親族の法要があったので、また平日に休みをとって出かけてきました。法要はお昼過ぎには終わって、あとは自由だったので、久々に会う兄弟とおいしいご飯を食べたあと、クリストファー・ノーラン監督の新作、TENET を映画館で観てきました。一緒にご飯を食べた兄弟は先に観ていたんですけど、とりあえず、事前のネタバレはなし。一度の鑑賞で理解できる気は到底しなかったので、とりあえず初回はいろんな情報に注意を払って観ることを心がけました。あと、手に入る情報はできるだけ手に入れておこうと思って、パンフレットも買いました。この情報で900円は安かろう。しかし映画のパンフレットを買うのなんて、何年ぶりだろう……。私はパンフレットを買って正解だったと思っています。

満席の観客で賑わうウクライナのオペラハウスで、テロ事件が勃発。罪もない人々の大量虐殺を阻止するべく、特殊部隊が館内に突入する。部隊に参加していた名もなき男(ジョン・デイビッド・ワシントン)は、仲間を救うため身代わりとなって捕えられ、毒薬を飲まされてしまう……しかし、その薬は何故か鎮痛剤にすり替えられていた。昏睡状態から目覚めた名もなき男は、フェイと名乗る男から、“あるミッション”を命じられる。それは、未来からやってきた敵と戦い、世界を救うというもの。
未来では、“時間の逆行”と呼ばれる装置が開発され、人や物が過去へと移動できるようになっていた。
ミッションのキーワードは<TENET>。「その言葉の使い方次第で、未来が決まる」。
謎のキーワード、TENET(テネット)を使い、第三次世界大戦を防ぐのだ。
突然、巨大な任務に巻き込まれた名もなき男。彼は任務を遂行することができるのか? そして、彼の名前が明らかになる時、大いなる謎が解き明かされる――。

TENET 日本語公式パンフレットより

一度観て、この映画の難解さがどういう部類のものなのか、つかめるようになりました。もっとストーリーが複雑なのかと思ってたんですけど、違いますね。理解ができないっていうか、時間の逆行が可能になる現象に感覚が追いつかないんですよね。

子育てしたことがある人だとわかってもらえると思うんですけど、人間も最初、重力とか、当たり前の物理法則に慣れるまで幼少期に苦労しているんですよね。幼児に飲み物をコップに注がせると、注ぎ口を上げればとまるということが感覚的にわからないので、コップがあふれてもとめることができずに、目の前の現実に最初は戸惑い続けます。こういうことを繰り返して、人は自分が身を置く環境の物理現象に慣れていくんだと思います。最初に時間が逆行する世界に入ったら、みんなこんな幼児みたいに戸惑い続けるに違いありません。

慣れてくると順行と逆行が入り乱れる後半の複雑な展開も、細かい役者の演技とか、演出に気づけるようになるんでしょうけど、初回はなにが起こっているのかを追うのに必死で、それどころではありませんでした。むしろなにが起こっていたのかもあやしくて、いろいろ辻褄があわないと考えていたところで、最後にニールと別れる名もなき男が感極まっているのを観て、「あ、やっぱりそういうこと?」と妙に納得できたんでした。もはや役者の演技に共感とかではなく、その表情すらなにが起こっているのかを考察する材料になってしまっているという……(笑)。

ノーラン監督、『TENET テネット』の成績に対するハリウッドの対応に苦慮 – シネマトゥデイ:映画の情報を毎日更新

新型コロナウイルス感染拡大の最中、8月に新作映画『 TENET テネット』の公開に踏み切った クリストファー・ノーラン 監督が、アメリカ国内における興行成績を受けた大作スタジオの対応を「誤った結論を導いている」と Los Angeles Times のインタビュー内で語った。 【動画】『TENET テネット』すごすぎメイキング映像  日本における『TENET …

本国のアメリカ合衆国ではすでにズッ転けたというニュースが出回っていたんですが、私はそれでもすごいと感じました。このコロナ禍でただでさえ映画に逆風が吹いているのに、こんだけ観る人の感覚が試される新作を果敢に出せるのはクリストファー・ノーランの名前があるからだと思います。それでなくても映画やテレビ番組は、観る人の関心をつなぎとめるために物語上なくても成立するエッチなシーンを無理やりねじ込んだりして、工夫せざるを得なくなっています。

エントロピーってなに?

私は序盤の「エントロピーが減少した」の会話で耳慣れないカタカナのビジネス用語が飛び交う会議に間違って出席してしまったような居心地の悪さを覚えました。小難しい専門用語も作中で全然説明してくれませんからね。それでこれだけやれるのは、やっぱり監督が築いてきた人気と信頼があってこそだと思います。

Movie theaters have gone dark. But movies don’t cease to be of value.
When this crisis passes, the need for colletive human engagement, the need to live and love and laugh and cry together, will be more powerful than ever.
We need what movies can offer us.

