17. ベロニカとセーニャについて

双賢の姉妹は勇者を導くために大樹から遣わされた運命の双子で、ベロニカとセーニャは二人でセニカの生まれ変わりと聖地ラムダで言われています。二人に分かれたのはなにか理由があるはずだとのことですが、作中はっきりとした説明はありません。

双子の巫女

ラムダでは大樹を支える双子の巫女の紋章をよく目にします。ファナード長老の帽子にもあるんですが、このマークはベロニカとセーニャが生まれたからこそ作られたのでしょうか? だったら最近の話ですよね。ここらへんの説明もどっかの会話にありましたっけ? けっこう適当に読み流していてあやふやです。

ローシュの最期とセニカのその後を知るための導きの木や、エンディングで二人そろって迎えに来ているところを見ると、やっぱり二人そろわないとダメな大樹の遣いなのは間違いないと思います。ただ、ちょっと違和感があちこちにあって、進行度の都合で見れなくなった聖地ラムダの村人の情報とか仲間会話も2周目でもう一度ちゃんとまとめたいと思っています。

セーニャ

イメチェンリングを+3にして最初に装備させたとき、効果が3段階アップなら、セーニャがハゲ上がるんじゃないかとちょっと心配になったのは内緒です。

セーニャはセニカが残す聖賢シリーズを装備できます。だからグレイグがネルセンに対応しているように、セーニャもセニカを象徴する存在にあたるんでしょう。ただ、いつだったか、苗木の記憶かなにかでセニカ本人を見たときに「私たちはセニカさまの生まれ変わりと言われてきましたが、似てませんね」というようなことを自分で言ってたと思うんですよね。さらにそのあと、カミュが「お前はローシュに似てる。顔とかそういうんじゃなくて」というようなことをイレブンくんに言っていたと思います。グレイグがネルセンに会って、やたらはっきりと「なにか縁があって、仲間になる運命だったのかも」的なことを言うのとは対照的です。セーニャ本人が言うなら、言うほどセニカの特徴は引き継いでないのかもしれませんし、もしかしたらベロニカがいないときだったからそう言うのかもしれないし、セーニャの性格的なところもあるのかもしれません。

セーニャはよくも悪くも受け身のおっとりした性格をしています。時のオーブを割る前の最後の言葉「また私を見つけ出してくれますか?」も受け身でお願いする形になっています。このセリフは間違いなく、セニカの“私を見つけてほしい”という気持ちが出ていると思います。

セーニャは姉のベロニカを失うことで、攻撃魔法も回復魔法も使いこなす賢者ポジションになり、もっとしっかりしなければという意識をもって行動するようになります。ただ、これは時のオーブを割る前のことで、イレブンくんの手で巻き戻して消える世界の話です。だから、解釈としては、セーニャはやはり頼れる姉がいなければいけないという話になるんだと思います。

ベロニカが亡くなってから読める日記には、双子が攻撃魔法と回復魔法を学んでも、ベロニカは攻撃魔法の炎しか出せず、セーニャは治癒しかできなかったというようなことが書かれています。セーニャは両方できないとセニカさまのような立派な賢者になれないと言って泣き出します。ベロニカはそれを見て、お互いに助け合えるから大丈夫よというふうに姉らしい言葉を残しています。

セーニャがセニカのなにかを象徴しているなら、こういう一人で全部背負い込もうとするなという部分かもしれません。それを助けるのが大魔法使いを自称するにふさわしい実力を持つベロニカです。セーニャはもしかしたら、むしろベロニカに面倒を見させるための存在なのかもしれません。双子には育ての両親がいて、愛されて育ったことはわかりますが、双子の世界が完成されていて、ペルラのような影響はあまり感じられません。代わりにベロニカが保護者の役割を担っているように感じられます。ベロニカという存在はたぶん、妹を守るためにあるんじゃないでしょうか?

「こういうことがかつてあった気がする。」

表層的な部分から簡単に推測できる双子になった理由は、セニカが時の番人になっていることの示唆でしょう。ベロニカの見た目が変わる最強装備は「とこしえ」の名前を冠しています。時の番人がいる神殿の名前と同じです。

ベロニカ

実際ベロニカには時間の流れを調整する力があるんじゃないかと思わせる描写がちょこちょこあります。たとえば魔王からみんなを助けるこのシーンは、時間が止まっているように見えます。これはベロニカの類い希なる魔力があってこそという説明でいいんでしょうか?

やり直しの朝

メダル女学園で昔の映像を見返していたら、見覚えのないムービーを見つけました。調べてみたら、過去に戻った直後に勝てるはずの闇ストーカー1匹にわざと負けるとこうなるという映像らしいです。つまり夢落ちで再開というある意味シリーズお決まりのパターンですよね。仲間に起こされるのはめずらしくありませんが、ここでベロニカなのは意味があるように感じられます。

そもそも、ベロニカ自身が仲間になる直前に若返っています。魔力を吸われた(なんらかのエネルギーを持っていかれた?)からという説明で、合法ロリ要素が必要という大人の事情もわかりますが、時間を巻き戻して過去を変えるというストーリー展開でこういうキャラがいるとなんか勘ぐりたくなります。

ベロニカとセーニャが合流する荒野の地下迷宮には、わざわざ大樹の根が2か所も出ています。マップは勇者が己の恐怖に打ち勝てるようにするという目標を掲げているネルセンの試練でも再利用されています。ベロニカをさらったデンダ一味の会話から、ベロニカの魔力は魔王に献上すれば昇進間違いなしレベルの強大なものだったことがわかります。基本的な攻撃魔法しかまだ使えないレベルなのに、ベロニカが強いという印象付けが意図的にされています。この魔力はウラノスのポジションを埋めるもので、帽子も色違いで似ています。ただ、ベロニカには力を欲する衝動は見受けられません。むしろ「私ったら、才能がありすぎて魔力が勝手についてくるのよね」とでも言いそうなキャラクターです。この性質はむしろローシュだと思います。

ベロニカ

ベロニカが進行に積極的に絡んでくるイベントは、クレイモランの魔女リーズレットが出てくるイベントがわかりやすいと思います。強大な魔力を持ち、その気まぐれな性格から危険視された魔女は、禁書に長いあいだ封印されていました。魔女は魔法使いのベロニカ自身を投影しやすいキャラクターです。魔女は確かにクレイモランを襲ったけど、そのあいだに女王としての重圧に悩むシャールの肩の荷が下りるように助言を与えていました。そのことに感謝したシャールは魔女を許し、一緒に国を治める手伝いをしてくれと言い出します。ベロニカはリーズレットとシャール女王ならうまくやっていけると自信を持って言っていたと記憶しています。二人の関係に、どこか自分とセーニャの関係を重ねているんだと思います。実際、明らかに年上な女王を指して「こんなにひどい目にあってる“子”」と、重圧に苦しんでいる女の子を自分たちが助けてあげなければいけないと主人公を説得し、めずらしく熱心に主人公のサポートまでしています。

ベロニカの紋章

禁書のマークをジッと見てみたら、真ん中のマークがちょっとベロニカの紋章に似ているような気がしてきました。ただ、ベロニカのほうは逆三角形ですけどね。

魔法のカギ

魔法のカギも似てるかなと思っていたときがありました。ただやっぱり逆三角形なんですよね。

私はシャールとリーズレットが百合要素を考慮した配置になっていると考えています。双子の姉妹に恋愛感情云々を持ち出すとドロドロしてしまいますが、ベロニカがセーニャを大切にするのは、単純な性愛ではない、ローシュがセニカを想う気持ちを受け継いでいるからではないでしょうか? ローシュはセニカを残して先に死んでしまい、セニカを悲しませています。自分を必要としている女のそばにい続けることがローシュの贖罪なのだと思います。ローシュには状況を一転させるような実力と、勇者たる勇気と、世界を救わねばならないという責任感がありました。ベロニカは魔王と戦う前に、強い強いと強調されてきた自身の力を駆使して、セーニャのそばに残るという自分の幸せを捨ててまで、みんなを助けるために死ぬことを選びます。しかもそのきっかけを作るのはウラノスであるウルノーガです。これはローシュの罪の再来です。だからイレブンくんは過去を修正する必要があるのだと思います。

ベロニカ

ベロニカはマルティナと一緒にロミアのイベントにもよく絡んできます。ただ、マルティナがロミアの恋愛のロマンチックさに反応しているのに対して、ベロニカは大切な人をずっと待たせるなんてひどいという感じの反応のしかたをしていたように見えました。

ロミアのイベントを見れば、おそらく一番目を引くのは、もう来ない恋人を想ってひたすら待ち続ける人魚の悲恋で、スポットライトは人魚のロミアに行きがちです。でも、ベロニカはキナイ・ユキもまた独りで死んだことに改めて言及し、二人とも浮かばれないことを浮き彫りにしています。キナイ・ユキはロミアを悲しませたくて迎えに行かなかったわけではありません。彼には彼なりに社会的重圧や果たすべき責任などがあり、それと同時に自分の大切な女を幸せにするという余力を持てませんでした。自分の力不足のせいでたくさんの人が不幸になり、ロミアもまた自分のせいで傷ついて不幸になることを認めて謝罪し、死に際まで愛する女のことを想って自分の無力さに苦しんでいます。キナイ・ユキもまた不幸な男です。ベロニカはどこか、恋に生きる女とは違う、社会的に果たすべき責任を負う男の視点にも立ってロミアの件を見ている気がします。

ベロニカ

ベロニカは出会った当初から、勇者を導く双賢の姉妹でありながら、勇者よりセーニャを優先する性質を出しています。むしろセーニャの使命を果たしてあげるために協力してあげているという感じすらします。

ペンダント

ベロニカとローシュのつながりが推測できるポイントは、預言者によって二人が導きの木になってみんなに見せる映像にも出ている気がします。導きの木から見えたのは、ほかの苗木と違ってセリフ(音声)つきの映像でした。記録の状態がよくなっていて、ほかとは性質が違います。

映像は二つあり、ローシュがウラノスに裏切られるものと、邪神を神の民と一緒に封印したあと、セニカが時の番人になるまでのものです。ウラノスは邪神の力を吸うとすぐに消えてしまいますが、映像は続いてセニカとネルセンが合流するまで入っています。一人称視点ではありませんが、あえてあの場にずっといたのはだれかという点に着目すると、ローシュの魂の記録のように見えます。もうひとつの映像は後半ずっとセニカしかいない忘れられた塔が舞台なので、セニカの魂の記録です。二人がこの映像を見せられるのはそういうことなんじゃないでしょうか?

