と同じで、イレブンくん自身もまた、中身がない、ローシュを象徴する存在に過ぎないのではないでしょうか? 自我がないという点では、エマちゃんとの結婚ひとつにおいても自分に決定権がなく、ネルセンにお願いしなければいけない点とも辻褄が合います。イレブンくんは自分の人生を歩むことが許されない身代わり、言わばローシュたちに教訓を与えるための人形劇の人形です。そのことはエンディングでイレブンくんの冒険が物語として読み継がれていることとも一致します。
イレブンくんの冒険に、イレブンくん自身の主体性がないという話を書いたとき「でも RPG、とくにドラクエの主人公ってもとからそういう傾向あるよね」という考えが頭をよぎりました。けっきょく今作のテーマってこれなんじゃないでしょうか? 今までのドラクエの主人公たちも、自分の人生をプレイヤーに委ねてプレイヤーの人生の教訓となるべく作られてきました。ネルセンに結婚のお願いをしなければいけないのなら、きっとローシュ組四人がプレイヤーの象徴で、彼らが自己投影して共感し、成長できるお話をイレブン組八人が演じている形になるんでしょう。プレイヤーが主人公で、主人公がプレイヤーであるのと同じ意味で、ローシュはイレブンくんであり、イレブンくんはローシュなんです。
今作は勇者とその仲間でありながら人並みに失敗し、人並みに恋をし、人並みに裏切られ、人並みに無力感を味わい、人並みに苦汁をなめるローシュ四人組というプレイヤーの象徴を三人称視点で見えるように作中に配置することで、イレブンくんの主人公としての役回りが具体的に見えるようになっているのではないでしょうか? イレブンくんは自分の人生を諦めて、根気強くプレイヤーのやり方に付き添って教訓を示してくれます。困難があっても諦めちゃダメだよ、人とはしっかり話し合って理解し合わないといけないよ、みんなと助け合わないといけないよ、ツラいことから逃げちゃいけないよ、いい女がほしいならヒーローになる努力をすべきだよ、本当に大事なものは自分で守らないといけないよ、という感じです。そして最後の最後にその教訓がプレイヤーの功績につながっても、ただ黙ってその影に消えていきます。だから、今作は勇者の物語なんだと思います。音楽が11の新しい曲から3の懐かしいものへ切り替わるのも、11が消えて3につながることの示唆かなと私はとらえています。
シリーズ初作は男の子の理想を詰め込んだヒーロー展開だったと思います。悪の親玉を倒してお姫様の愛を手に入れる英雄の話で、理想を体現するという点ではイレブンくんにも通じるところがあります。シリーズ3作目はラスボスの戦闘曲が勇者視点になったりと、ある程度プレイヤーが自己投影できることを考えて作られていたはずです。それが勇者イレブンと勇者ローシュの対比にも出ているのかもしれません。
イレブンくんは本当は、イシの村でテオの孫、ペルラの息子として、エマちゃんとルキと一緒に村人に囲まれて暮らすはずだった青年だったのではないでしょうか? ロトの魂を持っていそうなので、普通の田舎の青年とは言えないのかもしれませんが、ローシュを助ける勇者としての人生は彼の本当の人生ではなかったように感じます。実際にすべてを終えたあとに帰る場所はイシの村で、ユグノアは名前もわからないどこか遠い国になっています。彼の魂が本来属する場所を示している気がします。
一緒に戦った仲間だって、だれ一人姿が見えません。具体的にイレブンくんとの冒険に言及するカミュの言葉もデクに宛てた手紙の内容を間接的に読み上げてもらうだけで、イレブンくん本人との接点がなくなっています。そういう点では、冒険についてくる理由に“勇者だから”感が薄いマルティナとシルビアちゃんだけイシの村にきてくれたことがある描写になっているのも納得できます。ただ、彼らも名前がわからなくなっています。これからもずっとついていくと目の前で断言するエマちゃんや、自分の人生を歩きなさいと応援してくれる村人たちとはちょっと違う感じがします。ラスボス突入前のイシの村の村人は「お前が勇者だからみんなついてくるわけじゃないよな」というような人柄を評価してくれているふうに話します。ローシュたちに人形劇を見せるためにかき集められた人形と、もともとから一緒に暮らすはずだった人々の差が出ているのではないでしょうか?