映画館は闇に包まれてしまった。だが、決して映画がその価値を失うことはない。
この危機を乗り越えた時、人々の集まりたいという想いや、ともに生き、愛し、笑い、泣きたいという願いは、かつてないほど強くなるだろう。映画館はそのすべてを私たちにもたらしてくれる。
だから、私たちには映画が必要なのだ。

クリストファー・ノーラン, 『ワシントン・ポスト』紙への寄稿文抜粋

映画は本当に、私も娯楽として残ってほしいと願っています。いや、正直今回は斜め後ろの席でえずくぐらい咳き込んでいる人がいて、「お願いだからそれで密室にくるのはやめてくれ~!」と思ってたんですけど、ご先祖様に巻き添えアタックを繰り出す未来人の無謀さみたいな逆風に負けずに、当たり前にある娯楽としての地位を取り戻してほしいと願っています。

TENET のパンフレット

物理なんて必須だった高校のときも適当にしか勉強してなかったので、全然わからなかったんですが、購入したパンフレットに東京工業大学理学院物理学系助教の山崎詩郎さんの丁寧な解説が載っていて、正直それにかなり助けられました。ネタバレ全開でこういう細かい解説が載っているのを見ると、やっぱり一般人には独自解釈できない設定だよねとしみじみ思ってしまいます。もちろん、パンフレットは監督の公式見解ではなく、あくまで専門家による第三者目線の解説なんですが、私にはこれ以上掘り下げる知識も教養もなにもありません。インターネットでは、パンフレットが最終戦の解説を投げているという話があったらしいんですが、みんなこれ以上の知識を求めているとか、私とは脳の出来が段違いだな。私はパンフレットの説明を読んだら、妙に納得してしまいました。

私は正直、あとは自分の感覚がどこまで慣れない時間の逆行に追いつけるかどうかだと思っています。その上で、理詰めではない細かな演出を観て、物語の理解を深めたいと思っていますが、今はお腹いっぱいなので、もう一度映画館に行くかは、また機会があるかどうか次第です。映画ファンとしては、ここでもう一度お金を投げておきたい気持ちはあるんですけど、映画館で観ても理解が深まる自信がないので、もう巻き戻しや一時停止ができるインターネット配信が始まってからでもいいかなと思うところもあります。

時間の流れに関する常識の崩壊って、お話のネタとしておもしろいですよね。ミステリーものなんかは、容疑者のアリバイが全面的に崩れるし、私はゲームをよくやるから、ゲームの物理演算シミュレーターでプレイできるとすごくおもしろそうだと思いました。この映画はこのトリックの説明に時間を割かれているので、物語が順行で進んで、あとで同じシーンを逆行で見直すシーンが何回かあるんですが、観る側の感覚が追いついてくると、そういうレビューの時間を省略して、もっと逆行トリックに重点を置いたお話に磨きをかけられそうです。興行的には明るい展望を持てなさそうでも、そういう点で、続編作ってもおもしろいと思います。いろんな可能性を考えられるトリックは非常に興味をそそられるので、数字が悪かったからで終わらせないでほしいなと素直に思えます。

ひとつ面白い逸話があった。もう一人の自分と接触すると起こるという annihilation の翻訳は対消滅だが、英語も日本語もちゃんと発音できるだろうか? 当初は「たい・しょうめつ」と発音されていたが、「つい・しょうめつ」に修正した。そのため、字幕にルビが入っている。逆に、日本の物理学者は annihilation を「アニヒ・レーション」と発音しているが、正しくは「アナイア・レーション」が近い。

TENET 日本語公式パンフレットより

パンフレットには、今作で科学監修を務めた山崎さんが、翻訳の科学監修について語るページもあります。個人的に一番おもしろかったのはこのページでした。ちなみに私が今回映画館で観たのはアンゼたかしさんの翻訳でした。こんな作品の翻訳を請け負ったら緊張で胃に穴があきそう……。「エントロピーの減少」も、最初は「エントロピーの反転」と訳されていたそうですが、エントロピー増大の法則があるので、増減の表現になったそうです。エントロピーすらわからんかった人間に、わかるわけないわ。

対消滅の読みが「つい・しょうめつ」なのは知っていて、じつは驚かなかったんです。というのも、今プレイ日記を書いている小島監督のゲーム、DEATH STRANDING で調べた経験があるからでした。ゲーム本編では、「対消滅」の読みに横文字の「ヴォイド・アウト」が当てられているので、「つい・しょうめつ」の読みを実際に確認するのは難しいんですけど、文字変換の効率を考えて正しい読みを調べた経験が役立ちました。小さすぎるネタだけど、人間、なんの知識が役に立つかわかりませんね。

いやぁ、本当に、この時間の逆行っていうコンセプト、ゲームにしてくれないかなぁ。