前回の記事で無事に K2西中継ステーションまでたどり着き、カイラル通信のネットワークを広げたことで、過去にやりとりされていたメールや文書らしき情報がいくつか出てきました。2通はハートマン、1通はフラジャイルがそれぞれ所属するブリッジズ本部やフラジャイル・エクスプレス本部に送ったものです。のちの考察に関連しそうなので、先に内容を抜き出します。

ハートマンのメールは、アメリ率いる第一次遠征隊が出発したころの約3年前に、デス・ストランディングに関する自身の考えをブリッジズ本部の人間に語ったものです。

結び目で生息するサンゴ

海で生まれた生命は、進化して陸へと進出した。それが定説だが、果たしてそうだろうか。海の生物にとって、陸はストレスがかかる厳しい環境だったはずだ。なのに、なぜ、彼らは陸へと出て行ったのか。
陸生へと進化した魚類の化石の発見場所と、潮の満ち引きの差異が大きかった場所が、かなりの確率で一致するデータが提示されたことがある。
これが意味するのは、潮が引いたあとに陸地に残された生物が、水に戻るためにやむをえず四肢を発達させた可能性があるということだ。つまり、座礁が進化の契機になったということだ。座礁した生物は陸地に適応し、海と陸を行き来できるようになった。
これと同じことが、クリプトビオシスと、結び目に生息するサンゴのような生命体にも起きたのではないだろうか。死の世界から座礁してきた生物は、生と死、時間と無時間の間で生息できる仕組みを手に入れたんだ。信じられないかもしれないが、これらはこの世界で最も進化した生物と言えるかもしれないんだ。

ハートマン

これは以前の記事でもちょっと取りあげたクリプトビオシスの設定情報ですね。クリプトビオシスは『デス・ストランディング』の終末世界に生息するオリジナルの生物で、緩歩動物のクマムシに似ています。結び目でスイスイ泳ぐ姿も確認できることから、死の世界の入り口であるビーチと、絶滅に瀕した生者が残る北米大陸の両方で生息できるのだと推測していました。

このハートマンの文章も加味すると、もとはビーチ側、つまり死の世界の生物だったが、陸地との境界線で活動するうちに北米大陸に取り残されることもあり、生と死の世界の両方で生きていけるようになったと考えるのが妥当なんでしょう。彼らからしてみれば、時間が流れる北米大陸のほうが生存に厳しい環境なんですね。

クリプトビオシス

おやつのようにクリプトビオシスを頬張る、クリプトビオシス大好きなフラジャイルさん曰く、この生物を食べると時雨に対する耐性がつくそうです。このことはフラジャイル嬢がフラジャイル・エクスプレスの本部に2年前に送ったメールで詳しく語られています。

クリプトビオシスについて

私たちはこの虫をクリプトビオシスって、呼んでるの。
DS 以前につくられたどんな図鑑にも、データベースにも載っていない生き物。誰も学名をつけなかったから、いつの間にかこの呼び方が定着したみたい。
クリプトビオシスは、そもそも「隠れた生命活動」という意味。
クマムシとかネムリユスリカが有名だけど、この新しい生物は結び目やビーチでも生息できる。
いままで隠れていた生命、という意味もこめて、荒野を行く配達人がクリプトビオシスって呼ぶようになったの。生命を維持するだけでなく、これを食べた人間にも効果を及ぼす。時雨への耐性も期待できるし、増血作用もある。無敵の生物って言ってもいいくらい。注目されるようになったのはつい最近のこと。でもこの生物の研究が本格的になれば、ビーチや DS の謎に迫れるかもしれないわね。
あなたもひとつ食べてみる?

フラジャイル

そう言えば、同じ座礁体の BT はもはや時雨とセットだし、死の世界で生息していた生物は総じて時雨に強い性質があるのかな。時雨というか、時間への耐性とでも言うべきでしょうか。

クリプトビオシスについては、もうひとつ、これまで考察してきた私の勝手なポイントがあって、それが4対8本脚という特徴でした。この特徴は、絶滅体であるブリジットが例えられていた女郎蜘蛛の特徴とも一致しています。ブリジットは亡くなる間際の病床で、部屋の天井からつり下げられた計8本の黒やグレーのチューブを各4本ずつ、自分の両の脇腹につながれていました。脚がクモの糸を紡ぐ手足、ひいては獲物を捕らえる糸そのものを意味している可能性があります。

Death Stranding

作品のタイトル文字から垂れ下がる黒いへその緒も8本ですし、終盤にアメリと同化する巨大な人型 BT も指がヒモ状に、それもクモの巣のように中央から広がるように伸びています。

BT キャッチャー

クリプトビオシスと同じように、絶滅体も死の世界から座礁してきたと考えれば筋は通ります。もともと住む世界が違う存在で、生まれてくる場所を間違えたみたいな感じです。ブリジットが生死の境をさまようほど重い子宮がんを患ったのは、わずか20歳のときです。生者の世界である北米大陸で、普通の人間の女性として生き、種の繁栄を図ることにそもそも無理があったのかもしれません。いっぽうで、もう一人のブリジットとも言えるアメリは、本体とは別に先に水に帰ってビーチで永遠に生き続け、作中で惜しむことなくその能力を発揮しています。絶滅体の生きがいいのは、どう考えても死者の世界のほうです。絶滅体ももとを正せば、陸生への適応を強いられた座礁体なんじゃないでしょうか。

ブリジットは自分の体の生殖機能が失われても、サムという男の子を養子として育て、命を育む母親として生きようとしていました。死の世界にいるアメリも、滅びの運命を受け入れるか、運命に抗って絶滅を回避する道を探るかで悩みに悩み抜いてサムに未来を託していきました。この物語は、陸生に進化しようともがく座礁体の物語でもあったのかもしれません。