預言者から正体を明かしたウラノスは今度こそ邪神を討って終止符を打ってくれと頼みますが、謝罪の言葉は口にしません。その代わり、ベロニカに大人に戻れるペンダントを残して去って行きます。ペンダントの模様は、ローシュの仲間3人の装備に共通して見られるオノのようなシルエットの装飾が入っているので、詳しい仕組みはわかりませんが、ローシュの時代の魔法具だと思われます。

これで覚える姉妹のクロスマダンテは今作でも屈指の最強技です。「ベロニカが子供ではダメ」という表現から、ベロニカの属性がカオスなことになりますが、私はローシュとセニカの夫婦技を引き継いだような印象を受けました。二人が対等の関係でないと出せない技なんじゃないでしょうか? ウラノスは二人の仲を強める役に立つことで、せめてもの罪滅ぼしをしたかったのかもしれません。

危険を冒して過去に戻る主人公に、セーニャは自分を探し出してほしい気持ちを伝えています。今作のオープニングムービーは、帽子と杖を持たずに森を歩く大人のベロニカがセーニャを見つけ、セーニャがニコリと微笑み返すところから始まります。そして、セニカがローシュと再会を果たして手を取り合い、3につながるエンディングで終わります。徹頭徹尾、ローシュとセニカの再会がテーマだったと言われればわかりやすい構成です。ただ、魔王討伐のシナリオだとベロニカがセーニャを置いて去ってしまい、結末が変わります。イレブンくんが時のオーブを割って過去を変える理由が、そのベロニカを取り戻すためというのにも意味があると思います。

セーニャ

ベロニカを失ったあと、セーニャは髪を切る前に、死に別れた恋人を愛おしむ古い曲を歌います。

セーニャ

だれの曲かはわからないということですが、ここで恋の歌を出してくることに私は最初、違和感を覚えました。でもローシュを象徴していた存在に向かって、セニカの象徴であるセーニャが歌い上げるのなら、至極自然なことです。

ベロニカとセーニャは芽吹くときも散るときも同じ葉のもとと約束しています。それはローシュとセニカも同じで、どちらも大樹の祝福を受けた特別な人間です。その象徴が双賢の姉妹なんだと思います。そして片時も離れない絆を望んでいたのは、どちらかと言えばセニカ本人との結びつきをいまいち自覚できないセーニャより、ローシュ側のベロニカだったんじゃないでしょうか? だからこそ、セーニャにはセニカの特徴のなかでも従順さや、どこか自分が守ってあげなければと思わせる抜けたところなど、男性、とくにドミナントタイプにウケがいい特徴がよく出ているんでしょう。

18. シルビアちゃんについて

シルビアちゃん、正直新しいキャラ過ぎて、どうローシュ組とつなげていいのかまったくわかりませんでした。なので、私のなかでは“一般人にもスポットライトをあてるスーパースター”みたいな位置づけで宙ぶらりんになっています。めっちゃ好きなんで、崩壊後のプチャラオ村で再会する一連のイベントは、「この世界に存在してくれてありがとう!」ぐらいの気持ちだったんですけどね。2周目はシルビアちゃん周辺でもっと掘り下げられそうなヒントがないか探したいと思います。

気になるのはウラノスの裏切りがわかったときに、パーティーで一番ヒステリックに拒否反応を示していたところです。確かに最初に仲間になったときは、ベロニカがさん付けで呼んでえらく持ち上げてましたし、イレブンくんもパレードのボスになったし、ロウも一緒に踊ろうとしてたんで、勇者側と相性がいい人物なのかもしれません。逆にカミュは目立ちすぎることを理由に最初は乗り気ではありませんでしたし、世界崩壊後に仲間になったときはグレイグがうるさいとか、なにか文句を言って、言葉を濁しつつも受け付けがたい気持ちをにじませていたと思います。ラストのイシの村で、マルティナが「デルカダールの王女」としか呼ばれていないと書いたんですが、シルビアちゃんも「旅芸人」であって、実名での描写じゃなかったんですよね。シルビアちゃん、けっこう有名人だという描写があちこちにあるので、名前が浸透していない田舎の村でも「シルビアという有名な旅芸人だったらしい」的なアプローチで文章を書き出せば、いくらでも名前を出せたと思うんですよね。これがけっこう引っかかってて、今でももしかしたらローシュゆかりの人なんじゃないかという線を疑っています。ただ、命の大樹でウルノーガにコテンパンにされるシーンはシルビアちゃんの存在感が皆無だったので、判断できずにいます。

シルビアちゃんにはおおよそ欠点らしい欠点がありません。由緒正しい騎士の名門に生まれて、英才教育のもと類い希なる才能を発揮していたのに、父親とは違う道を選んで家を飛び出しています。いい家の出身で育ちもよく、礼儀作法を叩き込まれていて、体格にも恵まれ、コミュニケーション能力も高く、気遣いができるオネエという社会的マイノリティすら補いまくって光り輝くほどの魅力を備えています。若いころに実家を飛び出しているので世間知らずということもないですし、自分らしく生きること、そのために努力すること、他者の尊重も忘れないことという大事なことが一番自然にできている大人だと思います。

明らかなのは、父親とのすれ違いがキーワードになっているところです。過去作でも父と息子の関係はよく描かれてきましたが、どちらかと言えばオルテガやパパスに代表される「父の背中を越えていく」というところがテーマでした。シルビアちゃんは、最初こそ父と同じ道を歩んでいても、あるとき「なんか違う」と気づき、父親とはかなり異なる道に方向転換したキャラクターです。それは自分らしさを追求してのことで、母親の影響でもあるんですよね。バハトラとチェロンのイベントから、母親不在の父子がテーマのはずです。メルトアのイベントや崩壊後のホムラの里のイベントといい、子供と絡んだり、子供を気にかけたりすることが多いのも気になります。最終的に父親と和解して、その父の助けを得て、異質な者同士でも協力すればお互いに新しい長所を引き出せるという教訓を授けてもらえます。その異質な相手が幼なじみの親友を失い、しばらく自分に理解を示さなかったグレイグなのも大きいと思います。

シルビアちゃんがローシュゆかりの人を象徴していなくても、逆にローシュ組にできなくてイレブン組にできることの象徴としてとらえてもしっくりくると思います。つまり、新しい存在であることがシルビアちゃんの存在意義だというとらえかたです。 

シルビアちゃんの乙女属性は、イレブンくんが多様性を尊重する2017年の勇者だからこそ活きたところがあると思うんですよね。先日テレビ番組『みなさんのおかげでした。』の30周年記念スペシャルで放送開始時にいたキャラクター「保毛尾田保毛男」のネタを放送したところ、差別だと批判が殺到して TV 局の責任問題に発展しているという話題が出ていました。これは性差別に関して観る側の意識が変わってきていることを示す例で、それと同時に30年前、ローシュが踏襲する3の勇者が現役だったころ、社会的な性的マイノリティの扱いってしょせんこういうもんだったってことを表す顕著な例だと思うんです。勇者はこうあるべきというように、男はこうあるべきというステレオタイプがあり、男性同性愛者や女装家などの性的マイノリティは一緒くたにナヨナヨした気持ち悪い男とさげすまされる対象だったわけです。そこで自分のアイデンティティを出すには、あえてオープンになって気持ち悪さを前面に出して、相手に笑ってもらう利益を提供することでしか自分の社会的な存在価値を守れない時代でもあったんじゃないでしょうか?

