新型コロナウイルスの影響もあって、家で家族と映画を観る機会が増えました。いろんな映画を観ているんですが、そのなかのひとつが女優レネー・ゼルウィガーの代表作となっている『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズの最新作『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』でした。彼女は2010年ぐらいからしばらく長期休養をとっていて、たまに出てくる話題と言えば、顔が変わり過ぎて整形のしすぎではないかと書き立てられた数年前のゴシップ記事ぐらいでした。

レネー・ゼルウィガーの顔の変化

しかし、そんな下世話な話題はなんのその、今公開中の映画『ジュディ 虹の彼方に』では見事アカデミー賞で主演女優賞を受賞して完全復帰を果たしています。受賞した際には入れ替わりでステージに立ったヒュー・グラントが『ブリジット・ジョーンズの日記』ネタを交えて「よくやった、ジョーンズ」と彼女の受賞を誉め称えています。

なので、最近の活躍がちょっと気になっていた存在でした。もともと『ブリジット・ジョーンズ』シリーズが公開されていた2000年代前半も、ぽっちゃりブリジットから短期間で『シカゴ』の引き締まったロキシーの体にしあげてきて、歌声まで披露したりして、「この人、女優根性すげぇな」と当時から思っていたんですよね。

どの映画を観ようか悩んでいたときに、たまたま調べたらこのシリーズを締めくくる『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』も数百円で観れるようになっていたので、ちょっと昔を懐かしく思いながら鑑賞することにしました。

製作が難航していたこのシリーズ最新作は、ヒュー・グラントが降板するなどして時折話題を目にすることがあり、ちょうどレネーの変わりすぎた顔つきもゴシップ記事を賑わせていたときだったので、実際に自分の目で仕上がりを観るまでは不安だったんですが、けっこう順当にそれぞれ自然に年齢を重ねた感じに収まっていました。

今振り返ると『ブリジット・ジョーンズの日記』に出ていた昔のレネーがピッチピチで驚きます。今作のブリジットは年相応なのか、ちょっとくたびれた感じが全体に漂っていて、年齢を隠せない感が否めません。お相手のコリン・ファースもかなりナイスミドルになっています。でも、レネーの声って、かなり独特で、そういうのも思い出しながら見続けていると、やっぱり変わらないなぁと感じるところもけっこうありました。ブリジットの部屋もあいかわらず好きなんだわ!

脚本に関しては、今作は期待しないほうがいいと思います。ヒュー・グラントが降板を明かしたときに脚本の出来を理由にしていましたが、観たあとだとちょっと納得できる仕上がりでした。昔のシリーズ作品の完成度には遠く及ばないというのが私個人の率直な感想です。なんというか、都合よく話が進んでキレイにまとまりすぎる三流ラブコメで終わった気がします。これだと往年のシリーズファンにしかアピールできないんじゃないかなと感じました。もともと女性向けの映画だったけど、この作品はとくに、私みたいに家族と一緒に観たりして、男性が観ることになったらつまらないだろうなと心配になりました。

物語のわりと最初のほうから、ブリジットの妊娠に振り回されるマークとジャックの姿を見て、「こんな男はいない」という感覚がどうしても拭えませんでした。それを言うと初作のマークとダニエルが殴り合う流れもかなり素っ頓狂なんですけど、あの作品はその流れすら含めてコメディになっているようなテンポの良さがあって、それはそれでいいと不思議と納得できる勢いがあったんですよね。今作は脚本の出来のほか、会話や演出の間も精錬されていなくて、おかしなところにどうしても目が行ってしまいます。なんか観ているあいだ、痒いところに手が届かないようなモヤモヤした感じがずっとしていました。

昔のシリーズ作品は、ブリジットのうっかりや恥のかきかたにも小気味よさがありました。女性心理の投影云々だけじゃない、普段の会話や交流といった経験から共感できるネタもきちんと盛り込まれていて、“お一人様”女性じゃなくても、登場人物同士の掛け合いのなかにきちんと笑える中毒性みたいなものが脚本にあったんですよね。それでいて、お一人様が抱える現実的な悲哀もきちんと描かれていて、厚みのある物語になっていました。