時間の流れがない死の世界では、個が永遠に生き続けますが、時間の流れがある生の世界では、時間の流れによって個が滅びるとともに、自分の血を受け継ぐ新しい次世代の命を育てます。こうすることで進化が促され、厳しい環境での生存にも適した特質を獲得していけます。絶滅体は進化を選んだ死の世界の生き物なのかもしれません。

ビーチで泣く BB

そう考えると、私が BB-28は絶滅体、つまりブリジットあるいはアメリの転生体なのかもと予想していた説もあながち否定できないところがあります。ブリジットがなぜああも必死にブリッジ・ベイビーの研究に没頭していたのかと言えば、生と死の世界の狭間で生きる赤子を、なにかしらよそで適当に拾ってきた養子と違って、自分の子と主張できる特徴を持つ子にできる手段だったからじゃないでしょうか? 生者の世界に生まれた絶滅体のブリジットは、周りの人間と同じように、子を成し、進化を促し、時間の荒波のなかで自分の血を残す道を模索していたんじゃないでしょうか。死の世界のアメリが生まれたのも、母体のブリジットが子宮を失ったタイミング、つまり自分の子を残す生者としての生きかたができなくなったタイミングと一致しています。

古代エジプトの死生観

今回取りあげる3通のメールのうち、最後のハートマンのメールが、古代エジプト人の概念をもとに「肉体(ハー)」と「魂(カー)」について語ったものです。タイトルどおり、今回の記事のメインとして取りあげたいネタなので、画像も以下に貼っておきます。

魂(カー)と肉体(ハー)

人間が死というものを、はっきりと認識したのはいつなのか知っているだろうか?
それは、死者の埋葬を始めた時だと言われている。
人類は死への想像力によって進化してきた。死を畏れ、死を克服しようとした足跡が人類の歴史そのものだ。私にはそう思える。
エジプトのピラミッドや中国の皇帝の墳墓。権力者は大きな墓を作る。いやむしろ、それをつくるために権力や文明があるようにも思えてならない。現世に永遠の痕跡を残し、あの世で永遠の命を得るために、巨大なモニュメントを作った。
エジプト人にとってのミイラもそうだ。ミイラは、死によって肉体(ハー)から分離した魂(カー)が帰る場所を保存するために、つくられた。
仏教の即身仏も、同じだ。死んだ人間がミイラとなって、そのまま仏になる。つまり死を克服し、人を超えるという考えに基づいている。
いま私たちは、ビーチによって死者の世界と結ばれた。死について新しい思想をもつべき時代に突入したんだ。

ハートマン

「ハー」と「カー」という用語は、作中で BT を語るときにもしばしば使われています。古代エジプトでは「ハー」から「カー」が離れることで人の死が起こり、その死後も魂の審判を乗り越えられれば、神の御許で生前と同じように第二の生活を送り続けることができると考えられていました。『デス・ストランディング』の世界でも、「ハー」から「カー」が離れ、永遠に「ハー」に戻ることができない「カー」が BT としてさまよう「ネクローシス」という現象が起きていました。やがてその BT と化した「カー」は生者と結びつくことで「対消滅」の爆発を経て無に還ります。

ここで古代エジプトの話が出てきたので、どういう形で今作の世界観に影響を及ぼしているのか考えてみようと、古代エジプトの死生観をインターネットで検索して簡単に調べてみることにしました。自分なりに「ふ~ん」で終わらせて、今後のプレイ日記に自分の考えを書き添えるだけでいいかなと最初は考えていたんですが、今回あらためて、ひとつの記事にまとめておこうと思い直したのは、予想より根が深そうだったからです。例えば、今作で魂と解釈されている「カー」は、よくよく調べてみると、あくまで人の霊魂を構成する要素のひとつにしか過ぎません。じゃあ、ほかの要素は今作ではどこに行ったんだと考えていくと、意外と世界観全体が、古代エジプトの概念を下敷きにしていたりするんじゃないのかなと思うようになりました。以下に、私なりにまとめたことや考えたことを書き連ねます。

古代エジプト人が考えた人生

エジプトは国土の9割以上が砂漠で、そこにナセル湖から地中海へ注ぐナイル川が南北に流れています。この川がたびたび氾濫を起こすことで地中の塩分が洗い流され、耕作に適した土地ができています。人の集落はこのわずかにできた川下の緑地帯に築かれており、周囲の広大な砂漠は人を寄せ付けない不毛の土地でした。とくに緑地が少ない川上のルクソールでは、西岸が死者の国、東岸が生者の国と考えられていて、西には王家の谷をはじめとした墓が多く、東には生きた人々が参拝する神殿が多く建てられていました。地理的に見ても、ナイル川の西側は広大な砂漠が広がる土地で、かつ太陽が沈む方角でした。

古代エジプトでは20代もそこそこで死ぬ人も少なくなかったと言われています。肉体的な衰えを覚える前に死ぬわけですから、まだまだこれからと考えるのも自然です。だから彼らは現代らしい科学的な「死んだら終わり」という考えかたではなく、死という事象は長い人生の通過点に過ぎないと考えていました。人が死ぬと肉体から魂が抜け、魂だけが神の審判を受けます。その審判を乗り越えることができれば、また肉体に魂が戻り、冥界にあるアアルの野という場所で畑を耕して、神に捧げる供物を育てながら、生前と同じように、同じく審判を乗り切った家族とともに永遠に暮らせるのだと信じていました。

だから魂が帰る肉体を、彼らは死後も必死に残そうとしました。ファラオなど、高貴な人々はきちんと防腐処理を施され、立派な墓に埋葬されましたが、一般人の遺体は砂漠の砂のなかに埋めることでミイラ化されていたようです。