ある程度変わってきたとはいえ、今も性的マイノリティには生きづらい時代です。とくに宗教で否定的な見方が一般化されている国では、カミングアウトが死を意味することも少なくありません。だからこそ、自分のアイデンティティを隠さず誇りに思うことは大事だと、自分の性的嗜好を公にする著名人たちも、それと同じぐらい、クローゼットのなかにこもり続けることを選んだ個人の決断の尊重も大事だと釘を刺しています。“オカマは気持ち悪いけど、ウィットに富んだトークが上手で、気遣いができて、清潔感があって、女性とは違う美がまたあって、よく見るとかわいいし、おもしろいし……”みたいなゲイコミュニティ独特の魅力は、ある意味、生殖相手という価値を相手に提供できない人間関係弱者が社会を生き抜くために必死で身に付けた処世術でもあるんですよね。何年か前に、ゲイコミュニティのブログで「また『セックス・アンド・ザ・シティ』の影響を受けたバカ女がゲイの親友もいるイケてる女を気取ろうと、友達らしいこともろくにしようとしないくせに友達ごっこを強要してきたわ。あのクソ女、人のことを絶対ハンドバッグかアクセサリーだと思ってるのよ!」ってブチ切れてるのを読んだことがあるんですけど、人間関係のなかで、不本意なくらい自分のほうを落として、相手の機嫌をとらないと自分がほしい人間関係が保てないっていうのは、マイノリティにありがちな問題だと思います。シルビアちゃんもこういう苦労を重ねて、ゴリアテから今のシルビアを築いた人なんじゃないかな。

シルビアちゃんはヤヤクがたった一人で息子の問題を抱え込んでいたことを取り上げて、トップに立つ人間の孤独さへの配慮を見せていますし、フールフールとの戦闘前もサラッと「これ以上イレブンちゃんに大切なモノを失わせはしないわ」と、挫折を経験した主人公を気遣う発言もしたりします。傷つく人の心をきちんと察知して、笑える方向に持って行こうとする人なんですよね。全体的に空気を読んで、騎士らしく立場が弱くなった人間のカバーに自然と入れる余裕があります。だてにみんなの笑顔を使命にしてないです。

ナカマよび

私がホントにネエさんこそこの世の女神なんじゃないのかと思ったのは、世界の存亡をかけた邪神との最後の決戦で、普通にれんけい技の「ナカマよび」ができるところです。

一度時間を巻き戻してもイゴルタプ長老に力をもらえば使えるので、最初から時空を超越している説はありますが、「邪神浮いてるけどどうやって行く~?」「邪神のまわり、バリアあるけどどうやって破る~?」って、物語でさんざ情報集めてケトス強化して異次元に突入したあと、ネエさんがなかで笛を吹くと、なぜか決戦の舞台が陸続きになって、すぐにナカマが大集結するんですよ。アツい!

ナカマよび

たぶんナカマのパワーで邪神のバリアにも新しいセカイの扉が開きまくったんだと思います。最終決戦のあのステージに、選ばれし者以外の一般人、しかも被差別対象になりがちな社会的弱者を引き上げられるのはすごく大きな意味を持っていると思います。さすがおネエさまです。

ダメージも通る。

ちなみにダメージは衣付きの両腕がある開戦直後に使ったら平均120ぐらい出てました。強くはないけど、衣はがしてきせきのきのみを活用したら、残りHPを調整してナカマでトドメを刺すことだってできる範囲だと思います。しゅごい好き。

シルビアちゃんのような乙女属性のキャラをロトシリーズ三部作の時代に作ろうと思ったら、きっともっと違うキャラになったはずです。シルビアちゃんは今作だからこそ成立する勇者の仲間なんじゃないでしょうか?

最初に苗木でローシュの映像を見たときに「4人だけ?」ってちょっと思ったんですよね。イレブンくんは8人ですし、ドラクエ3はルイーダの酒場があるので、固定メンバー4人だけはちょっと少ない気がします。ボリュームの都合という大人の事情もあるんでしょうけど、もしかしたらローシュ一行にも本当は仲間になれる人物がいたのに入れなかったことをシルビアちゃんは示唆しているんではないでしょうか? 実際、シルビアちゃんはイレブンくんの旅でも、特別必須という役割は果たしていないはずです。船はセーニャの言葉によると定期船があるし、オーブのような重要アイテムを持っていたわけでも、大樹関連の特殊な能力を有していたわけでもありません。本人の目的も「みんなを笑顔にしたいけど、魔王が邪魔だからイレブンちゃんについていく」みたいな、目的が一緒だから仲間になる感じで、仮に一緒にやらなくても目標達成の道が閉ざされるほどじゃないんですよね。ダーハルーネで悪魔の子疑惑について「イレブンちゃんが悪い子じゃないのは最初からわかってたわ」みたいなことを言いますし、執事のセザールから隠れるときに一番大人な対処をしてくれそうなカミュを選んで後ろに隠れるあたり、かなり人を見て行動していると思います。イレブンくんが仲間に付き添って進む勇者だったからこそ、ついてきた仲間なんじゃないかな。

いろいろ考えていくと、ローシュは有無を言わさぬ力で先行するドミナントタイプに見えます。ウラノスやセニカには根底にサブミッシブな性質があり、ネルセンはそこから少し距離を置くマイペース型の人間というのが私の印象です。横に並んで団結しようとするイレブン組と違って、けっこう微妙な力加減で縦にも差がついたパーティーだったんじゃないでしょうか? そこにシルビアちゃんタイプの人間が入る余地はあまりなさそうです。本当はローシュとウラノスの確執が生まれ始めたとき、「勇者だって重圧を抱えているのよ」とか「年上の親友だからって甘えすぎちゃダメよ」とか、異質な存在だからこそ視野を広げてガス抜きができる助言が与えられたのに、時代を先取りしすぎた異質さで、ローシュのパーティーとは相容れなかったっていうのは、私としてはわかりやすい話です。そういう部分が、グレイグとの修行にも表れていたんじゃないかな。

私も知りたい。

シルビアちゃん関連のイベントでちょっと気になった話なんですけど、プチャラオ村のハッスルじじい・邪って、けっきょくストーリー上は明確な意味がありませんよね。グレイグの会話を読んだときに、「私も知りたい、盾おじさん」と思ってたんですけど、コレってけっきょく堀井さんが言う“世界が一つに収束する”の典型ってことでいいんでしょうか?

時間をさかのぼった世界はシルビアちゃんが世助けパレードをしていないので、途中で目覚めるナカマがいません。パレードに必要なナカマに新しいセカイの扉を開いてもらうためにフールフールが消えて、代わりにハッスルじじいが邪に目覚めたってことなんじゃないかな。れんけい技自体はイゴルタプ長老の現実を超越したパワーで使えるわけですけども、けっきょく本当に必要なものは意図的に変化させない限り、別のタイミング、別の手段で、世界になんらかの形で生成されるってことだと思います。だから、仮に長老がいなくてもパレードのナカマは遅かれ早かれ導かれし者たちになってたってことだと思います。

この法則を考えれば、詰まるところニズゼルファはタイミングや相手、方法は違えど、どのみちだれかにやられる運命だったっていう可能性もあり得ると思います。ニズゼルファもイレブンくんと一緒に過去に戻ってきましたが、過去を変えるためにオーブを割ったのはイレブンくんです。時のオーブが仲間一人ひとりの記録を個別に残していると仮定したらなおのこと、イレブンくん本人が邪神の安全を願わないとそこらへんの運命は変えられない気がします。なんか物語を掘り下げようと妄想を展開すると、どんどん邪神討伐の重要性が下がっていくように感じるんですよね、このゲーム。

19. カミュについて

エマちゃんが「幼なじみのエマよ!」なら、カミュもけっこう「相棒のカミュよ!」でぐいぐいきてるところがあったと思います。「相棒のカミュよ!」だし、「グロッタの南のカミュよ!」だし。

私は正直、佳境までずっと「なんでコイツが相棒なんやろな……?」って考えていました。シルビアちゃんが仲間会話で「二人には特別な絆があってジェラシー」みたいなことを言い出したとき「そうか?」とツッコみたかったぐらいです。一人だけ平民なので、一般庶民のお友達代表なのかなとも考えていました。ダーハルーネでホメロスの攻撃をかばって主人公を逃がしたとき、「コイツいよいよ悪魔の子に裏で弱みでも握られたんちゃうやろか……」と心配になったものです。

こう私が思うのは、けっきょく世話はよくしてくれるけど、なにも打ち明けてくれない余所余所しさが大きかったんだと思います。グレイグに追われて旅のとびらに逃げ込むシーンは印象的ですが、それ以外にもカミュと二人だけのときにもっとストーリー展開があれば相棒感が出たのにと感じていました。それはイベントのボリュームというより、信頼関係を築く掛け合いに欠けていたからだと思います。最初から自分の贖罪を果たすためについてくるという下心を見せているのだから、もっと言いにくそうに言いよどみながら、自分のしてほしいことを、妹と明言しなくても、「大切な人を助けたいから、時期が来たら助けてほしい。それまでは黙ってついていくから」みたいに、イレブンくんと二人だけのときに打ち明けていれば、こっちも深刻なんだなと察して、二人だけの約束による特別な絆ができたと思います。大事そうにしてたレッドオーブも、必要となればすぐくれたりするし、得体の知れない尽くしてくれる感が気持ち悪くて、相棒って感じじゃなかったんですよね。同級生と話すときに敬語を使われるような感覚に近いと思います。

父と息子

わかりやすいので言えば、たとえば、イレブンくんがパッパを助けて再会するシーンですが、時間を巻き戻した邪神討伐シナリオでは後ろにカミュが入り込みます。時間を戻す前の魔王討伐シナリオではだれも後ろにいません。カミュ自身が仲間になっていないか、なっていても記憶喪失で使い物にならない状態なので、このシーンを見届けられないんです。前はいないのに、わざわざカミュだけが出てきていることには意味があるはずです。

もっと言えば、カミュは大樹のシーンでも逐一顔を上げてウルノーガの挙動を見ている描写があったりするんですよね。なんか観測点みたいな役割とか、仲間を見守ることに意味がありそうです。

立ち位置

少しあとで上からのカメラアングルになるので、それぞれの立ち位置がわかります。事件に巻き込まれた当事者のロウやマルティナを差し置いて、カミュだけが背景に選ばれていることがわかります。

魔竜ネドラ

ネドラ戦直前のショットも、邪神討伐シナリオではカミュとのツーショットになります。脱線しますが、このときのネドラのセリフ、要点だけを端的に言う、できるビジネスパーソン臭がして好きです。

  • 自己紹介(名前と所属):邪神の配下のネドラです。
  • 現在の状況:主が復活したので蘇りました。
  • 目標:ローシュに封じられた雪辱を果たしたいです。
  • ご提案:身体を八つ裂きにさせてください。
グレイグ

魔王討伐シナリオでは最初に盾おじさんがかばってくれて、仲間みんなで対峙する構図になります。時のオーブを割って時間を巻き戻すと、イレブンくんにカミュがもっとすり寄ってくるようになるようです。たぶんこちらのほうのカミュが本来あるべき姿なんでしょう。

それで逆に考えることにしました。カミュは勇者の相棒にならなければいけない存在です。それはなぜか?

