映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』を観て映画館で泣いた話。
みんな、自分のジョン・コナーは育てているか?
去年の11月8日は親の法事があって丸一日休みをとっていました。兄弟だけでこぢんまりと集まって、久しぶりに遅めの昼食を一緒に食べたあと、ブラブラと日中の繁華街を歩いて買い物をしていたら、なんかいつもと違うことをしたくなり、レイトショーで公開初日だった『ターミネーター:ニュー・フェイト』を観ることにしました。ちなみに、さらにこのあと同日にリリースされたゲーム Death Stranding も日付が変わるころに購入したんですよね。すでに懐かしいなぁ。
本当は映画を見終わってからすぐに感想を投稿しようと思っていたんですが、やっぱり往年の人気映画シリーズなので、公開された直後からかなり賛否入り乱れて――というよりも、おもに年季の入ったファンによる「がっかりした」系の批判が主流となってインターネットは賑わっていました。私は今作の出来にかなり感動したほうの人間なんですが、その感想を公開直後にブログに書きつづってしまうと不用意に検索でアクセスを集めてしまうかもしれないなと考え直しました。DVD も発売されて落ち着いてきた今、本作の感想や、過去作品を観てあらためて気付いたポイントなどをまとめておきたいと思います。
『ターミネーター:ニュー・フェイト』は映画『ターミネーター』シリーズの35周年を記念して作られた6作目であり、生みの親であるジェームズ・キャメロンをふたたび製作スタッフに迎えてリーブトが図られている点から、シリーズでも随一の人気を誇る第二作『ターミネーター2(以下、T2 と省略)』の正統な続編に位置づけられています。ほかにも、サラ・コナー役のリンダ・ハミルトンとターミネーター役のアーノルド・シュワルツェネッガーが、シリーズを象徴するコンビとして帰ってきた点も大きな話題になりました。
『ターミネーター』シリーズは今回の最新作が製作されるまでにも、ジェームズ・キャメロンの手を離れて続編が作られてきましたが、今作ではそのあいだの作品がなかったことにされています。それでも、私がサマー・グローちゃん可愛さに見続けていた TV ドラマ『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』の脚本家が製作に携わっていたりして、安直にすべてを切り離して考えることはできません。でも残念ながら、これらの続編や関連作品まで取りあげていると文字数が恐ろしいことになるので、今回比較するのはシリーズの原点と、社会現象を巻き起こすほどの人気を博した前作だけにします。
今回はシリーズの新章の幕開けということで、三部作構想で作られているらしいです。私としてはぜひ最後まで描ききってほしいんですが、それも興行成績次第なので、次作の製作話が立ち消えになる可能性も否定できません。そもそも今回あっさりなかったことにされたあいだの続編のなかにも三部作構想だったものがあるので、今作がそのあとを追っても不思議ではないでしょう。それでも私は今作が単体でもいい映画だったと思うし、三部作の序章としても素晴らしい出来だったと考えています。
映画『ターミネーター』シリーズは、人類が開発した機械が人間を敵視して滅ぼそうとしている終末世界を描いています。とはいえ、物語の舞台となるのはもっぱらその未来ではなく、主人公のジョン・コナーやその母親サラ・コナーが生きている現代です。ジョンは機械に文明を滅ぼされた人類を率いて勝機を見出す抵抗軍のカリスマ的リーダーであり、そのジョンの存在を歴史から消すために、スカイネットと呼ばれる黒幕のコンピューターシステムがタイム・スリップ装置で刺客のターミネーターを現代に送り込んできます。シリーズ第一弾では母親であるサラ・コナーがシュワちゃん扮するターミネーター T-800に狙われ、第二弾では別の液体金属タイプのターミネーター T-1000が幼いジョン・コナーの抹殺を図ります。
今回の最新作のあらすじは公式サイトによると以下のとおりです。
メキシコシティの自動車工場で働く女性ダニーは、ある日突然、未来から来たターミネーター“REV-9”に襲われる。ダニーを守ったのは、同じく未来から送り込まれた強化型兵士、グレース。彼女の並外れた戦闘能力により、REV-9を撃退するが、決して死なないその最新型ターミネーターは、再び彼女たちに襲い掛かる。そんな中、必死に逃げ惑う二人を救ったのは、人類の未来のためにターミネーターと戦い続ける戦士、サラ・コナーだった――。
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/terminator-new-fate
ネタバレして詳細に書くと、サラとジョン母子は前作のT2 で機械に滅ぼされる未来を回避し、世界を人知れず救うことに成功しています。しかし、人類を滅ぼした未来の機械は別の時間軸で生きているのか、あるいはすでに送信完了していたタイム・スリップ装置の機能のおかげか、それでも二人のもとに未来から機械の刺客は送り込まれ続けました。そのうち一体が任務遂行に成功し、人類の未来を救う英雄だったジョンはあっけなくこの世を去ります。
自分の命より大事にしていた息子を失って失意のどん底に落ちたサラのもとには、別のターミネーターが未来から現れる場所の座標が「ジョンのために」というメッセージ付きで届くようになります。サラはありったけの武器をかき集めてジョンがいない世界でターミネーター狩りに明け暮れます。