エジプトは太陽崇拝で有名ですが、冥界の王オシリスも非常に有名で、ある意味、太陽神ラーと対をなすような存在と言えます。古代エジプトの人々は、この世が神の魔法で成り立っていると信じており、自分たち人間も神の魔法で生きていると考えていました。その魔法の世界で、主神たる太陽神は実際の太陽の動きと同じく、夜には冥界へ下って、朝が来るとまた天へ昇るとされていて、夜間に二柱の異なる神々が会うことで、お互いの魔力を満たし合う仕組みになっていると想像していました。人々はこの太陽神の動きを自身の生として考え、日没により死を迎えると今度は西の砂漠の先にあるオシリス神のもとへ下り、死の先にある第二の人生を歩む、つまり生と死を通じて、両神の御許で暮らせるのだと考えていたようです。この考えは、死者の体を西に広がる砂漠に埋めて保存しようとした物理的なイメージともつながっています。

「ハー」と「カー」という用語は、そのオシリス神のもとへ行く第二の人生を得るまでの死のプロセスを説明するためによく使われます。ただ、いろいろ調べていくと、先にも述べたように魂の入れ物となる肉体「ハー」に対して、魂と呼べる要素が「カー」以外にもいっぱいあります。まずは以下に書き出します。

ハー

まずは魂の器とも言うべき物理的な体です。死体の保存状態は、オシリス神のもとで送る第二の人生のクオリティを左右するため、非常に重要視されていました。死に際して、口開けの儀式と呼ばれる儀式などが神官によっておこなわれ、生前と同じく飲食や呼吸、発声などの機能を肉体に残そうとしました。魂が神の審判に挑んでいるあいだ、死体は故人の生前の生活を可能な限り描き出した墓で大事に保管され、以下に書き出す魂の各要素を養うために供物が捧げられていました。

サーフ

肉体のハーは魂の物理的な器ですが、第二の人生を歩むために、神の審判を乗り越えた者だけに与えられる不朽不滅の魂の器がサーフです。サーフはハーと同じ形をしていますが、神や死後の世界に存在する者と交流できるようになるなど、ハーとは異なる特質も持っています。死に際して神官により適切な儀式がおこなわれ、死体が適切に保存され、さらに肉体から離れた魂が神の審判を無事に乗り越えて、第二の人生を歩む価値があると証明されたときに、そのハーに新たに生じると言われています。

イブ

古代エジプトでは、人間のもっとも重要な臓器は心臓だと考えられていました。彼らの概念によると、人の心臓は胎児のときに、母親の心臓から分け与えられた一滴の血をもとに作られているそうです。単なる臓器という枠組みだけに収まらず、心臓がもっとも重要という考えかたには、もっと魂に近い心や精神、善悪の根源や徳が積まれるところといったイメージも含まれていました。英語でも心臓を意味する“heart”には「中心」といった意味のほかに、「心」といった意味もあります。古代エジプトの人々にとって、心は感じるだけでなく、感情や意思、思考も、頭ではなく心、つまり心臓に根ざしたものだったようです。現代でそうした機能を司ると考えられている脳は、死体の防腐処理の際にほかの臓器とともに捨てられ、心臓だけが神の審判のために大切に保存されました。

オシリス神のもと、アアルの野で第二の人生を送れるかどうかを判断する神の審判で有名なのは、心臓の計量です。生前の徳が積まれた心臓は、審判にかけられた魂の生き様を本人に代わって雄弁に物語るので、死後の世界にふさわしいかどうかがわかるそうです。もし天秤にかけられた心臓が、真理の象徴であるマアトの羽根より重ければ、それは生前の悪行を意味し、アメミットと呼ばれる怪物に心臓を食べられ、再生がかなわずに第二の死を遂げることになります。第二の人生に不可欠な心臓が滅びることは、魂が帰るべき肉体の損失と同様に、古代エジプト人にとって、恐ろしい本当の死、つまり人生の終わりを意味していました。

バー

たぶん魂という響きや幽霊のような存在を意識したときに、私たちが思い浮かべるものに一番近いんじゃないかなと思うのがこのバーです。その人の個性を表し、「化身」と解釈することもできます。バーはもともと人体に活力を与える息を意味していて、死に際してハーから飛び立ち、生者の世界と死者の世界を行き来して、おのずと活動を続けると言われています。その際の姿は、人頭の鳥の姿が有名ですが、鳥に限らず、ヘビや花など、どんな姿にもなれたそうです。夜にはオシリスのもとに下る太陽神ラーのようにハーに戻ってきて、休息すると言われています。

カー

『デス・ストランディング』の世界で「魂」の対語となっているカーは、上述のバーとよくセットで説明される用語です。カーはバーよりももっと「精霊」の解釈に近いエネルギーのような存在です。生命力や精気、活力などの象徴と考えていいはずです。カーは誕生の瞬間に女神メスケネトによってハーに吹き込まれ、カーがハーから離れることで死が起こります。バーが変幻自在なのに対して、カーの姿は不変です。人間のみならず、万物に宿る本質的な性質のようにとらえられているところもあります。

ハーから独立したカーの役割は、死者が第二の人生を送れるように導くことです。死後のカーは死者よりも先に死者の世界へ向かい、審判をおこなう神の前で死者の弁護にあたったり、諸悪から死者を守ったりします。また、生命力を維持するために、ハーに捧げられた供物からエネルギーを受け取り、神の審判に挑む死者に与えます。

アク

上述のバーとカーは、死者が神の審判を乗り越えて第二の人生を迎えると、ひとつに融合してアアルの野でアクになると解釈されていました。その意味は「(魔法として)有効なもの」であり、統一と復活を果たした生者の「知性」と考えられます。

再生を果たした肉体がサーフなら、その魂がアクです。アクが生じるにはサーフと同じく、神の審判を通過するだけでなく、ハーの適切な保存や神官による儀式などが必要でした。