ウラノス

じゃあ、やっぱりウラノスかなって思うんですよね。ウラノスは勇者を裏切った本ストーリーのキーパーソンであり、善の心である預言者は贖罪を望んでいます。愚かな誘いにのらず、仲間として、親友として、ローシュを最後まで支え、一緒に戦いたかったというのが彼の悔いのはずです。カミュ自身も自分が不幸にしてしまった妹を助けるという贖罪を果たすためにイレブンくんについてきます。贖罪自体が両者に共通するテーマです。つまり、パッパとの再会を見守るカミュは、親と感動の再会を果たす親友を見守る相棒であり、被害者と遺族の再会を見守る加害者代理でもあるという構図になります。

預言者は物語を通じてここぞと言うときに預言をしていくような印象がありますが、よくよく考えたら、イレブンくんに接触してきたのは大樹が落ちて追い込まれてからだったし、積極的に干渉したのって、カミュへの預言ぐらいなんですよね。ネルセンは初対面でグレイグがバンデルフォンゆかりの者と見抜いていました。おそらくウラノスもカミュとどこかで血がつながっているか、人物背景に接点があり、自分の贖罪を果たす人間が似たもの同士のカンでわかるのはないでしょうか?

実際、カミュの妹が欲してカミュが狙ったレッドオーブはウルノーガが取り憑いた王がいるデルカダールにありましたし、黄金の呪いにかかったマヤちゃんを魔王が六軍王に抜擢するのも最初からそうなるべくしてなった流れなのかもしれません。

カミュは発売前から『ドラゴンクエストVI 幻の大地』の主人公との関連性をウワサされていました。青髪、緑とオレンジの服あたり、色の配置がよく似ています。

カミュ

でも、ウラノス本人が出てくると、ウラノスとも色の共通点が多いことがわかります。明るい水色寄りの髪色は村人でもあまり見た覚えがないめずらしいものですし、緑の服、紫のマントと首飾りあたりは意図的に配色されていると思います。カミュの腰布のマゼンタっぽい色は、魔道士と魔王の両ウルノーガがまとうマントの色にも似ています。仲間のなかでカミュだけアクセントの色数が多く、なんか色がうるさいキャラデザだと思ってたんですけど、これもヒントだったってことかな?

壁画

マントがフードになっているヒントは聖地ラムダの壁画に出ていると思います。ここの絵は邪神が5本指だったり、そもそもローシュも装備が違っていたりするので、あんまり細かい部分をツッコミ出すとキリがないんですが、口承の話をおこした絵って現実でもそんなもんなので怪しむ根拠が特別出てこない限りスルーすることにしました。でも、ここのウラノスの緑のフード姿は、出会ってすぐのカミュのフード姿を意識しているような気がします。

あと、ウラノスがローシュのトドメに得意の魔法ではなく、刃物を使っているっぽいのもヒントだと思います。魔法使いが短剣を装備できるのはめずらしくありませんが、3なら一撃必殺の「どくばり」を連想するんじゃないでしょうか? 非力な魔法使いが不意を突くとは言え勇者を物理攻撃で一撃で仕留められるとは思えません。なにかしらの即死効果を発揮できる短剣スキルをウラノスが持っていた可能性はないでしょうか? パーティーで短剣を装備できるのはカミュとシルビアちゃんです。アサシン系のスキルを覚えるのはカミュのほうです。

マヤ

カミュがウラノスを象徴し、代わりに贖罪を果たす存在なら、妹のマヤちゃんはウラノスから見たローシュを反映した存在ということになります。一人称が「おれ」なのも頷けます。それでもなぜ女の子なのかわからずに、最初気持ち悪いなと思ってたんですけど、もしかしたらベロニカと合わせるためだったのかもしれません。あるいは、それだけウラノスにとってローシュが非力な庇護の対象だったことを示唆しているのかもしれません。

マヤちゃんとベロニカは、全体的な衣服の色が赤で、アクセントに黄色やオレンジが入っています。手首に翡翠のようなブレスレットをしているのも同じです。ベロニカのほうはもう少し青っぽくて、ネタバレイトショーの最後のイラストを見る限りは幼少時にセーニャが着けていたものだったみたいです。ここらへんは神の民の里で受けられるクエスト「二人のバングル」を意識したデザインなのかもしれません。

マヤちゃんはすでに兄に見捨てられて敵意を抱いている状態からスタートします。私の説ではこの時点でローシュの贖罪を果たす予定だったベロニカが死んでいるため、ローシュを殺めたあとの罪悪感を抱えるウラノスを追う展開になるのだと思います。時のオーブを割って戻ってくると手遅れになる前に自分の手で助けられます。

初めてのお願い

最後の最後、このときになってやっと自分から助けてくれって言い出すんですよね。今さらかよと言いそうになりました。相手が自分の問題を解決できる手段を持っていて、そんなに迷惑はかからないだろうと確信できないと安心して頼めないんでしょうかね。でもこういう、人に自分の弱みを見せられず、お願いするのが苦手なところは、それだけウラノスが長いあいだ自分を殺して年長者としてローシュの面倒をみていたことを示唆しているのだと思います。少なくとも、ウラノス視点では。

ベロニカ

あとでベロニカはマヤちゃんと気が合いそうとかなり好意的に話します。最初に読んだとき驚いたんですが、これは似たもの同士で共鳴し合う部分があるということかもしれません。

ただ、驚いた理由でもあるんですけど、ベロニカとマヤちゃんはどちらも勝ち気そうという共通点はあっても、ベロニカの生意気さに輪をかけて、マヤちゃんのほうがずっと、これでもかというぐらい横柄さやわがままさが強く出ている気がします。これはけっきょく、それだけ親しい相手に甘えが出ていることを表しているんじゃないでしょうか? 両親がいないマヤちゃんにとって、兄は唯一甘えられる存在です。ローシュにとっても、年上の親友だったウラノスは素の汚い部分も安心して見せられるほど家族同然に信頼していた相手だったのかもしれません。ただ、勇者としての力が大きくなり、果たすべき使命が大きくなるほど、ウラノスのほうがその甘えについていけなくなった可能性はあります。こういう「わかってくれると思ってた」系の甘えすぎで破綻するのって家族問題でよくあるパターンですよね。

カミュ

カミュは最初、凶悪化した妹を自らの手で殺すことで自分がしでかした不始末に区切りをつけようとします。シルビアちゃんにうまのふんを手渡してやってほしいぐらい追い込まれて視野が狭くなっています。たぶん、ウラノスも根は真面目で繊細で、だからこそ立ち回り方を見失っていったところがあるんじゃないかな。

遅いお願い

独りで自分を追い込んでいるカミュを主人公が制止すると「やっぱり助けたいから協力してくれ」と言い出します。今さらかよ。ワシずっとお前の隣おったがな。

マヤちゃんがローシュの代替的存在であれば、ローシュを殺したくないというウラノスの気持ちを肯定することにもなります。また、ややこしいですが、イレブンくんは勇者という点でこちらも同じくローシュの象徴です。カミュが勇者に弱みを見せて、自分から協力を要請することは、ローシュとウラノスの関係の変化につながるのだと思います。

友情の証

そもそもイレブンくんとカミュの年齢が近いから、わかりにくい話になるのだと思います。カミュが仲間会話で「年下だけどそういうところは尊敬してるぜ」みたいなことを言い出すことがあって、同い年だと思っていたのに驚いたことがありました。どうやら数年は長く生きていたようで、それもあって世話を焼いてくれていたようです。知らんかったがな。でも二人を見比べた感じ、大人になってからだとそんなに差を感じない程度の年の差に収まっているように見えました。ローシュとウラノスも、最初ドゥルダの二人の誓いを見たとき、同年代だと思っていました。でも実際の姿を見ると、親子ほど年が離れているのがわかります。ローシュはどう頑張っても20歳前後だし、ウラノスはどれだけ若く見積もっても40代半ばはいってそうです。イメージ的にはもっと上のジエーゴさんぐらいの年代だと思います。それで親友はすでに無理がありそうな気がします。