いっぽう、スカイネットの危機を回避した人類は、新たにリージョンと呼ばれる AI を開発していました。こちらはサイバー戦争に備えて開発された代物で、スカイネットとは別物ですが、物語の立ち位置としては旧作におけるスカイネットと同じ黒幕ポジションになっています。ある日リージョンは人類に総攻撃をしかけると、壊滅的なダメージを与えたあとも徹底して人間狩りを続けます。抵抗する人類のリーダーを亡き者にしようと、力をつける前の過去にタイム・スリップ装置で刺客を送り込むのもまったく同じです。作品を通じて描かれる「人類は滅びの運命に抗えないのか」というテーマは、「時代は変わった。運命はどうだ」という本作のキャッチコピーにも見ることができます。
リージョンと戦う人類の抵抗軍は、ジョン同様に未来からの刺客に狙われる自軍のリーダーを守るため、グレースという名前の強化人間を過去に送り込みます。そこに合流するのが、ターミネーター狩りをしていたさすらいのサラおばあちゃんと、亡きスカイネットの指令を達成してからターミネーターとしてのアイデンティティーを失っていたシュワちゃんでした。
追記
蛇足かもしれませんが、回避された未来からターミネーターが続々送り込まれる状況はちょっと飲み込みにくいですよね。初作『ターミネーター(以下、便宜上 T1 と省略)』では、未来からサラを守りに来た人間の兵士カイル・リースが「(未来には)帰れない。装置は爆破されたはずだ。もう誰も来ない。奴(ターミネーター)と僕だけだ」と話しているので、タイム・スリップ装置は1基だけで、カイルが最後の転送者なんだろうと思います。ほかにスカイネットが隠し持っていたとしても、そう多くはないはずなんですよね。どのみち T2 のシュワちゃんが溶鉱炉に沈んだ時点でスカイネットの未来は消滅、あるいは別の時間軸に分岐しているので、あとから送られたとは考えにくいと思います。できるとしたらスカイネットもリージョンの未来に干渉できるようになり、三つ巴のカオスな戦いが勃発します。ここはわかりやすくできないと仮定すると、T1 で T-800とカイルを送り出す前にすでに送られていたターミネーターがいて、時間が流れてそのターミネーターが現れる時代に追いついたってことでいいんでしょうか? そう考えると、サラが自然と最近までターミネーター狩りをしていた点から、スカイネットはジョンがアラフォーのいい年になる、ついこの間みたいな過去にまで刺客を送り込んでいたことになります。スカイネットのタイム・スリップ装置が、分岐した時間軸の概念に関係なく、送り先の日時だけ指定して刺客を送り込める仕様なら、今後スカイネット謹製のターミネーターがどんどん入荷し続ける可能性もありますし、設定を膨らませると、カイルのように抵抗軍の人間が迷い込んでくることだってできるでしょう。……カオスでは? 不思議な点を挙げ出すと、生体組織に包まれてないとタイム・スリップ装置を使えないはずが、T2 では全身液体金属の T-1000がタイム・スリップしている時点でも矛盾があるんですけどね。
映画『ターミネーター』シリーズは、ジョン・コナーが人類を率いて機械と戦う終末戦争もののイメージが強くなっています。B 級映画だった第一弾をはじめ、シリーズ初期は予算や技術的な都合でタイム・スリップ装置という仕掛けが考案されて、現代を舞台に物語が展開していきましたが、VFX が当たり前になった最近の映画業界ではずっとジョンの英雄譚が期待されてきました。今作の出来に落胆して批判的になっているファンの多くは、おそらくこのジョンの活躍劇を期待している人たちなんじゃないかなと私は勝手に推測しています。そうやって見てしまうと、たしかに今作はポイントがズレにズレた駄作に違いありません。だってジョンが開始早々やられて退場しますしね。
私が最初にこの映画を観たのは、「最初からアクション全開ですごい」という先行レビューの触れ込みがあったからです。たしかに本作のアクションはすごいです。ここぞという見せ場がひとつだけあるわけじゃなく、迫力の戦闘シーンが随所にあって、お決まりのカーチェイス劇場もちゃんと挟まっています。アクションシーンが多すぎて逆に間延びしたのではないかとあとで感じたほどです。アクションシーンでさり気なく感動したのが敵のターミネーターの細かい動きがきちんと生理的嫌悪感を煽るようにできているところです。例えば、全力で殴られると関節があらぬ方向に曲がっていたり、立ち上がるときの動きが明らかに人のそれじゃなかったりします。これまでのターミネーターはモーションキャプチャーの都合もあるのか、人間の動きをきちんとしていましたが、そこからちょっとずらすだけでこんなにも違和感が生まれるのかとちょっと感心してしまいました。
でも今振り返ると、自分が感動したポイントとはズレていたと思います。今作が期待以上に自分の心に響いたと私が感じた理由は、リンダ・ハミルトンが圧倒的女優根性で演じたサラに共感できたからだと思います。ただ彼女も還暦超えのおばあちゃんです。大衆受けが命の娯楽映画では不利なキーキャラクターだったと言わざるをえません。うわべだけのセルフオマージュと誤解する人間も、そりゃ出てくるだろうなと正直感じました。かなり酷な言い方ですが、ぶっちゃけストーリー上で存在する意義がないなら、ババアを無理に登場させる必要もないはずなんですよね。
映画を見終わってから、不評に終わったというニュース記事を読んで、自分と周りのこの温度差はなんだろうなと考えて、納得できたのが上のティム・ミラー監督のインタビュー動画です。監督は以下のように話しています。
脚本家たちは、ジョンの物語は語り尽くしたと思ってた。僕としては物語の要はサラで、ジョンは“可能性を秘めた子供”だ。彼の可能性より、母親の愛を描きたかった。新しい未来を語るには、彼の存在を強烈に描く必要があった。そこで冒頭の衝撃的なシーンが生まれた。
【ネタバレあり】『ターミネーター:ニュー・フェイト』冒頭シーンメイキング映像