エマちゃんは神の岩に登る前からイレブンくんに好意を抱いていた描写があり、実際にデルカダールへ旅立つイレブンくんに去ってほしくなさそうな態度をとります。ペルラさんも最後の砦を出る主人公を心配して追いかけてきたりと、危険な冒険をする息子を心配する様子がうかがえます。村人たちもみんな同じく「使命も大事だけど命も大事。しんどくなったらここに帰っておいで」というふうな態度で迎え入れてくれます。“勇者だから”ではなく、失いたくない一人の人間として見てくれているのではないでしょうか? そういう視点だと、見守っているので「まっすぐ前に進みなさい」と言うユグノア王妃や、「勇者の使命を果たすのじゃ」と激励するユグノア先王とは少し違って見えてきます。
人を恨んじゃいけないよ。わしはお前のじいじで幸せじゃった。
テオもペルラも人間ができた人です。その精神を受け継いだイレブンくんも16歳とは思えないぐらい、かなりできた人間だと思います。二人は大樹の願いを叶えるために、愛するイレブンくんを差し出し、イレブンくんもまた、大樹の愛子のために自分の人生を捧げることにしたのではないでしょうか? そして勇者として成長を遂げたイレブンくんの魂は、「これからは自分の人生を生きなさい」と言われたとおり、今度こそだれの許可を得るわけでもなく愛する女と添い遂げられる1の世界に転生するんです。
邪神を討伐して冒険が終わりを迎え、ジッと自分の手の甲の紋章を見つめたイレブンくんの思考は、ロミアのイベントで同じく孫の立場に立っていたキナイが代弁してくれているような気がします。このセリフは、それまでの展開でたとえ死んでいても必ず蘇るロミアと出会うことで言うようになるもので、ロミアが蘇るからこそ聞けるものです。
今度のことで気がついた。俺やナギムナー村の皆は人魚のことを誤解しているのかもしれない。俺のじいさんのことだってそうだ。もしかしたらじいさんも今の俺と同じように……。
イレブンくんは自分の勇者としての旅と、仲間の姿を通してローシュたちの軌跡をたどることで、一面しか見えていなかった物事の事情を深く理解し、自分の存在が消えることになっても、ローシュにセニカを迎えに行かせてやるべきだと判断したのではないでしょうか?
イレブンくんもほかの仲間と同様に人形劇の人形に過ぎないという私の説に、それでも仲間の一人であるカミュがその人形劇の演技を通じて大きな成長を遂げている点を加味すると、イレブンくんの魂もまた今回の勇者役を全うしたことで成長を遂げていると解釈できます。最初どこにピースを当てはめていいのやらわからなかったんですが、ファーリス王子とハンフリーは、もしかしたらイレブンくんの魂の成長を表す存在なのではないでしょうか?