年齢が離れているからかならずしも親友になれないってわけじゃないですけど、人間付き合いでライフステージの差って、けっこう大きいと思うんです。たとえば最難関って言われてたドゥルダの最終試練にしたって、前途洋々とした青年期のローシュが達成するのと、長年訓練を積んだ中年期のウラノスが達成するのでは重みが違うはずなんですよね。ローシュは達成したあとにさらにキャリアアップが望めますし、これから試練をクリアした強い男としてモテて、美人と家庭を作ったりとかできるんですよ。若くして偉業を達成するってことは、それまでも成功をたくさん収めてきたわけで、自己肯定感も違います。ウラノスの年代は、そろそろ老後や子供に残せるものを考え始める時期で、体力は衰える一方です。カミュが結婚はしばらくいいって言ってるところを見ると、ウラノスも修行が優先で家族がいない確率高そうです。いても、勇者の仲間をしているぐらいだから、きっと疎遠になってそうです。男性はそれから家庭を作ることもできるでしょうけど、そういう若いころしなかったツケや、やらかしたツケがリアルに返ってくる年代だと思います。ライフプランを立てるときに、手遅れな要素がいくつもあって、挫折感も強くなります。同じことをしていても共感の障害が大きいんですよね。だから、二人は親友というより、本当に保護者と子供みたいな関係だったんじゃないでしょうか? 親友と保護者なら、相手に対して保ちたいと思うメンツが違って当然ですし、片方が一方的に甘えてしまう関係になるのも頷けます。

贖罪

けっきょくカミュは妹を抱きしめて謝り、自分が犠牲になることを選びます。マヤちゃんがこれからも兄と一緒にいたいと願い、涙を流すことで呪いが解けます。ウラノスからのローシュに対する謝罪になるんだと思います。

一度見捨てた妹を危険を顧みず抱きしめる様子は、どこかマルティナの「今度は離さない……っ!」のシーンを彷彿とさせます。きっとみんな本当はローシュのそばにいたくて、置いて行かれたくないんです。仲間8人の最終的な素早さを調べてみたら、ぶっちぎりでカミュがトップで、続いてマルティナ、ベロニカ、イレブンくんと続きます。勇者守りたい組の圧倒的スピード感ですよ。それと、ベロニカがパーティーで一番打たれ弱く、なかなか前に出にくくなっているのも意味があることのような気がします。

今作はウラノスの裏切りをはじめ、魔王の暴走にしろ、ホメロスの嫉妬にしろ、グレイグの盲目にしろ、だいたい信頼関係が築けているはずの人間同士のすれ違いから発生していて、ペルラさんの言うとおり、ちゃんとそばにいて話しとけば避けられそうなことが多いんですよね。それを相手を殺さなければと思い詰めたところから始まるカミュのイベントはある意味象徴的なのかもしれません。

あとはイレブンくんと一緒に宿敵の邪神を倒すことができればウラノスの贖罪は完成するはずだったんですけど、こちらの魔王討伐シナリオでは魔王が邪神を処理してしまうので、けっきょくウラノスの贖罪も果たせなかったことになるんだと思います。だからこそ、カミュは早くグロッタの南に行きたいんじゃないでしょうか? 自分たちの贖罪を果たして、ほかのみんなと一緒に幸せになるために。このときカミュが急激にセーニャに接近し始めるんで気になってたんですけど、今考えれば男女云々より自分が奪ったローシュの代わりに背中を押してやろうとしているだけかもしれません。セニカにローシュが、ローシュにセニカが必要で、ほかに代わりがいないのは、年長者として見守っていたウラノスが一番よく理解しているはずです。

おかんカミュ

もはやオカンの域に達してるカミュさん。カミュがマヤちゃんを大切にするように、ウラノスも本当は、自分の器が追いつかずに暴走してしまっただけで、なによりも優先するぐらいローシュを大切にしたかったんじゃないかな。

でも、逆にこれがウラノスの問題だったような気もし始めています。イレブンくんが時間を巻き戻す前の仲間は、だいたいローシュたちの代わりに贖罪を果たせず、自分の人生でもローシュたちの悲劇を繰り返しているか、必要な成長を遂げられずにいます。カミュは魔王討伐でも邪神討伐でもマヤちゃんと仲直りし、兄妹二人で仲良く暮らしていこうと約束しています。カミュの贖罪で大事なのは、勇者の相棒として“対等な親友の関係”で邪神を討ち取ることなんじゃないでしょうか? むしろ、非力な庇護対象という自分が守るべき存在を作ることがウラノスとカミュの問題だったのでは? マヤちゃんは貧しさから富を欲し、カミュは妹が求めるままにほしがる物を与えようとしています。その結果、妹は身を滅ぼすことになりました。これは過保護な親の末路を象徴していないでしょうか?

私はカミュ・マヤ兄妹とベロニカ・セーニャ姉妹を比べたときに、同じ生みの親がいない境遇でも、前者が奴隷生活で、後者が育ての親二人きちんとそろった家庭という雲泥の差になっているのも気になります。実際にウラノスが貧困層出身なのかもしれないし、たんに自身が生きてきた境遇に対する本人の印象が反映されているだけかもしれませんが、どことなく自分の庇護対象が自分しか頼れない環境を作りたかったからではないかという気がします。

最初にホムラの里に出たあたりからずっと気になってたんですけど、カミュって戦闘が終わるたびにいったん敵側に背中を向けて、振り返ってからケッって感じで悪態つくんですよね。これってけっこう心理的に不安定な様子が露わになってると思います。目線を合わせないのは本能的な拒否や逃避です。背中を向けるのはもっと顕著で、悪態をつくのは本能的な自己防衛のための攻撃です。じつはメンバーで一番戦闘にうんざりしているのはカミュなんじゃないかとずっと考えてました。真面目で責任感があるんだけど、じつは一番ストレス耐性がない長男タイプじゃないかと見ています。記憶喪失になったときのカミュが素の状態であると仮定すれば、説得力は増すと思います。社会に適応するなかであの人格が形成されただけで、もともとは押しに弱い気弱で素直な性格をしているようです。たぶん心の底では自分に自信が持てなくて、そのせいでどこか自分のことを好きになれないタイプなんだと思います。そういう人間が勇者のような圧倒的なパワーに惹かれるのは無理もないことだと思います。

ローシュ

カミュを通じてウラノスが自分のことを好きになれなかったのだろうと思うもうひとつの理由はカミュの髪型です。6の主人公に似てるってさんざ言われてましたけど、きちんと見返したらツンツン頭はちゃんとウラノスの身近にいるんですよね。ウラノスは自分に自信が持てなくて、ローシュのようになりたかったんじゃないでしょうか?

ホメロス

ここらへんは同じくローシュとウラノスの破綻した関係を象徴するグレイグとホメロスの因縁でホメロスがきちんと言葉にしています。ホメロスは賞賛を浴びるグレイグのようになりたかったと言い、グレイグは自分のほうこそホメロスの背中を見てきたと答えます。いきなりこの会話になるので最初に見たときはなんのこっちゃとしか思えず、「オレが」「オレが」「いやオレが」「いやいや、オレのほうが」からの「どーぞ、どーぞ」のダチョウ倶楽部ネタでも始まるのかと思ってしまいました。

カミュの身体的および能力的特徴には、いまいち受け入れられないウラノスのものが残っている一方で、あこがれであるローシュの特徴も入り交じっています。加えて、カミュの装備可能武器に、ローシュにトドメを刺したであろう短剣と、ローシュが振りかざした勇者のつるぎと同じ片手剣があるのも意味があると思います。もっと言えば、カミュの初期装備は短剣のほうです。カミュは勇者殺しのあがないを切望する裏切り者の象徴でありながら、たぶんパーティーで一番の勇者ワナビーなんです。

カミュはパーティーで唯一の左利きです。苗木の映像を観る限り、おそらくローシュ組にも左利きはいません。でも左手は勇者の紋章があるほうです。絶対的な力を誇示するほうの手です。ウラノスには自分を肯定できない気持ちも打ち消せるほどに輝く紋章に見えたのかもしれません。実際にウルノーガはそれを邪神の力で実現しています。そういう意味でウルノーガと対になる象徴のカミュは、イレブンくんの相棒として邪神を倒すために成長するなかで、パーティーで唯一両利きになれるスキル「二刀の極意」を終盤に習得できるようになります。ウラノスにとって左手があこがれの対象なら、右手は一度捨てた本来の自分です。カミュが両利きになることは、自己受容の成長を意味しているんじゃないでしょうか? だとしたら、二刀の極意が勇者と同じ片手剣のスキルであり、羨望の片手剣スキルと贖罪の短剣スキルのあいだに挟まれているのも意味があることのように感じます。カミュが最後の最後の終盤に高火力の戦力に一気に成長を遂げるのは、あこがれだけで作った張りぼての皮に自分がなじむアイデンティティをイレブンくんとの冒険で自分のなかに見出せるようになったからのような気がします。

ホメロスとグレイグのやりとりを考えれば、ベロニカが魔法使いになった説明もつきます。ローシュの気持ちを引き継いだベロニカがセーニャと同じ葉のもとに生まれるとき、守ってやれる力がほしいと思ったはずです。でも勇者の力は勇者にしかありません。だから、なにがいいかと考えたときに、かつて背中を見ていたウラノスの光り輝く強大な魔力をまず思い浮かべたんじゃないでしょうか? 似たような帽子に、似たような赤い宝玉の杖をつけて。だからこそ、オープニングでその帽子と杖を捨てて、大人の姿でセーニャを見つけていることには意味があります。