母の愛を体現するサラのキャラクターのよさが本当に理解できない限り、本作がシリーズ評価に泥を塗るただの駄作になってしまうのは必然だと思います。作品にはさまざまな面があって、一概にこれだけにまとめられるわけではもちろんありませんが、今作は生命賛歌であり、命を育む女性賛歌であると感じました。瓦礫の山と化した廃墟で派手に銃火器をぶっ放しながらマシーンと戦うバトルものを期待すると、焦点が合わずに肩透かしを食らうと思います。そういう点で、男性受けがよさそうな内容ではなく、どちらかというと女性好みの映画に仕上がっているんでしょう。
私が前作と前々作を見返して感動したのは、その生命賛歌やサラの重要性がとくに今作で突拍子もなく始まったわけでなく、シリーズのクラシック作品に垣間見える、ある意味キャメロン伝統芸めいたところがちゃんとあったからです。しかも、そのテーマがきちんと今風にアップデートされているんですよね。以下に詳しく書き出していきます。
キャメロンお手製『ターミネーター』シリーズには、終末を迎えた未来の情景から始まる共通点があって、今作でもドクロが大量に転がる黒い海からマシンの軍団があがってきて、浜辺に隠れた子供の息の根を止めようとするシーンが現実の平和な浜辺につながる形で幕を開けます。こちらの情景はサラの語りであるため、サラが愛息と阻止したスカイネットの未来です。
無慈悲にマシンに踏み潰されるドクロに加え、マシンに殺されそうになる子供の残酷な姿は、機械と人間の対立を象徴しており、前作 T2 で無邪気に幼児のジョンを育てるサラやほかの子供たちごと公園が吹き飛ぶシーンとも重なります。スカイネットは人類の子供の未来を奪う存在です。海から来るのは生存競争の進化でも表しているのかな。
スカイネットに支配された未来は2029年の設定らしいです。あらためて「近ッ!」と感じました。もう目の前というほどの未来ではありませんが、ライフプランなんかを考えていると現実的に考えないといけない年であり、たぶん私みたいな老人にはあっという間だと思います。たいして、今作で描かれるリージョンの未来は2042年に先延ばしされました。サラとジョンが人間社会の滅亡を防いでも、人類は新たな脅威を自ら生み出して自滅する宿命があり、そのことはジョン・コナー殺害に成功した T-800ことシュワちゃんも予測していました。仏教めいた考えですが、物事には何度も何度もめぐる因果があります。
リージョンに支配された終末世界は、一見するとスカイネットの未来の真似事にしか見えません。そもそも作中にはあまりその未来の描写がなく、80~90年代の人間が思い描く未来よりも今風になっているぐらいの印象しか持てませんでした。とは言っても、肝心の未来の描写が必要最低限しかないのは初代 T1 でも同じなので、ある意味これも伝統芸です。そこから勝手にサラ・コナーの母性や、ダニーとグレースの戦う女性像といった観点から掘り下げていくと、リージョンはむしろ人類と全面戦争で対立するスカイネットより、もっと生物進化めいた競争相手になるんじゃないのかなと思いました。つまりマザーコンピューターと世紀末女の母性の戦いです。ちょっとエイリアンクイーンとリプリーの戦いっぽいですけどね。よりよい子孫を残せたほうが未来を勝ち取る戦いなんだと思います。
未来でリーダーとなったダニーについてグレースが語るとき、初代 T1 で核戦争後に機械が行動を開始した表現に使われた「灰から立ち上がる」という言い回しが、ダニー率いる人類の抵抗軍にも使われています。人間も機械も、未来の終末戦争では同じ立場の競合相手なんだと思います。
今作におけるジョン・コナーは、あくまで英雄になる可能性を秘めていた人物の一人でしかありません。人類がどうやっても自滅する宿命を背負っているのなら、その廃墟の灰から都度立ち上がる英雄が生まれるのも必然であり、かならずしもジョン・コナーでなければいけないこともないと解釈するのが自然なようです。
可能性としての未来だ。ちょっと説明しにくいけど。
カイル・リース, 『ターミネーター』
シリーズ第一弾の T1 でサラを救いに来たカイル・リースが、自分が彼女のもとに駆けつけた事情を説明するために、出身地である未来について「今後起こりうる未来のひとつ」というような表現をします。カイルの未来以外に可能性があるなら、そこに上司であるジョンがいない可能性だって十分あります。
今作で重要視されているのは、むしろその人類の抵抗軍を育てる親の生き様だと思います。それはまさに現代を生きている私たち世代の姿です。だからこそ、新しいリーダーとして女性のダニーが台頭したと考えると、現実の性差別云々といった社会問題以上に物語に厚みが出ます。ダニーの母親は作中存在せず、母親の代わりのように彼女が弟や父親の世話を焼いています。彼女は家族を支える人間であり、サラ・コナーのように子供を宿す子宮を持つ女性です。
そもそもキャメロンお手製クラシック作品を観てみると、ターミネーター戦では圧倒的にサラ・コナーが奮闘しています。最初に送り込まれたシュワちゃんをプレス機で押しつぶしたのもか弱いヒロイン状態のサラですし、息子を守るためにやってきたシュワちゃんを溶鉱炉に沈めるのも世紀末オカンと化したサラです。シュワちゃんの息の根を止めるのはリンダ・ハミルトンと相場が決まっています。言わば、サラ・コナー対ターミネーターの戦いが本シリーズの原点になっています。
ママはすごいだろ? いつも先を読んでる
ジョン・コナー, 『ターミネーター2』
サラ・コナーの優秀さは、未来の救世主ジョン・コナーも認めています。逆にサラ・コナーが育てたからこそ、未来のリーダーが誕生したと言ってもあながち間違いではないと思います。カイルがタイム・スリップしていないオリジナルのタイムラインでもジョン・コナーが誕生していたことから、救世主誕生に大きく寄与したのは母親のサラで、言い換えれば父親はだれでもよかったわけです。初代のターミネーターがあの時代に送り込まれたのも、ジョンを存在ごと葬り去れるタイミングだったからという以上に、サラが強くなる前の好機だったからなんて理由もないでしょうか?