砂漠の国サマディーで出会うファーリス王子は、容姿に恵まれた国民のスターであるにもかかわらず、実際は両親や国民から寄せられる期待の重圧に押しつぶされ、体裁だけつくろって責任から逃れ続けるヘタレ王子として登場します。 主人公と出会い、シルビアちゃんの指導を受けて、逃げてばかりではいけないと、リーダーとしての責任に目覚めるようになります。
ハンフリーはグロッタの町の孤児院で育った闘士であり、自分が育った孤児院と子供たちを助けるために仮面武闘会に出場して賞金を孤児院の運営費にあてていますが、実際は実力がともなわずに己の無力さに苦しみ、その末に魔物に魂を売ることで優勝するだけの力を得ていたことが発覚します。
情報を整理しているときに、ベロニカとマヤちゃんと同じように、二人が似たペンダントをしていることに気がついて、おそらく自分の無力さに悩んで成長する存在という共通点がなにかの象徴になっているのだろうと考えていました。ただ、それ以上は落としどころが見つからなかったんですよね。ペンダントだけ見ると、竜王とかハーゴンとかバラモスあたりがつけてるのとちょっとデザインが似てるんですけど、それだけだと像を結びませんしね。
ファーリス王子とハンフリーの反省や成長を描くイベントは、イレブンくんが大樹に向かう前に片付いてしまい、時のオーブを割る時間の巻き戻しでは大きな影響を受けることがありません。この点から、私はローシュ組との関連が薄いような気がしていました。
魔王討伐シナリオのファーリス王子は自ら学者を率いて危険な勇者の星の下へ行こうとする勇気を見せていますし、時間を巻き戻した邪神討伐シナリオでも、力を増す魔物たちに対抗しようと、サマディー兵の集中力を高めるきせきのきのみを育てるために、イレブンくんにゾンナルの木の調達をお願いしたりと、自ら兵を統率しようというリーダーの片鱗を見せています。ゾンナルの木はケトスがいないといけない始祖の森の秘境にあり、自分で取りに行けよというのは少し酷なので、自分で対策を考案し、枝をもらってから自分たちで栽培していくだけでも十分な成長だと思います。
ハンフリーも魔王討伐シナリオではマルティナとともにブギーに戦いを挑んでいますし、邪神討伐シナリオでも、ほかの闘士たちと違い、蘇ったアラクラトロの誘惑を跳ね返す精神の成長を見せ、主人公と一緒に戦っています。
ただ、時間を巻き戻す前、ファーリス王子は邪神復活を阻止した魔王を「救世主」と呼ぶ安直さを見せていますし、ハンフリーもブギーに敗れて魔物にされ、カジノのすみでひたすら殴り合いをしているだけの存在になり果てています。二人の成長を見ると、やはりローシュ復活にむけた邪神討伐シナリオのほうが上のように感じます。
これをイレブンくんにあてはめると、けっきょくイレブンくんも、もとはロトの魂を持ちながら、それに見合わない未熟さに悩んでいた存在だったのではないでしょうか? 魔王を倒すなかでその実力不足のギャップを埋める成長がかない、さらにローシュ復活のために裏方に消える道を選ぶことで、力という点でも精神という点でも成長することができたという感じの解釈です。この成長があったからこそ、初代勇者になれたわけです。
やればできるじゃな~い。かっこよかったわよ。
ファーリス王子のエピソードを見返していて気づいたんですが、シルビアちゃんがファーリス王子にデコピンをしているんですよね。のちのち本編で、ウラノスである預言者がイレブンくんのおでこを叩いて「……世界を救え」と現実に戻すシーンがあります。あのシーンは預言者が姿をどんどん変えたあと「おぬし、わしのことを知らんようじゃな」という結論に達したあとだったので、あのときの預言者の言動はローシュではなく、イレブンくんに対するものだったと認識しています。それと似たことをシルビアちゃんがファーリス王子にしていて、ファーリス王子がイレブンくんの成長を描く象徴なら、シルビアちゃんもウラノスのような指導者的ポジションのキャラクターということになります。
シルビアちゃんは上の項目でも触れましたが、いまいち本作における立ち位置がわからないキャラクターでした。もしかしたらシルビアちゃんはローシュ組の因縁などとは本当にあまり関係なく、イレブンくんが持つロトの魂についてきたキャラクターだったんじゃないでしょうか?