マヤちゃんは兄に対して、子供がかんしゃくを起こすように「助けてくれなかったくせに!」ということを繰り返します。これはウラノスのローシュに対するイメージなので、ベロニカがセーニャに従順さを求めたように、ウラノスがローシュにこういう態度をとってほしかったとも解釈できます。マヤちゃんは兄と二人だけでお宝探しの旅に出ることを望んで兄の帰りを健気に待っています。ウラノスはローシュに子供のまま、自分の庇護のもとにいて、わがままを言って頼ってほしかったんじゃないでしょうか? 実際、わがままなマヤちゃんの保護者をするカミュは、どちらの時間軸でもそれほど苦にしている様子はありません。むしろ背負った使命のように率先して世話を焼いているような気すらします。その世話を焼きたがる傾向はイレブンくんに対しても最初から同じように出ています。元相棒のデクも抜けたところがあり、自分がサポートしてやる必要があります。もとからウラノスとカミュは異様に庇護欲が強いということはないでしょうか? 自分自身の存在意義をいまいち見出せないために、相手が必要とする保護者としてのアイデンティティをその穴埋めに使っていたような印象を受けます。子供にとって父親はいつでも絶大なヒーローですから。

力を欲していたというイゴルタプ長老の言葉と、グレイグとホメロスの関係を見ていると、ウラノスの裏切りはローシュに対する劣等感があったからのように見えますが、カミュとマヤちゃんの関係を見ていると、ライバルというよりはもっと保護者と子供の力関係に近いものを感じます。子供の甘えがウラノスの本望だったなら、関係の亀裂はむしろ反対の自立によるものである可能性が高そうです。これは子供の成長を拒んだ父親の子殺しだったのではないでしょうか? だとしたら、イレブンくんと父親の再会を見守るカミュのシーンは、父と息子という関係もキーワードなのかもしれません。

ウラノスの裏切りは、邪神討伐の旅がまさに大詰めを迎えていたころです。出会ったころは子供で年上の親友に甘えていたローシュも、勇者としての実力と責任感を身につけてどんどん自分のやるべきことを一人でこなせるようになっていき、さらにはセニカという運命の相手も見つけたため、邪神討伐後には自分の家庭を築いてそこに落ち着き、自立してしまう可能性が高かったと推測できます。ウラノスは心のどこかで、自分のすべてを注いで成長を見守った自慢の息子が巣立ってしまい、独り取り残されてしまう年老いた親のような孤独感に苛まれていたんじゃないでしょうか? ましてや心のどこかにもとから空虚さを抱えていたのなら、邪神の誘惑をきっかけに、“勇者のよき保護者”というブランドに固執し、それを自分から奪って裏切る勇者ローシュ自身に爆発した怒りの矛先が向くのもわかるような気がします。勇者を殺すことでそのブランドが消えても、自分のアイデンティティを支える別の力を邪神がくれるわけですから。

ベロニカがなぜ若返ったのかよくわかっていませんが、デンダ一味がウルノーガの配下にあったモンスター集団だったことから、ローシュに非力な子供のままでいてほしいと望んだウラノスの願いが魔力と成長を奪う元凶だったと考えるとちょっと辻褄が合うような気がします。だとしたら大人に戻るペンダントをくれるのが預言者なのにも意味があります。私の読みでは、クロスマダンテはローシュとセニカの夫婦技です。ベロニカが子供だとできません。マヤちゃんは見た感じ第二次性徴が始まったぐらいの年齢だと思います。黄金化で時間をとめているので、これが許容限度なんでしょう。二人のローシュの代替的存在を並べると、どことなく思春期以降の子供の成長を否定したい気持ちが透けて見える気がします。だからこそ、二人の性別は重要じゃなくて、扶養すべき子供であることのほうがきっと重要なんです。

まあ、実際個人差はあれど、思春期真っ只中の男の子のツンケンしたあの感じは「昔はかわいかったのにな~」と思わず言葉がもれるぐらいのさみしさが多かれ少なかれありますよね。

マヤ

時のオーブを壊して二度目にマヤちゃんを助けたとき、一度目のことを夢に見て覚えています。二度目の世界は主要キャラ以外にも、あちこちで「あなたには何度も助けられている気がする」というような感じの既視感を口にする人が現れます。セニカが時のオーブを壊して過去に戻り、歴史が変わることでイレブンくんたちがいた世界が消えてしまっても、きっと同じようにイレブンくんと一緒に果たした成長はそれぞれの魂に残ると思います。

カミュはラストのイシの村で、デクに宛てた手紙のなかで、イレブンくんとの冒険が「オレのかけがえのない宝」になったと書いています。自分を受け入れて、まことの勇者の相棒に成長したカミュの魂は、今度こそだれでも勇者になれる6の世界に行って、ほかのだれよりも高い勇者への適性を示し、そこでかつてともに戦った親友の剣とよく似た伝説の武器を手に真の勇者になるのではないかと私は考えています。

イレブンくんが1の勇者に転生するなら、ルビスに愛されし魂を持つ男です。6の世界には、アレフガルドのルビスとは見た目は違えど、同じルビスを名乗る存在がいます。彼女がロトの親友のために働きかけた可能性はないでしょうか?

6の主人公、レイドック王子の妹は幼くして亡くなっており、物語が始まったときにはもう存在しません。魔王に一度敗れた王子は、夢のなかで自分の実体の世話をしている少女を妹と思い込みますが、やがて冒険を進めるうちに自分にはもう妹はいないと改めて現実を認識することになります。そして実際は他人だった夢の妹とは最後に決別します。夢と現実の人格統合を果たして自分と理想を模索し続けながら、今度こそ勇者になることで、か弱い庇護対象に依存して、偽りのヒーロー感に陶酔する必要はないと気づく成長なんだと思います。

20. ロウについて

おじいちゃんがね、好きなんですよね。だいたいドラクエで家族が仲間になるっていう展開が私の好物すぎるんですよね。5の家族物語とか泣きそうになりますもん。しかも、かわいい、かわいいって言ってくれるおじいちゃんなわけじゃないですか。今までにあんまりない2親等離れの組み合わせですが、今回すごくいいなと思いました。4のブライみたいなポジションかと思ったら、予想を上回る強さだし、途中でガラフ的な展開になりやしないかとちょっと心配していましたが、離脱したりせずに最後までついてきてくれるし、一緒にいてくれるだけでもすごいことやのに最高やなって思ってました。

ムフフ本関連をはじめ、コミカルな立ち回りをする3枚目キャラですが、元ユグノア王なだけあって各地に顔が利くし、社交スキルに秀でていて、知識も経験も豊富だし、仲間会話でもそんなに引っかかる表現がなかったんですよね。16年前の悲劇の生き残りであって、実際につらい経験をして唯一の肉親の主人公勇者を見つけるわけじゃないですか。グロッタからユグノアのエピソードはめっちゃお気に入りです。だいたい主人公の応援してくれるか、死なせてしまったイレブン・マッマとパッパの話をしているので、うんうんと深く考えずに会話を読んでいました。完全にノーマークだったんですけど、私、2周目にやるときにおじいちゃんこそローシュの魂の転生先だったんじゃないかと疑ってプレイしようと思っています。

キナイ

俺だけ 幸せになるなんて できない。

おじいちゃん

この『ドラゴンクエストXI』って、たとえ自分の存在が消えることになっても、おじいちゃんを前世の想い人のところへ送り返してあげる話だったんじゃないかな? キナイ・ユキの話が出てきたとき、ダナトラの悲劇は自分の責任じゃないし、ダナトラの子は自分の子じゃないし、だれかいい人に預けて自分はロミア迎えに行けよって、私正直思ったんですよね。じつは今作のメインストーリーでキナイ・ユキがロミアを迎えにいくパターンをプレイしているんじゃないでしょうか?

ロウ

おじいちゃんがローシュの魂を持つ正確な生まれ変わりでなくても、ウラノスに対するローシュを象徴する存在なのは間違いないと思います。セニカに対するローシュを象徴するベロニカが女の子なので、代わりに男の性欲を爆発させているのかもしれません。おじいちゃんはデルカダール王と非常に仲がよく、16年前にウルノーガに取り憑かれたその親友に国と家族を奪われています。16年前の黒幕がウルノーガだと自力で調べているため、仲間に入った時点ですでにウラノスであるウルノーガに対して強い敵対心を抱いています。また、それまで双賢の姉妹の情報で邪神が目標だったイレブンくん一行のターゲットを魔王ウルノーガに切り替えるのもおじいちゃんです。言い換えれば、おじいちゃんはローシュの復讐心の権化であり、その行き着く先は報復なのだと思います。

いっぽうで、おじいちゃんにはローシュの愚かさも残っており、親友のデルカダール王こそがウルノーガであるという事実に手遅れになるまで気づきません。命の大樹に勇者のつるぎを取りに行くシーンでは、ホメロスが闇のオーラをまとうのを見て「まさかおぬしが……!」と疑い、続いてデルカダール王から分離したウルノーガを見て初めて「まさか王に取り憑いていたとは!」と驚くことになります。ウラノスの裏切りはローシュ一行と邪神の長い因縁を生んだ致命的な最重要課題です。「親友ならおのずとわかってくれる」「まさかアイツに限ってあり得ない」という甘えを持ち、精神的に追い込まれた親友が裏切りに走ることをとめられない、もっと言えば手遅れになるまで気づきもしないのがローシュの罪の再来です。ローシュの最期は背後を振り返り、ウラノスを見てハッと驚いて「なぜだ?」と訊ねて幕を下ろします。ウラノスの答えはないので、自分で気づくしかありません。