前作の T2 では、銃の密輸をしていた元グリーンベレーの男などと息子の教育のために付き合っていたことがジョンの口から語られています。サラはジョン・コナーを立派な指導者に育て上げるためなら、女の武器を駆使することもいといません。本人も父親代わりの男はたくさんいて、なかには怒鳴ったり、酒に酔い潰れたりする者もいたというような話をしていますが、息子の教育に役立つかどうかが一番の判断基準だったようです。ジョン・コナーは、サラ・コナーの母親業の努力の結晶です。
今作で新しいターミネーターの REV-9から逃げる際、リスクを冒してサラの合流を待っていたダニーに対し、グレースはダニーの命がいかに重要で替えがきかないかを説きます。それを聞いたサラは少し戸惑う様子を見せますが、考えをめぐらせた末に「彼女が正しい」と同意します。
これまで人類の生き残りをかけた希望の象徴として、だれの命よりも優先して大事にされてきたのがジョン・コナーの命であり、その昔は依り代であるサラ・コナーの命でした。今作の彼女はただの戦力であり、その命にほかから優先されるような特別な重要性はありません。それはジョン・コナーの存在感にも表れています。彼の生死は人類の未来に関係なく、はっきり言ってしまえば死んでもいいキャラクターです。おそらくダニーもこの世界の時間軸で重要視されているだけで、スカイネットの未来では存在の有無すら描かれないどうでもいい存在だし、人類滅亡の元凶が変わるたびに別の救世主が現れる因果を考えると、さらに第三、第四の潜在的リーダーの存在が示唆されています。ただの強いババアになってしまったサラと、その生死に関心が集まらないジョンの姿は、言い換えれば誰にでも未来のリーダーになる可能性があることを示しています。
しかし新しい未来を勝ち取るためにはその未来を担う新しい世代が必要であり、新世代を育てない限り灰から立ち上がる人類抵抗軍のリーダーも誕生しません。この映画の根本的なテーマは「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という生物としての根源的な祝福なんじゃないでしょうか。
T2 でサラ・コナーは、スカイネットを生み出す元凶となったサイバーダイン社の技術者マイルズ・ダイソンに対して、スカイネット作製の業の深さを説教しながら以下のようなことを話しています。
そうね。未来のことを責めるなっていうの? そうやって人は水爆を作ったのよ。未来を見てない、あんたのような人が……自分ではクリエイティブだと。あんたたちが一体なにを作った? 生命を創造した? 女の胎内に生まれる生命……あんたたちが作るのは死。
サラ・コナー, 『ターミネーター2』
死を招く機械兵器と生命を育む生物の対比はすでにこのころからされており、サラは当時から後者を代表するキャラクターとしての役回りが与えられていました。ジョン・コナーはあくまでその産物です。もっと言えば、死を招く機械兵器も副産物なんですが、ダイソンとサラという男女の生殖機能の差が生みの親に反映されているように感じます。一概には言えませんがなんとなく映画を観るときにド派手で近未来的なマシン戦を期待していたファンも男性が多かったような気がします。上記のお説教を始めたサラを「ママ、そんな話をしてる場合じゃない。戦争を阻止しないと」とうんざりした表情でとめるのも男のジョンです。ダイソンも最初は自己弁護ばかりでなにか行動を起こそうとはせず、妻から「戦争をとめるために協力するんでしょう?」と念押しされてやっと協力するようになります。最新作では未来のリーダーも彼女の守護者も女性です。引退した T-800のカールおじさんですら家庭を持ってフェミニンさが増しています。サラだけでなく、同じように新しい命を育む存在とその姿が今作では重点を置いて描かれていると感じます。
目の前には未知の未来が。だが今は希望の光が見える。機械のターミネーターが命の価値を学べるなら、我々も学べるはず。
サラ・コナー, 『ターミネーター2』
映画『ターミネーター』シリーズでは、ターミネーターが未来から現代に送り込まれてくるとき、古代オリンピックのアスリートの絵にでもなりそうな、片膝をついたカッコいいポーズで現れます。
シリーズ最新作にもこのポーズは受け継がれており、空中に現れた REV-9が落下の末にこのポーズで華麗に着地する姿が描かれます。対抗馬のグレースは地面に激突するように倒れ込みます。この登場の仕方はカイル・リースのそれを連想させます。グレースのお尻から腿にかけての叩きつけられる肉感はありませんでしたけどね。
このことを考えると、やはりグレースもカイルと同じ人間扱いで、今作でもマシンと人間の対立構図になっているんだと思います。ただ、今作ではその境界線があいまいになっています。
今作で未来の人類のリーダーを守るグレースは強化人間です。超人的な能力を手に入れるために機械のパーツを体に植え付けられており、メンテナンスなしに活動を続けると熱暴走を起こすなど、機械に近い特徴も持っています。
前作 T2 で未来から送り込まれた守護者は、人間の味方になるようにリプログラムされたターミネーターでした。人間社会に潜入するために機械の骨格を人間と同じ生体組織で包んだという設定は初代 T1 から存在し、同じく未来から送り込まれた守護者ポジションのカイル・リースは「半分人間」と評して、汗もかくし息も臭いと話しています。蛇足かもしれませんが、TVドラマ『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』では、ターミネーターのモデルとなった人間が実在することも示唆されており、潜入用にターミネーターにインプットされたモデルの人格や性格が、後天的に彼らが取得する人間性のようなものに前世や別人格のような形で大きく影響を与えているようです。
前作 T2 のラストで、別れを拒んで涙を流すジョンに対して、シュワちゃん演じる T-800が、「涙は流せないが人が泣く気持ちがわかった」と話すシーンがあります。ターミネーターが人間の感情に理解を示し、徐々に人間に近づいていく設定は当時からありました。
ジョンと遊ぶサイボーグ……私は突然理解した。ターミネーターは片時もジョンから目を離さず、彼を守る。どなりも、酒に酔いもせず、ジョンを見守ってくれる。そしていざとなれば、命を捨ててジョンを守る。父親代わりの男は大勢いたが、この役割を果たせるのはこのマシンだけ。