それでパッと思い浮かんだのがガライだったんですよね。そもそもシリーズ初作は登場人物が少なく、ガライもオリジナルではそれほど作中に登場しないんですが、主人公を導くウラノスっぽい老人ポジションがガライぐらいしか見当たらないんですよね。ガライは吟遊詩人でありながら、遊び人の道化師のようなかっこうでも描かれることがあったはずです。シルビアちゃんは仲間になってすぐの仲間会話でイレブンくんの歌を即興で作って歌い上げていますし、似たような特色を持っているキャラだと思います。また、今回の冒険でセーニャが特殊な力を持つ竪琴を奏でるところも、ネルセンが改心させた魔物の姿も目にしています。シルビアちゃんの目的はみんなを笑顔にすることです。この冒険のあとに、エルヘブンの民の能力にもつながりそうな、魔物を呼び寄せ、魔物すら喜ばせて改心させる「ぎんのたてごと」を所持するようになっても、無理のない流れかなと考えるようになりました。
ガライの姿は1と3で描かれていますが、3によると両親のもとを飛び出し、世界を渡り歩いて物語を語り継ぐ吟遊詩人の放蕩息子でした。父親のグラフィックが剣士風で、どこかシルビアちゃん親子を彷彿とさせます。母親が生きているのは、今作でシルビアちゃんが父と和解し、父のジエーゴさんもまた、母から受け継がれた息子の特質を認めたためとは考えられないでしょうか? ガライは世界を渡り歩いたあと、けっきょく自分が生まれた地にまわりめぐってたどり着き、自分の名前を冠したガライの町を興します。各地に残るロトの伝承をまとめ、世界の危機の再来を予見しますが、信じてもらえずにこの世を去り、やがて現れる勇者の力となるべく、霊体となって1に登場します。まだ若いときに実際に会ったことがある3の勇者よりも初代勇者の力になろうとする傾向が断然強いのも、前世で縁があったからとは考えられませんかね?
スピンオフ作品のビルダーズには、ガライの子孫であるラライが登場します。彼は兵器に特化した発明家でもあり、研究対象の力に固執するあまり、竜王の誘いにのって正気を失ってしまいます。どこかウラノスのエピソードを重ねてみてしまう展開です。ラライはけっきょく、そのことに勘づいた恋人のアメルダに殺されてしまいます。アメルダは女性でありながら荒くれ者集団を率いる重要キャラクターであり、ジェンダーの枠組みにとらわれないという点ではシルビアちゃんにも通じるところがあります。あいかわらず私の妄想ですが、つなげようと思えば線でつなげられる点があると思います。
記事を書いたあといろいろ考えて、シルビアちゃんも素直にローシュ組の象徴として置き換えたほうがいいのかなと思うようになりました。乙女属性がまぶしすぎてなかなかピースをうまくはめられなかったんですが、ローシュ組のなにかを象徴しているなら、父子の問題を抱えている点から、ローシュかウラノスのどちらかだとは見当をつけていました。ネックになっていたのは、シルビアちゃんが見た目に明らかな第三の性である点です。これを先代勇者一行に当てはめてしまうと、ウラノスとローシュのどちらであっても、セニカを交えた三角関係のドロドロが生まれてしまいます。
ただ、ネタバレイトショーを見返すと、堀井さんがシルビアちゃんを「ただのオカマじゃない」と評した流れで、PS4版プロデューサーの岡本さんが「乙女です!」と念押ししてオカマ表現を訂正する場面がありました。実際、作中でシルビアちゃんが(異性も含めて)同性に言い寄る姿は描かれていないので、現実でもドラァグクイーンが必ずしも同性愛者とは限らないのと同じで、シルビアちゃんも同性愛者かどうかまでを確定することはできません。なので、シルビアちゃんはあくまで男性みんなが少なからず心に抱えている女性的な特質や女々しさ、公にはしにくいちょっと変わった個性の象徴であるととらえることにしました。そうすると、素直にローシュのポジションにカチッとハマる気がします。勇者ではなく、一人の人間としてのローシュで、ゴリアテが勇者としてのローシュとなる二面性を表していると考えてもいいかもしれません。だからシルビアちゃん本人には魔王とも邪神ともはっきりとした因縁がありません。
外見から考えると、ご自慢のシルビアンヘアーはローシュの黒髪とウラノスのオールバック外ハネで、カミュとは反対に出たパターンとも考えられます。衣服のアクセントである赤も、ほかのローシュを象徴する仲間と共通しています。ローシュとウラノスの特徴は、ほかの仲間の判断でも迷うほど入り混じっていることが多く、最終的な判断はキャラクターの特質とどういう成長を遂げているかで総合的に判断するしかありません。シルビアちゃんは大樹のシーンでも存在感がなかったので確定できずにいましたが、父と子のすれ違いで子の立場に立つのなら、やはりローシュであると考えるのが妥当でしょう。大樹のシーンも父親の暴走を制止できず、ただ存在を消して黙って見ていることしかできない子の弱さという罪を体現しているなら筋が通ります。