ロウはイレブンくんが時のオーブを割って過去に戻ると、このシーンをやり直したときにデルカダール王の様子がおかしいことに自分で気づき、しばらく仲間会話でも考えにふけっています。魔道士ウルノーガが姿を現すと「デルカダール王と何十年も親交のあったわしの目をごまかせるわけがなかろう」といちおう事前に気づいて警戒できるようになります。また、その前の宴が終わった際には闇墜ちしたホメロスが子供のころ純粋そうに見えたと話し、「どんな魔物にそそのかされて人の道を踏み外したものやら……」と考えています。“あり得ない”とはなから弱さを否定することをやめ、弱い心に付け入る魔物と、なぜ付け入られるのかという点を思案するようになることが、ローシュの代わりに果たすおじいちゃんの贖罪なんだと思います。

おじいちゃんが高齢で勇者を見守る保護者のような立場にあるのも、かつてウラノスが勇者と一緒にドゥルダで修行して会得したグランドクロスをのちに覚えるのも、グレイグとホメロスの関係で示唆されていたとおり、ローシュとウラノスの特徴が反転している結果だと考えるとしっくりきます。ただ、おじいちゃんが本当にローシュの生まれ変わりなら、解釈がちょっと変わります。

ロウ

おじいちゃんの宿願はウルノーガを倒した時点で叶えられるので、以降は孫を見守るために冒険についてきてくれているのだと考えていました。なんせたった一人の肉親にして跡取り、さらに愛娘の忘れ形見ですし、うっかり死なれたらたまらんでしょう。ただ、ローシュの生まれ変わりはおじいちゃんかもしれないと考えてからムービーを見返すと、セリフをしゃべる仲間の数が限られている重要な場面でもけっこうしゃべってたりするんですよね。それでますますあやしくなりました。

ロウ

邪神突入時も、「絶対に勝つ……!」と意気込むベロニカと相棒のカミュと同じぐらい重要な隣のポジションを占めています。セリフが相変わらず勇者である孫を応援するトーンなので、最初はピンとこなかったんですが、逆に熱心な支援を強調することに意味があるのではないかと考え始めました。

私がおじいちゃんこそローシュなんじゃないかとあやしむ根拠を以下にまとめます。

その後の描写が一切ない

最初におかしいなと思ったのは、ラストのイシの村で、だれもおじいちゃんのその後に言及しないところです。私が気づいてないところにしゃべる村人がいるのかもしれませんが、私は見つけられませんでした。イレブンくんはユグノア王家唯一の跡取りで、おじいちゃんはずっと復興したいって言ってたんですよね。イレブンくんのイシの村に住むという決断を尊重することはあっても、「子供が生まれたら……」系の話題をエマちゃんとの会話で出すこともできるし、ペルラさんに「おじいちゃんにも手紙を書くんだよ」的なことを言わせることもできるし、そもそも主要キャラ以外にも村の外れに「遠い国の王子でも、好きなほうに住んでいいのよ」的なことを言う女性がいるので、おじいちゃんの情報を盛り込もうと思えばいくらでも差し込めたはずなんですよね。だいたい、ユグノアの復興が落ち着くまでって言って、イシの村で一時的に一緒に暮らしてたっておかしくない存在なんです。ユグノアのユの字もでないってことは、村のそとで歴史が書き換えられていて、おじいちゃんはそっちに必要な魂だったってことなんじゃないかな。

セニカが時のオーブを割ってからほとんど映らない

イシの村でおかしいと思って、もう一度邪神を倒してよくよく映像を見返したら、セニカを送り出したあとの描写もほとんど入らないようになっていることに気づきました。引きの全体絵では確かにいて、落ちる勇者の剣も見つめているんですが、全体的にオーブが壊れる光でいち早く白飛びしてたり、マルティナとカミュがセリフを言うあいだもほかの仲間は一緒に映るのにロウだけが映らなかったりで、蚊帳の外状態になっています。なんか理由がないとちょっと不憫です。

セニカの目線がおかしい?

セニカ

私の気のせいの可能性大です。セニカが勇者のつるぎを時のオーブに叩き下ろすと、一度後ろを振り返って微笑みながらうなずきます。セニカの姿が消えたあと、剣を拾ったイレブンくんも上を見て同じように微笑みながらうなずくので、二人のあいだのやりとりのように見えるんですが、セニカの目線が向かう先を意識して、次のイレブンくんが絵に入るまでズームアウトするところを見ると、私が気にしすぎなのか、どうもイレブンくんよりちょっと奥を見ている気がします。

セニカの目線

イレブンくんの左手、セニカから向かって右手には、グレイグ、マルティナ、ロウの三人がいます。おじいちゃんへの合図だったりしませんかね?

名前が似てる

ローシュ(ロウ主)とロウって似てるよねっていうだけの話です。いや、パパスとマーサ夫婦がいたシリーズなので、まあ……。

紋章がそれっぽい

ロウの紋章は発売前に一番ロトっぽいと言われていたものでした。それは下半分が広げた鳥の両翼のようになっているからです。上半分と鳥の胴体にあたる中央部は主人公の勇者の紋章を逆さにしたものに似ていますが、王冠のようになった上の部分の突起が3本に減っています。それ好きやなって言われそうですが、やっぱり仲間の数と合うんですよね。勇者の紋章は突起が5本で両端が長くなっています。聖地ラムダの双子の紋章をひっくり返した形とちょっと重なります。両端が双子で、五つの芽が出た種を二人が支えているようなシルエットになっていて、こちらもイレブンくんの仲間の数と同じです。だからおじいちゃんの紋章も、一度あの三人の仲間と一緒に落ちた勇者が不死鳥のように蘇る的なモチーフだったら通じるかなって思ったんですけど、ほかの仲間の紋章がまったく説明できないので、これだけとりあげても感が自分でも否めないです。

ちょっと強すぎる賢者

まず老人っていう弱くて当然の基本設定があるんですよ。賢者って、呪文職の完全上位互換である3の世界観だととくにですけど、セーニャもなれないって嘆くぐらい、それだけでもけっこう普通に、勇者の次ぐらい選ばれし者なんですよね。だからこそセニカが特別なんですし。最初おじいちゃんが賢者系だと気づいて、ウフフ本もあるし、もしかしたら遊び人ルートかもしれないって思ったんですけど、最終的なつよさの数値を見る限り、けっこう双賢の姉妹といい勝負してる印象を受けます。ベホマズンは覚えませんけど、3なら勇者の専売特許なので、逆に覚えないほうが自然な気がします。しかも、おじいちゃんは呪文以外にもグランドクロスも覚えるし、ドゥルダ育ちもあってツメ装備の格闘もできるし、かなりのオールラウンダーです。少しのあいだだけ全盛期の強さを取り戻すマルティナとのれんけい技がありますが、調べてみたら呪文関連のつよさが1段階あがって、身体能力の強化が2段階入るみたいです。ある程度なら先行して単騎突入してもおかしくない万能勇者タイプです。おじいちゃんがローシュでなくても、オルテガに転生する線でも納得できそうです。

ロウのようになることなかれ

おじいちゃんはローシュとウラノスと同じくドゥルダで長年修行を積んだ唯一のメインキャラクターです。素質は申し分なく、伝説の弟子と呼ばれるにふさわしい能力を示すいっぽうで、ニマさまに怒られたいというだけで修行を途中で放棄することがあったりと、「ロウのようになることなかれ」のフレーズが郷に定着するほどの醜態もさらしています。「ロウのようになることなかれ」は「ローシュのようになることなかれ」で、イレブンくんのために残された教訓とはとらえられないでしょうか? ローシュもイレブンくんより個人の能力自体は高かったのではないかと思われる描写がありながら、自身の人間の器に起因すると思われる人間関係のこじれで邪神討伐に失敗しています。

16刻みの紋章を描く

上でも取り上げた、冥府でグランドクロスを覚えるときのロウの画像です。

グランドクロス

ニマ大師が「大樹の紋章」と呼んでいます。本作6、8、12刻みのパターンが多くて、16はまれなんですが、私がよく説を立てている仲間の総数だとしたら、ロウが蘇るローシュである可能性があるんじゃないかな~なんて。でも、グランドクロスはもとはウラノスの技だから、これがロウ独自のものなのかどうかもあやしいです。

そもそもイレブンくんの物語を最初から把握してね?

あらすじ

ちょっとメタい推理ですが、今作の真エンディングはイレブンくんの冒険が本になって語り継がれているという体で3の冒頭シーンにつながります。私は時の番人になってイレブンくん一行を見ていたセニカが過去で本を書くのが一番自然かなと思ったんですけど、よくよく考えたら仲間になる前から毎回セーブデータ読込時に「これまでのあらすじ」を教えてくれてたのはおじいちゃんなんですよね。最初はパーティー唯一の元王様だから、1~3の王様の前から冒険再開するところにかけてるんだと思ってたんですけど、エンディングの本を見てからこれを見ると、こっちも映像がセピア色のエッチング風に変わってて、ちょっとイレブンくんの冒険記の挿絵っぽくなってるなって思ったんですよね。おじいちゃんがローシュに戻って、勇者パゥアーでアレしてコレして記憶取り戻して語り継いでくれている……とか?