サラ・コナー, 『ターミネーター2』
T2 の時点で、シュワちゃん演じる T-800はジョンの父親のような存在になり始めていました。溶鉱炉に沈む前にはサラと握手さえ交わしています。それはマシンと人間の関係に新たな可能性を見出す希望でした。
父性に目覚めたマシンの進化形が、ターミネーターを卒業したカーテン屋のカールおじさんとして今作に登場しています。人間のパートナーを持ち、人間の子供を育て、ターミネーターに反応するはずの犬を手懐け、トレードマークのサングラス着用を放棄し、家族には「もう戻ってこない」と告げます。ターミネーターでありながら、非常に人間味がある存在です。
代わりにサングラスをして「戻ってくる」と宣言をしたのは世紀末ババアのほうでした。サラは初作では敵に狙われるなかで徐々に根性を見せるようになるたくましいヒロインで、次作で強い母親像に変わりました。そして今作では完ぺきに人間離れしています。還暦を過ぎていることも考慮すると強すぎます。お前のようなババアがいるか!! 日本語翻訳では年齢のためにたまに「離しとくれ」みたいな老人臭い言い回しが使われているんですが、個人的にはそういうのが似合わないキャラクターだと思いました。普通に人間を卒業してターミネーターに近づいていると言っていいでしょう。サイバーダイン社の爆破や潜伏のための軽犯罪も含めて、メキシコとアメリカ合衆国の両国から指名手配される極悪人で、犯罪歴にも箔がついています。
もともと「すぐ戻る(I’ll be back)」はターミネーターを演じるシュワちゃんのセリフでした。初作ではサラを狙って訪れた警察署で門前払いされて、車で正面突破という強硬手段に出る前に残すセリフで、次作では敵に包囲されたサイバーダイン社から脱出する際に、一人で片をつけようとサラとジョンから離れる前に放つセリフです。厄介ごとを力業で封じ込める際にターミネーターが放つ言葉であり、そこらへんのババア用のセリフではありません。この背景も含めて考えると、このセリフには過去作のオマージュ以上に今作のサラのキャラクター性が出ているように感じます。
マシンの異様な人間性という点では、今作の新しい敵 REV-9にも当てはまります。この REV-9、登場してすぐ洗濯物を手に呆然とする主婦に向かって笑顔で陽気に挨拶しだしたり、金属探知機を前ににこやかに「全身が武器だ」と軽口を叩いたりして、これまで効率重視の事務的な動作が多かったスカイネットのターミネーターに比べて、最初からかなり表情豊かに人間に近い言動を見せます。
カールおじさんとの殴り合いになると、相手もマシンであることに気付いてハッと驚くような様子を見せたり、最終決戦前にはダニーを守る理由を興味深そうに訊ねたり、非常に人間味あふれる挙動が特徴です。ある意味スカイネットのターミネーターたちの先を行く存在です。
シュワちゃんがターミネーターをやっていた時代は、服の供給源であるチンピラから投げかけられた言葉をそのままオウム返しして言葉のやりとりを学習している様子が描かれています。その様子にチンピラからも「こいつ、少し足りないぜ」と評されています。てか、このシーンのチンピラって映画『マッドマックス』にそのまま出演できそうなほど、絵に描いたような世紀末野郎どもなんですよね。物語が進むとその世紀末野郎どもから学習した語彙を活用して、骨格を覆う組織の腐敗臭に気付いた清掃員に対して、「失せろ、クソ野郎!」とありきたりな罵詈雑言をかけて追い払う成長を見せます。続編の T2 もジョンのお守り役を通じて人が泣く理由に気付くなど、引き続き豊かになっていく人間性が描かれますが、その成長後の特徴を平然と最初から見せる REV-9との差は歴然だと思います。
グレースの強化人間化は、古くは漫画『攻殻機動隊』で描かれた義体のようなサイボーグ化を連想すると、進化ととらえることができます。T-800や REV-9の人間味も現実の AI 研究から考えると飛躍的な進化と呼べるでしょう。終末戦争で対立し合う両勢力は、お互いの要素を取り入れながら進化しています。スカイネットとの争いが異質なものとの対立だったのに対し、リージョン戦ではすでに両者の境界線があいまいになっていて、両勢力がぶつかり合いながら進化しているような印象を受けます。それが抗争というよりかは、生き残りをかけた生存競争のように見える原因なのだと思います。リージョンはある意味、人間と似たもの同士なんじゃないでしょうか。異質なもの同士は、歩み寄って理解を試みることで味方になれる可能性もあるかもしれません。スカイネットのターミネーターは、潜入タイプの個体が人間を学習するうちにおのずと歩み寄る形になり、共存する新たな道を見出しました。でも、根本的に似たもの同士で、同じリソースをめぐって争い合う競合相手なら、争いの本質も解決策もガラリと変わってきます。スカイネット戦とリージョン戦は似て非なるものかもしれません。
映画『ターミネーター』シリーズは、未来の救世主を産む聖母マリアめいたヒロインがいて、その命を狙う人型殺戮マシンと、ヒロインを守護する人間の戦士が未来からやってくるというプロットに端を発しています。自分を聖母マリアになぞらえた表現は作中でもサラ本人が使っていて、サラは物語の中盤まで、自分と同じようにターミネーターに命を狙われるダニーが新しい聖母マリアなのだと勘違いしています。なぜダニーを守るのかとグレースに訊かれたサラは、彼女は昔の自分で、それが最悪の体験だからと答えています。物語が大きく展開するまで、サラはダニーに自分の姿を重ねています。たしかに、サラと同じようにターミネーターから狙われる女性だし、もともと気が強く、どんどん強くなっていくダニーには、サラと重なる特徴も少なからずあります。カイル・リースから引き継がれた終末思想の変人扱いも、前作のサラから今作のダニーに継承されています。
しかしネタバレすると、ダニー自身が未来のリーダーなので、彼女はむしろジョンです。
ダニーとジョンの類似性は、未来の救世主という肩書き以外に、仲間のなかでは比較的まだ非力で、守護される立場にあり、後方支援に徹するという役割にも見られます。前作 T2 でサラが収容されている精神科の病院にジョンがシュワちゃんを引き連れて迎えに行ったあと、追いかけてきた T-1000を車で振り切るシーンがあります。ジョンは後部座席から、前方で銃をぶっ放す母親とシュワちゃんの撃ちきった銃を受け取り、弾のリロードに専念します。ダニー一行も航空機まで REV-9が迫ったとき、カールおじさんとサラが銃を手に彼女の前に立ち、弾を撃ち終わるとダニーに渡すという連携を見せています。物語冒頭のダニーは車両の運転すらできないので、オフロードバイクを乗りこなしてターミネーターから逃げるプレティーンのジョンにすら初期のサバイバル能力では劣る状態です。しかし、最終戦ではグレースに後押しされたダニーが REV-9に致命傷を与えるなど、T-1000戦のジョンよりは活躍する成長を見せるようになります。