色に関してですが、ローシュを象徴する仲間が赤アクセント、セニカが緑アクセント、ウラノスのほか、ローシュ本人に理解を示せない人物が青アクセント多めだと思います。ベロニカが青、マヤちゃんが緑の似たブレスレットをしているのも、ローシュの手枷がウラノスでも、ウラノスを象徴するカミュから見たローシュの手枷はセニカであると考えると筋が通ります。また、おじいちゃんが終始下ろそうとしない背中の荷物も青であることを考えると、ウラノスとの因縁をずっと背負っている表現とも考えられます。勇者イレブンが赤ちゃんのときに着ていたベビー服の(山吹色やオレンジ近くまで含む)黄色と、冒険中のイレブンくんが身に着けている紫がそこから中立として区別されて使われていることとも辻褄が合います。ニズゼルファもオーラが紫なので、ある意味ローシュ復活に利用された色と言えるかもしれません。
能力という点で見てみると、ほかのローシュを象徴する仲間は自己実現に関してあまり障害を持っていない共通点があります。能力不足に関する悩みを見せることがほぼなく、自己受容ができており、必要とあらば本人が望まずとも能力がついてくるぐらいの勢いすらときおり見受けられ、自分探しの末に力を見出すカミュのほか、過去の失敗から強い女になろうという責任感が強いマルティナや賢者になれないと泣くセーニャ、仲間とうまく関係を築けずに伸び悩んでいるグレイグとは異なる印象があります。シルビアちゃんもポテンシャル自体は非常に高く、騎士見習い時代から優秀な実力を見せ、芸人に目標を切り替えたあとも自分がやりたいことに向かってきっちりと努力を積み重ねて結果を出している人です。そこらへんでもローシュ寄りかなという感じがします。実際、ベースはイレブンくんに近いバランス型に成長しますし。
シルビアちゃんは父の跡を継ぐべく、騎士として英才教育を受けていましたが、十数年前に実家を飛び出して敷かれたレールから外れることを選びます。ローシュも勇者というレールから外れたかった本音があったとは考えられないでしょうか? ウラノスはローシュと出会ったとき、すでにドゥルダ郷で頭角を現していた優秀な兄弟子だったという話で、カミュのエピソードから保護者のような立場にあったと推測できます。立派な勇者になれるようにしてやらねばと気負っていた可能性がありそうです。ローシュとしてもどこか、自分を厳しく指導する立場にあるウラノスを恐れるあまり、きちんと向き合えないまますれ違い、勇者という使命も人並みに、最初は押し付けられた違和感をともなうものだったのかもしれません。
とはいえ、ソルティコの街で聞けるゴリアテ時代のシルビアちゃんの情報からは、みんなを笑顔にするのが大好きな太陽のような存在で、子供の相手がうまかったなど、シルビアちゃんと根本的にかわらない性質がすでにあったことがうかがえます。シルビアちゃんがレールからはずれてもけっきょく使命感から勇者と同じ道を行くことを選んだのと同じように、ローシュにも使命に対する戸惑いはあっても、勇者になるべくしてなった適性がもとからあったと考えられます。だからこそ、あそこまで邪神を追いつめられたんでしょう。
自分が一度掲げた目標のためなら、イレブンくんと一緒に魔王や邪神と戦って命を落とすことになってもかまわないという超人的な覚悟を見せるシルビアちゃんは、その反面、父親だけは怖くてダメという凡人のような弱みもさらします。
実家から逃れて自分の道を行く芸人のシルビアちゃんに対して、ウラノスを象徴するカミュと、ネルセンを象徴するグレイグは、目立つだのうるさいだの、初めて仲間に加入する際に隠しきれない難色をにじませます。二人は勇者ローシュを優先的に見ていて、一人のローシュという人並みの女々しさを抱えた人間を受け入れられないあまり、否定する一線まで越えてしまったのではないでしょうか? グレイグはシルビアちゃんの世助けパレードを見てイベントでも仲間会話でも受け入れがたい気持ちを表していますし、カミュものちのち仲間会話でイレブンくんに対して、あんなのに付き合ってやるお前を尊敬する、自分なら死んでもイヤだみたいなことを言っていたはずです。そうやって孤立したローシュが自分の弱さを隠すために邪神戦で一人先行せざるを得なかったという線も考えられそうです。