サーフとアクをもって第二の人生を送る者は、生前の世界に干渉することもできたと言われています。生前の世界に戻って復讐を遂げたり、残された家族にメッセージを残したり、生きた人々の気分に影響を与えたりすると考えられていました。

ハーが埋葬されている墓が荒れると、亡者のように生者の世界をさまようとも言われています。神の審判を越えたあとも、肉体と魂が適切に維持されていなければ、アクが第二の死を迎えることもあると考えられていました。

シュト

古代エジプトの人々が死を迎えて、オシリス神のもとへ下る前の人生は、太陽神ラーのもとで暮らしているというイメージだったらしく、そのため、生者には日の光によってできる影が付き物になっていました。影なしに人は存在できないという考えのもと、ハーを埋葬する墓の内装では、死者や神を模した像や黒く塗りつぶされた人型のシルエットで魂の一部として表されていました。

レン

日本でも「名は体を表す」と言われていますが、古代エジプトでも誕生時に与えられた名前は、その人の魂の一部であると考えられていました。よって、その名が人々のあいだで語られる限り、その人の魂もまた生き続けるという解釈がされており、故人の名前は、墓の内装や装飾品、書物などによく残されています。

『デス・ストランディング』の世界に当てはめた古代エジプトの死生観

ここまでざっくり集めた情報を、具体的に『デス・ストランディング』という作品に当てはめて分析してみようと思います。関連があるかもしれないと私が考えた点を以下に列挙します。

『デス・ストランディング』のマップ

『デス・ストランディング』のゲームプレイは、アメリカ合衆国をモチーフにしたマップを、東側から西側へ向かって移動していく流れになります。

ビーチ姫のプレゼンテーション開始

東から西へ移動するのは、太陽の動きと同じです。けっして死ぬことができない帰還者サムの動きは、古代エジプト人が信じた太陽神ラーのそれとおおよそ同じであり、彼が背負う圧倒的な生者特質とも結びつけられます。

また、ゲーム終盤に到達する西海岸は、死者の世界であるビーチから湧き出す黒い液体によってひどく浸食されていることがわかります。このゲームの北米大陸は、西側から死者の世界にむしばまれています。これも古代エジプトの人々が信じた死者の国の方角と一致します。

古代エジプト人が考える世界は、神の魔法で成り立っていました。『デス・ストランディング』の世界も、慣れ親しんだ物理法則が崩れて、ともすれば超自然的ととらえられる現象がたくさん起こっています。科学的とされる世界も一皮剥けばこんなものというファンタジー要素が含まれているのかもしれませんし、逆に『デス・ストランディング』の世界からは、常識を維持する神の魔法が失われてしまったととらえることもできるかもしれません。世界を維持するラーとオシリスの力が消えてしまったのが、この北米大陸というわけです。

帰還者と絶滅体

東から西へ移動して冥府へ向かうサムが生者代表の太陽神ラーなら、死者の国でサムの到着を待ちわびる絶滅体のアメリはオシリス神に相当すると考えられます。二柱の主神は毎夜、冥界で会うことでお互いの力を補充し合っていました。この物語、例えば配達といったサムの行動ではなく、太陽神のような旅の動き、すなわち東から西へ向かい、地下の冥界を通って、また東へ戻ること自体に意味があったのかもしれません。

サムは当初の目標どおりアメリがいる西海岸へ到達したあと、アメリの上位次元にあるビーチにつながって絶滅の淵に追いやられた北米大陸をまた逆行するように横断して、東海岸側の出発地点へ戻ってきます。西の砂漠の地平線に沈み、冥界を通って、また東から顔を出す太陽のような動きです。

オシリス神はもともと植物の再生を神格化した神で、死を超越する復活を象徴していました。兄弟神のなかでも長男で、ラーから王位を譲られる予定でしたが、それを妬んだ弟のセトによって殺されてしまう伝説もあります。ほかの神話の、例えばギリシア神話のハーデスや北欧神話のヘルのように、最初から死や悪、冷徹さなどのネガティブなイメージが具現化した神の特徴とはちょっと違います。ここらへんの特徴は、絶滅体としてアメリの母体となるブリジットの名前に、人と人をつなぐ橋が含まれていたり、サムを育てる母親として生者の世界で奮闘していた生者寄りの傾向や、ブリジットが息を引き取ったあと、第二の人格であるアメリが死者の国から絶滅体としての力を振るっている展開と結びつけられると思います。

時間の流れ

『デス・ストランディング』において、死者の国の入り口に相当するビーチには、時間の概念がありません。ビーチを経由するカイラル通信はこの性質をいかしたもので、ネットワークが拡大することで過去の情報にまで手を伸ばすことができるようになります。

これに対して、サムたちが生活している北米大陸には時間の概念があるので、時雨が降るとなにかしらの影響で時間の流れが加速してしまいます。

時雨が降ったときの植物

なぜ加速するのかはよくわかりませんが、時雨が降るとサムの足下で草が急速に芽生えては枯れていく演出が入ります。どこかオシリス神の植物の再生を連想させます。

時間の概念がないビーチからやってきたクリプトビオシスや BT たちがこの影響を受けないのは、無時間が本来の生態だからでしょう。これは歳をとらない絶滅体のアメリや、老化のスピードがゆっくりしているという設定があるブリジットにも当てはまります。

古代エジプト人が考えた死後の第二の人生も、適切に準備して迎えれば永遠と考えられていました。冒頭に文章を書き出したハートマンのメールにある即身仏にも似ています。ビーチの無時間の概念には、生前と違い、第二の人生は時間に追われるものではないという古代エジプト人の考えが根底にあったのかもしれませんね。