ダニーが自分ではなく新しいジョンだと気付いたサラは、「彼女はジョン」とつぶやき、もう一度噛みしめるように「あんたはジョン」とダニーを見ながら口にします。人類最強の世紀末オカンが、知り合って間もない、遺伝子的にはつながりのない、人種すら違う女を我が子認定した瞬間です。こんなババアに目をつけられたら、車の運転ひとつできない小柄な女も、そりゃ人類抵抗軍をまとめ上げるリーダーになれるでしょう。未来のリーダーにしてはまだまだ未熟なダニーが、この時点でサラに我が子認定されていれば、オリジナルのタイムラインで今後カールおじさんと出会うであろう未来のダニーに見劣りしない成長が期待できると思います。
今作で女性のダニーがリーダーになることで、男女差別の社会問題を意識した「女がトップに立ってなにが悪い」というガールズパワーの台頭を表現しているようにも見えます。女は子供を産んでなんぼという考えを体現するサラは、言ってしまえば一昔前の時代遅れな老害で、一見するとダニーの新しい存在に否定されているようにも見えます。でも、聖母マリアとキリスト、サラとジョン、サラとダニーというふうに掘り下げて考えていくと、二人の女性はまったく役割が違い、今作のサラも否定されていないことがわかります。サラは愛息ジョンを失ったあとも、ダニーと出会うことで人類最強のオカンであり続けます。サラはやはり母親なんですね。
本当の多様性や平等というのは、これまで少数派だった人間にもありのままの自分でいる自由と平等が与えられることであって、それまで大多数だった人間を否定するようなことではありません。子供を産まず、バリバリ働く女が肯定されるのと同じように、これまでのようにいかにも女の子らしくかわいい人生を生きて、愛する男の子を産んで産み育てる主婦をよしとする考えかたも否定されるべきではありません。この映画ですごいなと思ったところは、一見すると同じことの繰り返しのような様式美を使っておいて、よくのぞき込むと意味合いがまた違い、新しい要素を取り入れているのに、サラやスカイネットのターミネーターといった古い存在も否定されずに新しいものに昇華されているところです。サラの母性も、T-800の成長を促したジョンの犠牲も、すべてが否定されていません。強いて言うなら否定されているのはエドワード・ファーロングの存在ぐらいです。
T2 で母となったサラは、人類の未来を救うために、なにより愛しい息子が苦しむ未来を変えるために、スカイネットの生みの親となるマイルズ・ダイソンを暗殺しようと一人で行動を起こします。仕留めようとしたそのときに、マイルズに駆け寄って命乞いをする彼の幼い息子の姿を見て、マイルズも自分と同じ家族を持つ人間だと気付きます。サラは自分のことで頭がいっぱいになり、気がつけば憎き宿敵のターミネーターと同じ罪を犯そうとしていました。引き金を引けず、戦意を喪失したサラを助けに駆けつけるのがジョンです。
心配しないで。別の阻止方法を考えよう。いいだろ?
ジョン・コナー, 『ターミネーター2』
ジョンは母のしたことを批判するでもなく、理解を示して別の方法を一緒に模索しようと優しく声をかけます。ターミネーターと同じ存在に落ちぶれようとしていた自分に気付いたサラは、駆けつけたジョンに繰り返し「私を止めに来たの?」と問いかけます。ジョンが肯定すると「愛してるわ。私の生きがいよ」と泣き崩れてしまいます。幼いジョンはこの年齢にしてすでに人の上に立つリーダーとしての素質を見せており、自身の母親さえも救世主然として正しい道へ導こうとします。サラは自分の息子の成長が誇らしかったに違いありません。ジョンもまた、気が狂って自分から離れてしまったと誤解していた母親の愛を確認できて嬉しそうにしています。ジョン・コナーは母親と二人でセットの存在なんだと思います。
サラは普通の母親よりはるかにハードボイルドな子育てを強いられています。それでなくても子供を育てる親は普通に命がけです。無邪気な笑顔のために、金銭的にも体力的にも、親は泥のなかを這うように醜態をさらしながら命がけで動き続けなくてはいけません。子供を10歳まで育てる苦労と、その子供を取りあげられる親の苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。だからカールおじさんと出会ったときのサラの反応は、ハッキリ言って TPO をわきまえた大人の控えめな行動だったと思います。小学校に通い始めて、自分の手が離れ始めた子供を奪われた親にショットガンを与えて、殺人鬼と一緒の空間に置いたら、顔面めがけて銃をぶっ放す親がいてもなんら不思議じゃないし、誰が責められると思います?(まあ、刑法は責めますけどね。)
ジョンの写真一枚持ってない。一枚も撮らなかった。写真がなければ……見つからないと思った。顔が分からなければね。でも私まで忘れかけてる。
サラ・コナー, 『ターミネーター:ニュー・フェイト』
今作で切り札となる協力者が、愛息から命を奪った殺人マシンであると気付いたサラは、その場で仇を討とうとしますが、グレースに制止され、ダニーにも状況を打破できるのなら彼が機械だろうが気にしないと言われてしまいます。協力を求めるダニーの懇願に応えることができず、サラは無言でその場を飛び出して森に入って行きます。心配してあとを追いかけてきたダニーに対し、木に腰かけながら生気を失った様子でサラはポツリポツリとジョンの話を始めます。インタビューによると、リンダ・ハミルトンはこの世のあらゆる悲しいことや暗いことを思い浮かべて、5時間準備してこのシーンの撮影に挑んだらしいです。
森でうなだれるサラはただの一人の母親です。息子を守りそこね、息子の顔さえおぼろげになって、母親失格の自責の念に駆られている、ただの哀れな母親です。息子の顔を思い出せないのなら前を向くしかありませんが、この時点の彼女はそれもできずに過去に囚われています。その話に耳を傾けて慰めるのが、ジョンの代わりになるダニーです。サラはダニーを見つけてふたたび未来を見据えるようになります。サラはやはり我が子とセットで最強になる世紀末聖母なのだと思います。