シルビアちゃんをローシュに当てはめると、グレイグが象徴するネルセン像も補完できます。シルビアちゃんもほかの仲間と同じく、ローシュがこうありたかったという理想を描く象徴であるため、父親とすんなり和解することになりますが、その和解は時のオーブを割る前の魔王討伐シナリオからすでにかなっています。これはネルセンが勇者の盾となるべきだった贖罪を果たすグレイグも同じです。となれば、ローシュ組が本当に必要としていた成長は、邪神討伐シナリオで見られるとおり、父親の指導のもとシルビアちゃんとグレイグが協力体制を築いて新しい能力に目覚めることだったのではないでしょうか? 言い換えれば、ウラノスの導きのもと、ネルセンが勇者パワーのご威光に隠れて見えないローシュの弱さも含めた人間性に気づいてやること、そしてローシュが自分をきちんと理解した仲間を頼れるようになることだったのでは?
グレイグはネルセンの象徴でありながら、親友ホメロスとの関係や親代わりだったデルカダール王との関係で、破綻したローシュとウラノスの関係も表しているところがありました。しかも、グレイグは世界の時間を巻き戻そうと巻き戻すまいと、どちらの関係も後手にまわって自力で修復できずにいます。ホメロスはどうしようと敵対関係のまますっきり和解できずにこの世を去りますし、魔王討伐シナリオではウルノーガであるデルカダール王に背後から攻撃されて裏切られ、時間を巻き戻した邪神討伐シナリオでも、イレブンくん夜這い事件でウルノーガの本性が暴かれてなお、現実をうまく飲み込めない戸惑いを見せ、ロウよりも明らかに察しが悪くなっています。
私の主君は……デルカダール王は王ではなく、人でもなかった……? では今まで信じてきたものはいったい……。
お前、時間巻き戻す前の最後の砦の記憶、どんだけきれいに忘れとんのや……カミュの頻繁なデジャヴ体験を少しでもいいから見習ってくれ、と思わず言いたくなる鈍さです。
けっきょくこれって、ネルセンがローシュとウラノスのこじれた関係をきちんと理解できていなかったことを表していませんかね? ネルセンにすれば、父と子の関係に内因性の亀裂が入るなど通常は考えられないことで、二人の不和はローシュの力に嫉妬したウラノスの劣等感が原因だと表層的に考える傾向があったのではないでしょうか? シルビアちゃんの存在は、父と向き合う子の立場でありながら、父と子の問題に無理解な仲間の存在も浮き彫りにしているように感じます。
シルビアちゃんは魔王討伐シナリオで、行き場のないナカマたちのことを考え、自発的に父親と和解しようと決意します。リーダーとしてまわりの人間に対する責任を果たすための行動です。時間を巻き戻して邪神討伐シナリオになると、ソルティコの街からお花摘みに出かけるシルビアちゃんをグレイグが引き止め、父親と和解すべきだと背中を押すようになります。きっと一人で抱えている問題について、仲間が協力してくれるようになることがローシュ組の成長を意味しているんだと思います。
シルビアちゃんはグレイグとの修行を終えると、父親が昔教えてくれた騎士道を思い出します。自分が一度外れると決めたレールに成長を遂げて戻ってきて、父親からの理解を得てもう一度乗り込むことで、受け入れがたかった父親との関係を自分のものにして、さらなる成長を果たせるようになります。そうやって手に入れる騎士道スキルのなかに、女性に行動を譲る「レディファースト」があるのも意味のあることだと思います。ローシュ組で女性はヒーラーのセニカしかいません。万が一ウラノスの裏切りが起こっても、蘇生魔法で状況をひっくり返して関係修復のチャンスを作れる最終兵器だった彼女は、仲間の理解を得られないローシュが先行したせいで現場に居合わせることができず、すべてが手遅れになっています。ローシュ一行が普段からレディファーストを活用できるパーティーだったなら、悲劇は防げていたということだと思います。
シルビアちゃんがファーリス王子を指導する場面で、預言者と同じデコピンをするのは、ウラノスがローシュに向かってしていたクセをまねしているからと考えるのが一番きれいな気がします。あんな悲劇が起こっても、親から子へ受け継がれているものも確かにあるという感じでしょうか。そう言えば、オープニング映像でイレブンくんをかばっているのもシルビアちゃんなんですよね。本編ではカミュが身を挺してイレブンくんを逃がしていますが、あれも親がしてくれたことをほかにしてあげている描写として一緒にカテゴライズできるのかな?