昼夜の区別

時間の概念があると書いた『デス・ストランディング』の北米大陸ですが、死の世界との境界線が曖昧になったことで、それまで常識だった物理法則が一部、通用しなくなっているとハートマンが語っています。過去の記事にも書いてきましたが、その失われた当たり前の物理現象のひとつが昼夜の区別です。『デス・ストランディング』の世界では、フィールドを何時間うろついても夜になることがありません。上空を分厚いカイラル雲が覆い、アメリカ合衆国だった土地のほかになにがあるのかさえわからない状況です。

メタな話をすれば、昼夜の差をなくすことでゲーム製作の手間が省けたんでしょうが、古代エジプトの死生観における太陽神ラーの動きを考慮すれば、物語の世界観としても、昼夜の区別が生死の区別に直結しているのだろうと推測することができます。あの世界ではもう、太陽神が動かなくなっていたんでしょう。だからブリジットは生者代表のサムのお尻を叩いて、もう一人の自分がいる西へ向かわせたとも考えられます。そうすることで、生と死の世界を維持するエネルギーが満たせたんでしょう。

魂を持たないブリッジ・ベイビーとデッドマン

物語も後半に入ると、デッドマンがサムに、多能性幹細胞から人為的に造られて、再生できなかった7割の不完全な臓器を死者から移植することで生きながらえていると自身の特殊な生まれを明かしてくれます。それゆえに、彼には自分のビーチがないと語ります。

おれの身体の70%は死者の臓器でできている。理由を知っているか? おれに関する噂は全て、おれが撒いたカバーストーリーだ。おれは、フランケンシュタインの怪物なんだ。人為的に“多能性幹細胞”から造られた。ところが再生しなかった不完全な臓器は死者からの移植で補うしかなかったんだ。“誕生”という瞬間がない。おれは、ただの肉人形。魂(カー)のない“デッドマン”。子宮から生まれた者にはビーチがある。あんたにも、BB にも。おれには、そんな繋がりはない。母親とも、あの世とも、ビーチとも。

デッドマン

以前にデッドマンについて詳しく書いたときに、なぜ子宮から誕生しないとビーチを持てないのか、もしや臍帯が関係しているのかといった疑問をチラッと書いていましたが、これも古代エジプトの死生観に当てはめるとわかりやすくなるかもしれません。古代エジプトでは、誕生の瞬間に女神によってカーを吹き込まれて命が芽生えます。また、魂の一部とされている心臓の形成には、胎児のときに母親の心臓から血を1滴わけてもらう必要があります。おそらくこの読みが正しければ、デッドマンは自分の心臓を持っておらず、他人の死体から移植されたもので生きながらえている状態なんでしょう。

ちょっと気になるのは、ブリッジ・ベイビーにもビーチがあるというふうな彼の口ぶりです。ブリッジ・ベイビーは脳死状態の母親の胎内から取り出されて造られるので、「誕生」という瞬間があるのかちょっと疑問ですが、この考えから行くと、帝王切開のような形で母胎から取り出されたときに誕生の瞬間を迎えていると解釈できるんでしょう。エンディングの BB-28の死亡シーンで黒いへその緒が映るなど、BT になりかけているような演出がある説明にもなります。

アメリのビーチで過ごすサム

あるいは、臍帯によるつながりがあるので、母親とビーチを共有しているのかもしれません。この説も作中、元ブリッジ・ベイビーのサムにビーチがある様子が確認できず、幼少期の回想シーンでもアメリのビーチに入り浸っている点の説明になると思います。ママーも瓦礫の下で亡くなり、ハーからカーが抜けてとうにビーチに行っていたのに、死産だった娘を介すことで肉体につながっていました。

母系の血筋

古代エジプト人の考えでは、魂の一部である心臓は母親の血液から作られていました。つまり母系のつながりが重視されています。

サムと養母にあたる絶滅体のブリジット、あるいはアメリには血のつながりがありませんが、物語の展開を見ていると、実母のリサよりそのつながりはずっと強いように感じられます。

赤ちゃんの人形

これは私が適当に可能性を考えているだけの仮説ですが、ブリッジ・ベイビーとしてサムは一度死んでいます。このことを考えると、作中登場するサム自身がすでにアアルの野で送る予定だった第二の人生を送っているとも考えられます。

また、ビーチから北米大陸に送り返されたサムの腹のなかには、クリフォード・アンガーやヒッグスも持たされていた赤ちゃんの人形がありました。この人形が一度死んだサムの魂を補うものとして絶滅体からサムに送られたものならば、もしかしたらそれはとまった心臓も補うもので、古代エジプトの定義でいうところの母子関係がここで成立しているのかもしれません。

心臓つながりで血液の話が出てきましたが、血もこのゲームでは重要な要素です。ゲームプレイ上、サムの生命力は血液ゲージで表されます。作中登場する能力者のなかで、絶滅体によるチート支援を除いて一番能力が強そうなフラジャイルは、ジャンプでビーチに行くたびに鼻血が流れるなどの失血に悩まされるので、血を補うために増血作用があるクリプトビオシスをしょっちゅう食べていました。サムの血は対 BT 兵器の要になっていますし、どうも血液には死者の国のものを退け、生者であり続けるための効果があるように感じます。それは臍帯で母親とつながったブリッジ・ベイビーのように、母親から受け継いだ命の絆を象徴するものだからかもしれません。

ネクローシス防止の火葬

古代エジプトでは再生を信じて遺体を丁寧に保管していましたが、『デス・ストランディング』の世界では反対で、死人が出るとまるで第二の死を高らかに宣告するかのように真っ先に、少なくとも48時間以内を目処に焼却所に運んで遺体を処分してしまいます。扱いが正反対です。

古代エジプトの時代から現在に至るまで、現実世界の遺体は朽ち果てることはあっても、勝手に動いたり、消えたりすることはありません。反対に、『デス・ストランディング』の遺体はネクローシスを起こすとタール溜まりのなかに沈んで真っ先に没収されます。

どのみち肉体がなくなるなら、焼失でも異次元への消失でも一緒だと思うんですが、ネクローシスで死体が行き着く場所に問題があるのか、この方法だと第二の死を自覚できずに魂が BT としてさまようことになるらしいです。あの死体袋はどこに消えているんでしょうね?