個人的に、子供を取りあげられたサラの苦しみを想像したら映画館で涙をとめられませんでした。自分の人生の大半をかけて、ありとあらゆるリソースを費やして育てた子供を取りあげられたら、誰だって少なからず虚無の塊になってしまうでしょう。
今作ではその子供を取りあげたカールおじさんも人間の男として新しい家庭を築き、連れ子を我が子のように育てています。ジョンを葬り、そのことから人間の気持ちに興味を持ったことで理解が深まり、人間と一緒にマシンと戦う存在になります。今作ではとくにサラの母性に限らず、新しい命や新しい世代を育む親の姿が重点的に描かれているように感じました。未来を生きる子供を育て、子供が生きる未来のために行動することが重視されています。
ちなみに、たんなるこじつけかもしれませんが、今作の未来の救世主の名前はダニエラ・ラモス、通称ダニーです。ダニエラはダニエルの女性形の名前で、ダニーが愛称になっているダニエルと言えば、スカイネットの生みの親であるマイルズ・ダイソンの息子ダニエル・ダイソンがいます。ラモス家とダイソン家につながりがあることを示す証拠は劇中登場しないので、あくまで名前だけのつながりなんですが、人類滅亡の元凶を作る研究者の息子にして、救世主の母親に親を奪われていたかもしれない男と、救世主の母親の庇護下に入る今作の未来のリーダーがつながるのは興味深いと思います。
今作はシリーズ初期のクラシック作品と比べて、もともとキャメロン節にそういう傾向があったのもあってか、あるいは時代の流れなのか、新しく強い女性像が作品に取り入れられています。オリジナルのサラが体現する母の強さとはまたちがった強さを表しているのが、言うまでもなくジョンの父カイル・リースから受け継がれている本作の守護者ポジションのグレースです。
べつによこしまな気持ちで観なくても、ダニーを守るグレースの関係に同性愛のユリ展開を妄想してしまった人は世界中にいると思います。作品の解釈的にも、子種を残してなんぼのカイルを引き合いに出さずにはいられない役回りなので仕方ないところがあります。サラの「パパとママはお話があるの」といったセリフ回しも、こういった視点を明らかに意識したものだと思われます。グレースを演じる女優さんがプロモーションでこの路線の話をさんざ掘り下げられてウンザリしたというような話をどこかで耳にしたおぼえがあるんですが、当人らはともかく、商業的な部分を考えている大人たちには少なからずそういう打算があったと思います。
私はこういう趣味を持っていないので、性的指向の自由さをこれで描けたのならそれでよかったと考えています。でもグレースのキャラクターの魅力はそういう、ややもすると下品と取られかねない表層的な部分だけじゃないと思うんですよね。
彼女は登場直後から圧倒的な強さを見せつけていきますし、180cm 近くある恵まれた体格も存在感が見事です。シュワちゃんと並んでも見劣りしません。サラみたいな世紀末ババアを上から直角に見下ろすように脅す姿もかなり絵になっています。登場後お決まりの服を奪うシーンも、体格が近い男性の服を奪っていきます。性別云々以前に、完ぺきな戦士なんですよね。
今作の男性キャラクターはけっこう不遇で、不憫な役回りが多いような気がします。ダニーの弟ディエゴも冒頭の逃走劇で文句も言わずについてきて、けっこう役に立っているんですが、カーチェイスの末にあっさり死亡してしまいます。冒頭から仕事をクビにされそうになったりして、不真面目なチャラ男キャラかと思っていたら、死に際まで「姉貴を助けて」と男前なことを言ってグレースに姉を託して退場していきます。男前すぎるやろ。
あと、ダニーを連れてグレースが運転する車で一緒に逃走するとき、カーチェイス時のカイルのセリフを思わせる「早く!早く!」と急かす言動をディエゴがするんですが、それをグレースがめちゃくちゃ白い目で見るのがかわいそうです。
もともと『ターミネーター』シリーズには、未来から来たカイルと交わってサラが救世主を宿すという聖母マリアの受胎めいたテーマが根本にあって、生殖機能を基準とした男女観と切り離せないところがありました。上のほうに、死を招く機械兵器と生命を育む生物の対比として、ダイソンとサラという男女の生殖機能の差が生みの親に反映されているように感じると書いたんですが、これも当時の男女観が根底にあるからであって、現代のジェンダー論だとちょっとこじつけが過ぎるかもしれません。
いちおう生物的な本能として無理矢理説明すると、子供を産む子宮を持っているのは女性だけで、男性は天と地がひっくり返っても自分のお腹を痛めて子をなすことができません。こればかりはどうしようもないことだと思います。だから男性は自分の遺伝子を残す母胎を確保するために競争本能が強くなり、自分の縄張りのために戦争を起こしやすいというような感じです。カイルとサラの関係も、積極的だったのはサラのほうで、これも子を作ることを交換条件にオスを働かせるメスの本能的なものだと考えれば自然です。
ママはパパとたった一晩……でも、まだ愛してる。時々泣いてるよ。
ジョン・コナー, 『ターミネーター2』
サラには最初から聖母マリアの清らかさがなく、どちらかというと女の武器も使うたくましい女のイメージが強いですし、関係が冷めた彼氏がいるので処女でもないと思います。でもカイルと出会ったことで恋に落ち、彼の忘れ形見を必死で育てようとします。シリーズの女性キャラクターが昔から強いのは間違いなくて、か弱いウェイトレスだったサラも、終盤には「立つのよ、戦士でしょ。さあ立って!」とカイルを引きずり回すようになります。
ダニーも今作で非力ながら「私も自分で戦いたい」や「だれも死なせない」という決意を口にして行動するようになりますし、最後のキルボックスを決めるのも彼女です。生まれ持ったリーダー気質をすでに発揮しています。殺人の才能もあるとサラから褒められています。
性的な話以外でカイルとグレースの共通点を挙げるなら、それこそ宗教めいた盲信者のように守護対象を神聖視しているところでしょう。カイルはジョンからもらったサラの写真を宗教画のように大事に懐に入れて持ち運んでいて、サラにも自分から手を出そうとはせず、「僕は君のために来た。愛してる。ずっと前から」と告白したあと、言うべきじゃなかったと後悔する様子を見せます。そこから先に誘うのはサラのほうです。あくまで本人の談ですが、聖母マリア並みの貞操観念でピュアさを保っていたのはむしろサラよりカイルのほうだったと思います。なんか生け贄の生娘だったのはカイルのほうだったみたいなオチです。こうやって考えていくとカイルも子種を残したらさっさと消されるオスの不遇さがあります。