今作はそこら辺のシャープさが全然なくて、かなり間が悪くグダグダのまま終わった印象を受けます。冒頭のダニエルのお葬式のシーンで描かれるブリジットの弔辞なんて、最初の見せ場でもあったのに肩透かしもいいところだし、かと思えばどうでもいい軽い笑いをいきなり単発でところどころ放り込んできたりして、全体的にストーリーを紡ぐというよりかは思いつきをかき集めた未完成品感が出ていたように感じます。ブリジットが大事なプレゼンテーションの場で、目を覆いたくなるような検索履歴をさらしてしまうシーンはその画面の不自然さのほうに目が行って笑いが薄れるツメの甘さも感じました。ブリジットと敵対関係にある年下の女性上司も、ブリジットの敵なのか味方なのか、いまいちキャラクターの深みを出せずに終わってしまい、「なんであそこにいたの?」という疑問さえ残ります。彼女のキャラクターがもっとしっかりしていれば、ブリジットのキャラクターももっとしっかり描けたんじゃないでしょうか。

全体的にキャラクターの心理の描き方もご都合主義だったので、感情移入しにくい問題もあったと思います。登場人物の唐突に思える言動について考えながら観ていたら、のちのちの展開に持って行くために必要だったんだろうなとわかったりとかして、でもわかったところでなんとなく流れがやっぱり不自然なので違和感が残ってモヤモヤしたりとかもしてました。自分だったら、あるいは現実だったらそれはないなという言動や状況はもちろん、どうしてそういう言動に至ったのか、一貫性がなさすぎて登場人物がそのとき身を置いていた状況をちょっと考える必要があったりして、作り込みの甘さが直感的に映画を観られない弊害も生んでいた気がします。

父親候補の二人を紹介したくないブリジットが苦肉の策で巻き込んだアリ……ナントカさんのネタはいかにもクラシックな展開でおもしろかったんですけど、それでもあの状況でいきなり隣の人を巻き込むことに無理矢理感があるし、ネームカードを見て読めないときにもっと機転がきかないのかという疑問も感じるし、自然な流れとは言いがたかったと思うんですよね。

けっきょく昔のファンが観てくれればいい程度のクオリティで妥協したんじゃないかなと感じてしまう作品でした。個人的にはちょっと残念です。

ブリジット・ジョーンズのFallout 4

そうそう、観ている最中に気になって、思わず画面を一時停止してしまったのが、この背景のバスの広告です。Xbox版 Fallout 4 なんですけど、ちょうどこの映画が公開されたときに売り出されていたんですね。私の感覚ではなかなかの畑違いの商品だったんですけど、こうやって広告が出ているところを見ると、じつは Fallout シリーズもアラフォー女性をターゲットにしているところがあるんですかね? ちょっと意外だなぁと考えつつ、実際は自分も女性から人気の The Sims 4 をやったあとに Fallout 4 をプレイし始めたので、なるほどつながりはわからんこともないと思い直しました。Fallout 4 は本当にいいゲームですよ。もう一度プレイし直すことになっても、また別の新しい楽しみが発見できる新鮮さがあると思うし、どこかのオンラインゲームと違ってプレイすることが苦にならない良さがあるゲームでした。

2016年に公開されたこの映画は、これ以外にも妙に懐かしいネタがあって、登場人物が『江南スタイル』を踊っていたり、当時よく聴いていたリアーナの Stay が流れたりして、シリーズの歴史とはまた違う変なノスタルジーを感じました。

そう昔じゃないけど、なにげなく忘れていってしまうぐらいの時間は経っている絶妙な期間なんですよね。そう考えると、Fallout 4 に夢中になってからこんなに時間が経ってしまったんだなぁと痛感します。そろそろシリーズ最新作出してくれないかな?