いろいろ考えると、『デス・ストランディング』の世界ではもう、古代エジプトのファラオのようにアアルの野で永遠に第二の人生を謳歌することができなくなっているのかもしれません。上のほうに書いた私の考察が正しければ、『デス・ストランディング』におけるアアルの野を取り仕切っているオシリスは絶滅体のアメリです。絶滅体が覚醒して北米大陸が滅びに向かっている真っ最中だから、アアルの野にも変化が起きているのかもしれません。だから死人には潔く第二の死という引導を渡すほかないんでしょうね。その点、サムが太陽神のように東から西へ向かい、絶滅体と接触することは、古代エジプトで言うところの神の魔法による世界の再現を意味し、生者の国だけでなく、死者の国のアアルの野の機能も本来のものに戻せる可能性があった行動だったのかもしれません。

魂を構成する五大要素

人の魂を構成する要素はカー以外にも複数あると、上でいろいろ挙げているんですが、古代エジプトと一言で言ってもいろんな時代があって、その時々で人々の生活が変わるごとに死生観も微妙に変化しています。ただ、全体的にまとめると、人の死を語るときに言う魂とは、だいたいイブ、バー、カー、シュト、レンの5点で構成されているらしいです。

これまた私の勝手な考察なんですが、5という数字は今作において、女郎蜘蛛の8本脚と同じぐらい大事な数字だと思うんですね。

5人の影

例えばエンディングでもビーチに浮かぶ5人組の人影がそうですし、サムがアメリからもらうお守りのドリーム・キャッチャーも五角形をしています。

ドリーム・キャッチャー

私はこの五角形を、作中登場する能力者のことを示唆しているんじゃないかと推測していました。この能力者は、人が生者であり続けるために必要な魂の五大要素を象徴しているんじゃないでしょうか?

ローディング中のサム

ちなみに、サムのオドラデクは人の手と同じ5本の細長いパーツでできています。翼に例えられていた点から、マアトの羽根にちなんで、5枚の羽根とも考えられます。サムのメインの敵対者として作中立ち回るヒッグスは、先が丸い板が3枚ついたオドラデクを背負っています。もしかしたらこれも、サムとは違ってヒッグスには生者に必要な魂の一部が欠けていた表現になるのかもしれません。

心臓

上でデッドマンには心臓がなかったんじゃないかという話を先に書いていたんですが、『デス・ストランディング』で心臓と言えば、ハートマンを置いて右に出る者はいません。

ハートマン

ハートマンは「ハート型心筋症」と医師に診断されためずらしい(架空の)症状で心臓の手術を受けたあと、2件同時に発生してハート型のクレーターを残した対消滅によって妻と子を失っています。その対消滅によって彼が入院していた病院も停電になり、人工心臓の停止で生死の境をさまよった彼はビーチへ行きます。そこで妻と子の姿を見た彼は、ビーチの存在を確信し、以来21分に一度、日に60回も3分間の心停止を起こしてビーチに家族を探しにいくようになります。彼の研究所があるのもハート型のクレーター湖のほとりで、「あのクレーターは私の心臓、分身で、妻と子供だ」と語ります。

彼の能力は、本来なら個人にひも付いているほかの人固有のビーチとつながるビーチを持っていることです。そのビーチでひたすら家族を探し続けて、ハートマンは一緒に死ぬことを夢見ています。彼は死を極めて前向きに受け止めていて、能力者として与えられた能力も、ビーチで家族を探せる点から、むしろ祝福のようにとらえているところがあります。

彼の心臓はこの能力と習慣により徐々に弱っており、ハート型に変形もしています。ハート型への変形が具体的にどういった症状なのか不明ですが、心筋症と言うからには、なんらかの形で肥大化、拡張、あるいは心筋の硬化などが見られると推測できます。心臓の質量が増しているのであれば、それは神の審判でマアトの羽根より重いことの示唆になり、怪物に心臓を食べられて、第二の死を遂げることを意味します。ビーチをたびたび訪れて、死者の世界をのぞくことは、もしかしたらこの世界では悪行なのかもしれません。

ハートマン以外で、じつはもう一人、心臓と結びつけられそうな登場人物がいます。ハートマンはムービー中にサムに「いいね!」を送る際に、自身の象徴でもあるハートマークを視覚効果として出しています。ハートマークを作中、要所要所で出すのは、サムが亡くした我が子を投影し、作中ほとんどの時間を一緒に過ごしているBB-28も同じです。

ハートを出す BB-28

BB-28はサムと初めて接続した死体焼却所帰りに目の前でハートの気泡を出して、デッドマンが提案する BB-28の廃棄案をサムが拒否する要因を作っています。また、エンディングでアメリのビーチに捕われたサムを連れ戻すデッドマンの腕のなかで、へその緒の代替と見られる白いコードをハート型にしてサムに訴えかけています。

サムの脚を引っ張り、呼び戻そうとするデッドマン

赤子という性質上、こうした演出は、自身の保護者へ呼びかける愛情の表現に見えがちですが、もしこれが魂の一部としてのイブを表しているとしたらどうでしょうか。ブリッジ・ベイビーがイブを象徴しているという考えは、ブリッジ・ベイビーとして一度死んだサムがアメリに拾われた際に、欠けた魂の一部として心臓の素材である血をアメリから分け与えられ、新たな母子関係を築いたのではないかと上に書いた私の説にもつながっています。