グレースも過酷な世紀末ライフから助けてくれた司令官のダニーを心底敬愛していて、彼女のために強化人間にみずから志願し、そのことを後悔する様子も一切見せませんし、司令官を守るためなら自分の命は平気で投げ捨てます。両者が戦う理由は守りたい人間がいるからで、その人を想う気持ちの尊さは同じです。
ダニーやグレースは典型的なボーイ・ミーツ・ガール的恋愛展開や、男ならこう、女ならこうといった、いかにもな偏ったステレオタイプ的かつ時代遅れなテーマにもリブートをかける存在です。二人が仮に同性愛カップルだとしたら、残念ながら自然と二人の遺伝子を残す手段はないはずです。これは還暦を迎えて閉経から何年も経っているであろう今作のサラも同じですし、カールおじさんに至っては同棲するパートナーと肉体関係がないことをはっきりと述べるセリフが用意されています。今作のメンバーは全員、自然と自分の遺伝子を残せる生殖機能を持っていません。強いて言うなら、同性愛カップル説を打ち消せば今後の展開次第で新メンバー組が母親になる可能性はありますが、グレースは強化人間で戦闘特化のサイボーグと化しているので、妊娠できるかどうかは疑問です。となれば可能性があるのは、人類の未来を紡ぐダニーぐらいじゃないでしょうか。
ここで一番大事なのは、自分の遺伝子を残す術を持たないメンツでも、社会に属するメンバーとして、みんな次世代の育成に大きく貢献していることです。サラは上でさんざ述べてきたように母親であること自体にアイデンティティーを持つキャラクターですし、カールおじさんはよき夫、よき父として、パートナーの連れ子を自身の息子のように育てていました。グレースは戦士と化して人類の未来を切り開くダニーを死守します。そして守り抜かれたダニーは一度滅びを迎えた全人類の未来を救います。
今作は新しい命を育む重要性を謳いながら、生殖機能ありきの世界観を押しつけるような内容にはなっておらず、チームメンバーも増えたことで、社会のなかで自分の役割を見つけて共闘していくというようなキャラクターの姿勢も描けていて、そういうところがまさに令和の新しい作品だなぁと感心しました。ダニーとグレースがユリだとか、そんなことはこの際どうでもよくて、古いサラを否定することなく新しいジェンダーを描いているのがいいんですよね。
今作の物語は、未来の人類抵抗軍のリーダーであるダニーが、いつもどおり生活を送るメキシコからスタートします。メキシコと言えば、初作 T1 で刺客のシュワちゃんを退けたあと、カイルの子を身ごもったサラが向かった先です。
続編のT2 でも、ジョンの口から幼少期に母子でニカラグアなどの中米で生活していたことが語られるほか、精神病院から脱走してジョンと合流したあともサラがメキシコへの逃亡を計画しており、彼女の勝手知ったる庭であることがわかります。最新作の冒頭でジョンが殺害されるのも中米のグアテマラで、T2 での戦いを終えたあとの母子の潜伏先であったことがわかります。
続いて、ダニーは弟と一緒に勤務先である工場に出勤します。その工場には作業用ロボットが新たに導入されており、代わりに必要なくなった彼女の弟が解雇されそうになっていました。ロボットと人間の対比は、シリーズと切っても切り離せない基礎的なテーマです。
工場は T1 でサラがカイルの支援を得てターミネーターにトドメを刺した最終決戦地です。サラはここのプレス機でターミネーターを押しつぶして破壊に成功しています。最新作でも冒頭の工場での戦闘シーンでダニーの弟ディエゴが、グレースと戦う REV-9の隙を見て上から巨大な機械パーツを落として押しつぶそうとしています。残念ながらこちらは時間稼ぎにしかなりませんでした。
REV-9との追いかけっこが始まると、サラを加えた一行はテキサスにいるカールおじさんを頼るためにアメリカ合衆国に不法入国しようと試みます。アメリカ合衆国は言うまでもなく前作、前々作の舞台です。こうやって一行は最後に作品の顔とも言えるシュワちゃんをメンバーに加えて最終決戦に挑みます。物語が進むごとに今までの舞台に戻っていき、今まで最初からいたなじみの顔がそろっていくように感じました。仮に続編ができるとして、どんどんこのままさかのぼっていったら、未来が舞台になる設計だったりしませんかね?
時系列ではないんですが、本作のラストに公園で遊ぶ幼いグレースの姿をフェンス越しに見つめて、今度は彼女を死なせはしないと誓うダニーのシーンは、前作でサラがたびたび夢見た審判の日の公園と似ています。ただ、サラの公園は彼女のなかの恐れが具現化した悪夢です。もう一人の自分が、まだよちよち歩きのジョンを無邪気に育てていて、彼女のなかの理想が反映されているようにも見える部分があり、その理想は無残にも審判の日の炎で消し飛んでしまいます。対するダニーの公園は、幼いグレースの姿を見つめながら彼女を絶対死なせないというリーダーの誓いをする場面です。現実の未来、つまり三部作の今後の展開につながる大きな違いがあります。これも一見するとオマージュなんですけど、よくよく観てみると意味合いが全然違う例のひとつですね。
スカイネットの審判の日を回避したジョン・コナーがあっさり暗殺されてしまうところを見ると、人類はどうやっても一度滅亡に瀕して、機械の亡骸の上に立ってもう一度文明を再構築する宿命にあるんじゃないかなという気がします。だから今回は三部作の後半でダニー率いる人類抵抗軍の活躍を描いて、今度こそ生きたグレースと一緒にダニーが機械と決着をつけて、人類を新しい未来へ導く結末が描かれるんじゃないかな?
この作品は、ジョン・コナーという救世主の降臨を描く英雄譚じゃなくて、みんなそれぞれのジョン・コナーやダニー・ラモスを育てる親世代にエールを送る物語だと思いました。うちのジョンは世界どころか町内会すら救えるか怪しい男ですが、未来のリーダーだって仲間がいないと抵抗軍を結成できません。新しい命は本当に尊いものです。前作から20年近くたって、シリーズのファンもおおかたいい歳になってるはずだけど、今作がおもしろくなかったという人は、たぶん子供を育てることのよさや重みがわからない人なのかもしれないなと思いました。みんな、自分のジョン・コナーを育てていないの?