でも、シルビアちゃんのスキルパネルをよく見返すと、両手に武器を持てるスキル「二刀の心得」が剣系のスキルじゃなくて、わざわざおとめスキルのカテゴリーに配置されているんですよね。やっぱりローシュの性倒錯傾向の可能性が示唆されているのかもしれません。セニカがいるので少なくとも両性愛者なんでしょうけど、シルビアちゃんをローシュの象徴にすると、どうしてもユグノアの血が爆発して新しいセカイの扉が吹き飛ぶことになります。そしてあふれ出る、この解釈でいいのかな感。シルビアちゃんが仮に同性もいけるクチであったとしても、ジエーゴ・パパにそれが炸裂することはないはずなので、ローシュとウラノスの関係もそういうんじゃなかったと考えることにします。逆にウラノスが保護者としてローシュのそういう性質に気づいていた可能性ならあるかもしれませんね。ジエーゴさんもちゃんとシルビアちゃんを見てゴリアテだと自分で気づきましたし、息子の変化に戸惑う様子も見せず、細かいツッコミもしませんでした。小さいころからそばにいた保護者ならいまさらな話なんじゃないかなと、そういう親になったことがない私が言うんですけども、ローシュの性自認が曖昧だったなら、ベロニカの存在も自然な流れになりますし、ウラノスが気づいていたからこそ、カミュのエピソードでローシュの代替的存在となるマヤちゃんが女の子として出てきたとも考えられます。私は最初、自分のかわいい息子を自分の庇護下においておきたい、あるいは女に取られたくないという老いた男親の心理が反映されているからこその女性化と考えていましたが、もしかしたらウラノスは勇者の使命があるからと言って、ローシュの女性的な面を否定して打ち消すことしかできず、そのことをどこかで悔いていたのかもしれませんね。それも含めてマヤちゃんができた可能性も否定できないと思います。
要約すると、現時点の私の推測で浮かび上がってくる先代ローシュのパーティーはこんな感じです。
命の大樹の申し子、大樹の祝福を受けた愛子、光の御子、そして世界を救う勇者。賢者が集う強者ぞろいのドゥルダ郷でも、超人的な天才気質を発揮して、みんなが一生をかけて習得するような大技を若年にして数年でサラッとすべて体得してしまう。そのため、郷で一番の実力者だった年長のウラノスと懇意になる。みんなを笑顔にする明るい太陽のような性格で、文字通り等しくみんなのスーパースターであるため両性愛者。ユグノアの血のせいで、じゃっかん脳みそが下半身に支配されている。そのせいかディーバのような女性的一面もあり、ドラァグクイーンのように自分を着飾りたがる性質も持つ。自分の衣装を作る裁縫がじつは得意で、不思議な鍛冶はその発展系。胸の勇者の紋章はたぶん自分で縫い付けたワッペン。ネルセンの赤ピンクの鎧はたぶんローシュのセンスが爆発したもの。セニカの装備は自分にない女性らしさを発揮するために培ってきた努力の結晶。セニカと運命的な出会いを果たしてからは彼女にモテたい一心で男らしさを優先的に追求するようになり、結果ほかのメンバーと実力の差がつきすぎて邪神戦では孤立することになる。
力こそパワーがモットーだったドゥルダの実力者。ローシュの兄弟子。強かったせいでローシュに懐かれ、郷の代表として親代わりの役割を担って旅に同行するが、モンスターと間違われてもおかしくないようなパレード服を好んで着ようとするなど、エキセントリックな性質を垣間見せる勇者のせいで、ドゥルダに変態の聖地のようなイメージがつかないようにしようと、故郷ドゥルダと師匠テンジンのメンツにかけて責任をもって男らしい勇者矯正に孤軍奮闘する。願いが大樹に聞き入れられてセニカが遣わされてからは気苦労が減ったが、逆に厳しい態度で個性を認めてやらなかったことが仇となり、ローシュとの関係に溝ができてしまう。親ばなれとはそういうものと、大人らしく受け入れようとしていたが、変態の親不孝者が美人とくっついて英雄になる反面、老いて無力かつ孤独な自分にはなにも残らない虚無感を邪神に利用される。