BB RECONNECT SYSTEM

プライベート・ルームで休憩すると、サムが休息をとっているあいだ、BB-28は展示スペースの壁面に設置された「インキュベーター」と呼ばれる再接続システムにつながれます。このシステムに近づくと、心音が聞こえるようになっています。この演出はパッとプレイしただけの印象だと、胎児から心音が聞こえるのは当たり前ですし、ブリッジ・ベイビーが装備品ではなく、生きた一人の人間なのだと示すための演出にも見えます。ただ、古代エジプトの死生観に照らし合わせれば、イブという魂で母とつながっているととらえることもできる証拠だと思います。

ハートマンは亡くした家族を探しに、ビーチに頻繁に足を運んでいて、その習慣化された行動によって心臓の奇形や機能の衰えが出ていました。ブリッジ・ベイビーも死者である母親を探す習性を利用して、頻繁に BT という死者の魂をサーチする機能を発揮していて、人としては長く生きることができないとデッドマンに断言されていました。死者の世界をのぞける存在が必然的に短命になり、心臓とのつながりを持っていることは、なにか物語上、意味があることなのかもしれません。

サムと接続する BB-28

心臓と結びつけると、そう言えばブリッジ・ベイビーを装着する留め具は、なかの子が腹ではなく、左胸のほうにくる設計になっているような気もしてきます。

鳥の姿をした化身

バーは人頭の鳥の姿でよく描かれるんですが、鳥と聞いて私がすぐ思い浮かべたのが、オープニングムービーにも出てきたカラスです。

岩の隙間から出てくるカラスの群れ

オープニングムービーでは、サムがバイクで通り抜けた岩の隙間からカラスの群れが吹き出てくるように登場し、逆さ虹と重なります。こういう細く、薄暗い道って、キリスト教の教会とかの宗教建築では、産道などを意識した生まれ変わりの表現だったりすることがよくあるので、やっぱり死生観に絡んでの演出だったのかもしれません。

時雨にやられるカラス

時雨が降り始めると、群れのなかから一羽だけ、サムの足下に落ちてきて、目の前で息絶える印象的なシーンもあります。

焼却所の上空を飛ぶカラスの群れ

ムービー以外のゲームプレイ中は、死体焼却所の上空に群れて飛んでいる姿を確認できます。カラスにはもともと不吉な印象があり、死のイメージが強い焼却所とセットになっていても違和感はないんですが、なぜ焼却所なのかと考えると、バーを表しているからと考えることもできるかもしれません。

バーは夜になるとハーに戻ろうとします。ただし、この『デス・ストランディング』の世界には、上にも述べたとおり昼夜の区別がありません。また、帰るべき肉体もネクローシスするか火葬されているのでまず存在しません。彼らは帰る場所をなくし、帰るべき時間もわからなくなって途方に暮れ、せめて最後に肉体がたどり着いた場所に行こうと、焼却所の上で路頭に迷っているのかもしれません。

BT は古代エジプトの「ハー(肉体)」と「カー(魂)」という用語をそのまま使って説明されています。そのため、「BT とはカー(の成れの果て)である」と言い切っていいと思います。ただ、BT にもいくつか種類があります。

密集状態

一番、カーのイメージに近いのは、フィールドの座礁地帯に浮いているゲイザーだと思います。ハンターによって倒された生者を引きずり回してキャッチャーのもとまで持っていく習性も、供物からエネルギーを吸い上げて死者に与えるカーの役割と一致しています。この点、ハンターたちにも似たようなことが言えます。BT は自分たちが亡くした肉体をもとめて生者に引かれていくという表現になっていましたが、供物がないので、目についた生者からなにかしら奪い取ってキャッチャーに与えようとしていると解釈すると、その姿がカーの役割に似ています。

反面、そのキャッチャーはどうでしょうか? 彼らは与えられる側であり、ちょっとカーとは違う印象を受けます。どちらかと言えばカーからエネルギーをもらって神の審判に挑む死者の魂、本体のほうに近い気がしますし、ライオンのような姿をしたキャッチャーは、魂の審判で心臓を食べるという怪物のアメミットにも似ています。

キャッチャーには、ほかのゲイザーやハンターと違って、反物質のようなものを体内に蓄えていて、生者を飲む込むことで対消滅を引き起こすという大きな独自性もあります。なので、BT がすべてカーであるとは言えないんじゃないのかという疑問も私は感じています。

空に浮かぶクラゲ型 BT

特殊な BT と言えば、終盤のエッジ・ノットシティで遭遇するクラゲ型の BT もいます。アメリを取り込んだ巨大な人型 BT 戦で召喚されるところを見ると、絶滅体に近い存在なのかもしれません。

エッジ・ノットシティ戦以外では、時雨農場の南、ちょうど北米大陸をクジラに例えた場合の胸びれあたりの海岸にプカプカと浮いています。現実だと南のメキシコとの国境あたりです。

クラゲ型 BT は、近づくとこちらを察知して体当たり攻撃をしてくるだけで、対消滅も起こしませんし、ゲイザー、ハンター、キャッチャーのような複雑なフォーメーションも組みません。ほかの BT とはちょっと違うくくりにしておいたほうがいいような気がします。

クラゲ型 BT

クローズアップしてみると脳のように見えます。全体にいびつなひょうたん型で、脳に例えた場合の前頭葉と側頭葉のあいだにある下部のくぼみを見ていると、口をモグモグさせているようにも見えてきます。脳というと、古代エジプトではさほど重要視されていませんでしたが、現代医学では思考を司る臓器です。知力と考えるとアク相当、つまりカーの成れの果てと上で推測した BT の上位の存在だったりするのかなという考えがよぎります。BT はもしかしたら、単純に肉体から離れたばかりのカーだけではなく、死者の国にいる死者の魂総出の姿なのかもしれません。