セーニャ

でも、さりげにセーニャも最後に「長い……冒険の物語」とメタい表現をしてたので、本はやっぱり大樹の双賢の姉妹がらみかもしれません。こっちのほうが自然だし、ぜんぜん自信ないです。

キナイ・ユキはキナイの祖父

セニカの象徴だと思うって上に書いた人魚ロミアのイベントですが、最初キナイとキナイ・ユキの関係をイレブンくんとローシュに当てはめていました。そのあとよく考えたらイレブンくんの祖父はロウなのでした。そういえば、育ての親であるテオ・ペルラ父娘も似た構成の系譜なんですよね。でも自由なトレジャーハンターだったテオに対して、ロウには国を治める責任があって、あとでマルティナも拾うし、やっぱロウのほうかなと思いました。キナイ・ユキはもう亡くなってたけど、年齢推定したらロウとも近いんじゃないでしょうか? そもそもネーミングから推測すると、キナイが“来ない”で、ユキは“行き”だと思うので、おじいちゃんのほうが最終的に迎えに行くことを示唆していそうな名前です。

ロウ

おじいちゃんはことあるごとにイレブンくんの両親を死なせてしまったと後悔を口にしています。でもおじいちゃんはそういうことを多少言ってもしょうがないぐらいの経験をした人物なので、あまり違和感がありません。強いて言えば、二人の死にわりと“罪悪感”がともなうのがちょっと気になります。あの16年前の状況で、みんなを助けられる方法を今も思案しているんでしょうか。 

キナイ・ユキは愛するロミアとの暮らしと、みなしごになった元婚約者の子供を浜で育てる暮らしを天秤にかけ、自分の幸せばかりではダメだと決断して、子供を育てあげ、ロミアを残して浜で独り死ぬことを選びました。いっぽうのおじいちゃんは、冒険開始時からすでに娘夫婦を失っています。もしおじいちゃんがローシュの生まれ変わりで、キナイ・ユキの人生がメタファーなら、おじいちゃんはユグノアよりセニカを選んで、その代償として16年前の悲劇が起こったとは考えられないでしょうか? ローシュに戻るためには贖罪が必要で、そのためには勇者が必要で、だからイレブンくんが自分の血筋に誕生し、その光に釣られてウルノーガと魔物が押し寄せてきて、すべてを奪っていったという感じです。本人に自覚がない可能性も十分あると思います。おじいちゃんの言動には芝居ではできそうにないものもたくさんあります。ただ、どことなく、責任みたいなものを魂で感じるのかもしれません。それが娘夫婦への罪悪感と孫息子に示す愛情に現れている可能性はないでしょうか?

ロウ

もっと言えば、おじいちゃんにはイレブンくんに対する愛情はそれほどないのかもしれません。上の画像のシーンで見られる一連の語りだって、孫の存在が含まれずに進みます。娘夫婦の墓の前で泣く姿は偽りなく見えますが、これ以外にもたまにイレブンくんに対する態度がよそよそしく感じられるときがあります。ずっと離れて暮らしていたし、16年前の悲劇の元凶とも言える存在なので、急に距離が縮まらないのは当たり前っちゃ当たり前なんでスルーしてたんですけども、娘夫婦の死を嘆いたあと、「でもお前がいるから」ととってつけたように言ったりとか、孫だとわかったわりにはもったいぶってユグノアに呼んどいて、娘夫婦に見せてやるとこで泣き出しちゃったり、エレノアの手紙ですぐ号泣したり、魔王討伐後のエンディングではイレブンくんそっちのけで墓の前にずっといたり、どことなく娘が最初で次が婿、最後の最後に孫っていう方式がチラッチラッと見え隠れするんですよね。

ロウはムフフ本のネタが多いのでスケベなイメージが定着していますが、あまり手のつけられない女好きという印象は受けません。それは生身の女性に手を出している形跡があまりないせいだと思います。CEROの問題で描きたくても描けない話なのかもしれませんが、そもそも王位に就いても娘一人しか残さず、婚外子も作らず、後妻をとっている様子もなく、けっきょく娘婿に王位を継承させているところから、四六時中生身の女に触ってないとダメなタイプじゃないような気がするんですよね。いっぽうで、ムフフ本の収集は若いころからしているようです。奥さんはムフフ本に寛容だったみたいですが、もともと夫婦の営みに無頓着で、妻としての女のプライドもあまり持ち合わせていない優しい性格の女性だったとも考えられます。勝手な推測ですけど、ロウは昔からセニカの幻影にとらわれていたんじゃないでしょうか? ムフフ本の類は、男性の相手をともなわない自慰行為の象徴でもあります。おじいちゃんは自分が求める女性を現実で見つけられず、幻想のなかに求めるしかなかったんじゃないでしょうか? ローシュの生まれ変わりであれば、ローシュの魂を揺さぶるのはセニカしかいません。そういう点では、拾ったマルティナにセニカと似た外見上の特徴があるのは、まさに時の番人の呪いかもしれません。

ダナトラの娘

こじつけかもしれませんが、キナイ・ユキが赤ちゃんを拾うシーンを見返したら、赤ちゃんの瞳がマルティナに似た紫でした。ロウに自覚があるのかどうかわかりませんが、セニカを選ぶ代償が大きすぎて、ユグノアが滅んだ時点で一度キナイ・ユキのようにぽっきり心が折れてしまったのではないでしょうか? 自覚がなくても、少なくとも魂レベルで、自分の選択の犠牲を眼前にして、その大きさを痛感したため、自分の幸せを完全に諦めることにして、悲劇に巻き込まれて母国から突き放された親友の幼い娘を代わりに大事に育てることが自分の責務だと考えるようになったとしたら、ロウが捨てたセニカへの想いを受け継いで、16年前のそのタイミングで聖地ラムダに仲睦まじい聖賢の姉妹が遣わされたと考えることもできます。そしてベロニカは勇者イレブンと、勇者ローシュの魂を持つロウの身代わりとなってローシュ代表として死に、セーニャがセニカ同様に独り取り残されるわけです。

アーウィン

ロウの人生とキナイ・ユキの人生を対比させるなかで、明らかな差として浮かび上がるのが娘婿であるアーウィンの存在です。キナイは母親が差別に負けずに村の男と結婚して自分を産んでくれたと話していますが、その父親は作中不在で、物語の展開にはまったく絡んできません。対して、アーウィンの物語は中盤の大きなイベントとして用意されています。

イレブンくんの父親であるアーウィンは、もともとユグノア王国の騎士でした。グレイグやホメロス、シルビアちゃんの実家を見るに、この世界の士官候補生は仕える城や訓練施設に幼いころから住み込んで教育を受ける習慣があるようです。アーウィンも子供のころからユグノア王家のそばで育った可能性があります。仮にどこか別のところからヘッドハントしてきた人材でも、王家の血筋にない彼を即位させるためにロウがかなり親身になって協力していたことが日記に書かれています。アーウィンはロウにしてみれば娘婿であり、血のつながりがなくてもそばで成長を見守り、その成長に身を尽くしてきた息子のような存在なのだと思います。私の読みでは、ウラノスにとってのローシュのような存在です。つまりロウはアーウィンを亡くすことで、ローシュを失ったウラノスと同じ苦しみを味わっています。

おじいちゃんがローシュの生まれ変わり説は私の勝手な妄想の域を出ない説ですが、私の妄想だと、ロウがローシュとして果たすべき贖罪は、親友の心の機微を察せるようになることでもなんでもなく、己の身をもってウラノスの悲しみを実際に経験することなのではないでしょうか? 年老いて、家族を亡くし、故郷を去らねばならず、社会的なステータスを奪われ、親友に去られ、手塩にかけて育てた子供を失い、さらにもう一度やり直すという自分の願いのために、やっと見つけた唯一の肉親である孫の勇者さえも犠牲に捧げなければならない――そういう人間の痛みを知ることがローシュの成長であり、一度勇者として失態を犯したせいで失ったものを取り戻すために必要な代償だったんじゃないかと思います。

おじいちゃんがローシュなら、きっと無意識でも幼いころから前世の咎とセニカの幻影に取り憑かれて苦しんできたのではないでしょうか? 王位に就かなければならなくなったとき、結婚したとき、娘が生まれたとき、退位したとき、孫が勇者とわかったとき、ユグノアが滅んだとき、マルティナを見つけたとき、いろいろなタイミングで前世から背負ってきた自分の咎と、自分は幸せになってはいけないという罪悪感と、果たすべき責務のあいだで雁字搦めになって、ずっと自分の幸せが後回しのまま、ただ大事なものを奪われて復讐しか残らない人生を送る人なのだと思います。

ロウ

おじいちゃんが抱える苦しみは、時のオーブを割る場面によく出ていると思います。私はなんとなく、おじいちゃんはたった一人残された孫を失うかもしれない恐怖と苦しみ以上に、自分のために孫を犠牲にする罪悪感を魂のどこかで感じとっているんじゃないかと考えています。おじいちゃんにはあのまま、ローシュではなくロウとして、セニカのことなど忘れて、魔王討伐と世界平和という勇者としての使命を果たした孫を労い、孫の人生を優先してあげるという選択肢もありました。それができない己の無力さを痛感するのが、たぶんローシュの贖罪です。

ここまで償いをしないといけないなら、やっぱりウラノスの裏切りはローシュの自業自得という側面もあったんじゃないでしょうか? 他人が経験した自分を失う悲しみを、年老いた状態で同じように経験させられているという私の読みが正しければ、ローシュ側がそれまで世話をしてもらった恩を忘れてウラノスを邪険に扱ったか、明確な拒絶反応を示した可能性だって考えられます。思春期以降の成長の否定という推測が正しければ、セニカの登場が力関係を変えた可能性もありそうです。

師匠とロウ

ところでおじいちゃん、ニマ大師をすごく慕って子供っぽい態度を見せますよね。やっぱり母親代わりみたいな感じなのかな? ある意味これが理想の関係だったんでしょうかね? あと、このときのおじいちゃんも、わりとイレブンくんのこと気にしてない節ありますよね。

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