屈強などこかの戦士。クソがつくほど真面目な筋肉および肉壁ポジション。たぶん最初のころは自分の体に不必要な筋肉がつくことを嫌がっていたローシュの趣味でスカウトされた。一度こうと決めたら曲げられない脳筋。ローシュから好かれているが、愛用のエロ本を携行するほどのノンケであるため勇者の趣味をまったく理解できずにドン引きしている。そのせいでローシュとの距離を縮められずにいるが、勇者としての実力には一目置いており、一緒についていくことが自分の使命なのだとかたくなに信じている。だから変態の鎧も黙って着る。セニカの登場で実力を発揮し始めたローシュに、もはや盾など必要なかったので、パーティー内の自分の居場所をだれよりも見失っており、自分が勇者の仲間になるのは運命だったと思える点を見つけると喜々として取り上げる。自分が得意な鍛冶で勇者の力になれそうだとすごく喜ぶ。だから出来上がった変態の鎧も黙って着る。
少々エキセントリックな方向に進化してしまったローシュを、勇ましくて男らしい勇者に矯正するために母なる大樹から遣わされたおっぱい天使。ローシュの下半身をたくみに刺激して大衆ウケがいい勇者に進化させる。大樹から愛された女であるため、賢者としての才能に目覚めているが、ローシュの男らしい成長を促す目的に特化しすぎたため、その仕事はほとんど後方支援の僧侶と変わらない。良妻賢母となるべく、ローシュの後ろを3歩どころかすっかり姿が見えなくなるまで離れてついていく。それが仇となり、一緒になるはずだったローシュが死んでしまったので、千年の機が熟すまで巨大な精霊となってボーっと忘れられた塔で過ごす罰ゲームをするハメになる。いろんな意味で悲劇のヒロイン。
ニマ大師もそうなんですけど、ドゥルダ郷のサンポくんって左利き、あるいは両利きっぽい描写があるんですよね。確か12歳でローディング中の豆知識だと生まれてからずっと郷から出たことがないみたいな話だったはずです。ニマ大師から可愛がられているし、シルビアちゃんもお気に入りっぽいので、素質的になにか裏設定があってもおかしくありません。世界観的にダライ・ラマみたいに高僧が転生を繰り返しているみたいなのかなって思いました。
ドゥルダ絡みだと修行を積んだローシュとウラノス、二人が師事した初代大師のテンジンがいます。ニマ大師も歴史を修正しないと亡くなることになりますし、ドゥルダのメンツもじつはローシュ復活の条件になんか関係あったりするのかな? だとしたら、試練の戦闘曲が3なのもたんなるオマージュ以上の意味があると思います。
家族が11をクリアしたあとにロト三部作をプレイしていて、それを隣で見ていて気がついたんですが、3はリメイク版で勇者の能力が性格にもとづいて成長する仕様になっているのでした。3の勇者は性別も選べるので、かなりプレイヤーの好きにカスタマイズできます。ローシュの代替的存在っぽいのに女の子だったり、性格もかなり幅があるのは、もしかしたらローシュ自身に3の勇者が投影されているからかもしれませんね。
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