鳥居

ちなみに、このクラゲ型 BT がいる海岸から崖を少し登ると、鳥居が見つかります。アメリカ合衆国の急な和要素で違和感がありまくりですが、もともと鳥居は人間が住む世界と神域をわけるために設けられたものでした。つまり鳥居の向こうは神域と解釈できます。案外、ビーチはメキシコ側にあったのかもしれません。そう言えば、エッジ・ノットシティも南端でしたね。

統一体

バーとカーのことをここまで書いてきて、その統一体であるアクのことを考え出すと、ちょっとママーとロックネ姉妹のことが気になってきました。

ひとつになったママーとロックネ

ママーことモリンゲンとロックネ姉妹は結合双生児として生まれた能力者で、身体的な面だけでなく、外科的に切り離された誕生後も精神面で心が通じ合っていました。彼らの双子通信と呼ばれる不思議なつながりは、カイラル通信のモチーフにもなりました。しかし、姉のママーがロックネの子を代理出産した際に亡くなってからは双子のつながりが消え、作中サムが仲違いした姉妹の誤解を解くなかでママーの魂がロックネと融合し、姉妹はふたたびひとつになります。この融合がなんとなくアクが生じた示唆ではないかという気がします。

ママーは出産のために入院していた病院でテロに巻き込まれて瓦礫の下で亡くなりましたが、死産になった我が子を通じて肉体とつながり、その場から動けないながら、北米大陸で普通の人間のように活動を続けていました。赤ちゃんの BT とつながりを断ったあとは肉体から完全に魂が抜けてしまいますが、カイラル通信がつながってビーチと行き来できるようになったあとに妹のロックネのもとに舞い戻り、北米大陸にもふたたび干渉できるようになります。

あとに残されたママーの遺体はネクローシスを起こさず、完ぺきな状態で残っていたことから、ハートマンがデス・ストランディング現象のナゾを解く手がかりにもなりました。二人が融合してアクになったのなら、腐敗しないママーの死体がサーフであると定義することもできるかもしれません。遺体が腐敗せず、ネクローシスも起こさないのは絶滅体ぐらいなので、彼女の存在はかなり特殊です。これは逆に彼女が『デス・ストランディング』の世界ではめずらしくなったんじゃないかと先に私が述べていたアアルの野の住人になったからなどと考えることはできないでしょうか。実際にママーはアメリのビーチに捕われたサムをいち早く見つけたりして、ほかの登場人物より死後の世界をよくわかっていそうでした。

姉妹のどっちがバーで、どっちがカーだったのかは、決定打がありませんが、なんとなくバーがロックネでカーがママーだったんじゃないかと私は考えています。バーの象徴じゃないかと上に書いたカラスは時雨を浴びて死んでいるので、生者気質が強そうですし、死に際してハーから飛び立って、死後も独立して飲食や性交などの日常の活動を続けるというバーの特徴もロックネのほうに合っています。ママーがお腹に宿し、生者の世界にとどまる足がかりになったお腹の子は、もともとロックネの卵子から物理的な肉体を得て、ママーの心臓から魂のイブのもととなる血を分け与えられた子でした。ママーがオドラデクを翼に例えて、片翼の天使と語ったのも、相方の翼を持つバーを失ったからだったのかもしれません。点々と移動できるバーに対して、一か所にずっととどまっていたママーのほうがカーっぽいですしね。説明文にカーが出てくる BT とつながりが強かった死者はママーのほうでした。生と死の対比は、ロックネが子供好きで、異性のパートナーを見つけて自身の子をほしがったのに対し、ママーは子供に関心がなかった点も挙げられます。女性キャラクターが母親になることに感心を寄せる傾向は、ブリジットにも見られた生者の性質の表現だと私は考えています。

サムの影になる人物だったらだれだろうなと考えると、真っ先に思い浮かぶのが敵対者のヒッグスです。二人には、上の双子姉妹と同じように、共通点も多ければ、真逆の性質もあります。

ヒッグス

ヒッグスは実の両親を幼くして亡くしており、母方の伯父に引き取られて狭いシェルターのなかで育てられました。しかし虐待の末の自己防衛で、育ての親であるその伯父をその手で殺めてしまいます。能力者だった彼は、昔からサムと同じく BT は見えないまでも気配は感じることができました。やがてその能力をいかしてポーターとして身を立てた彼は、フラジャイルと提携して事業を拡大し、エゴを暴走させていきます。

絶滅体のアメリに目を付けられた彼は、自分が持つ能力以上の力をアメリから授かります。その能力を使って、自身の心の隙間を埋めるようにテロ活動に勤しみ、サムに敵意をむき出しにします。また、ビジネスパートナーだったフラジャイルも平気で裏切って切り捨てています。

実の両親が幼いころに亡くなって育ての親に引き取られている点や、そこでさびしい幼少期を過ごした点、能力者として BT を感じることができる点、ポーターになり、フラジャイルと接点があるところ、そしてなにより、絶滅体に見出されて特殊な能力を与えられているところなどにサムとヒッグスの共通点があります。その反対に、サムは本人は嫌々ながら人望があるのに対し、ヒッグスには人とのつながりが皆無と言っていいほどありません。

ヒッグスに関する点で、もうひとつ、私が勝手に面白いと思っているのは、ピザの配達を依頼してくるときの偽名「ピーター・アングレール」だと思います。この偽名は「宇宙を満たす神の粒子」ことヒッグス粒子の仮説を立てた物理学者のピーター・ヒッグス博士と、2013年にヒッグス博士と一緒にノーベル賞物理学賞を受賞したフランソワ・アングレール博士の名前が元ネタになっています。私は中途半端な英語力で、今でもカタカナ発音が抜け切らないので、サムの実父の姓「アンガー(Unger)」にしても、英単語の“anger(怒り)”を連想してしまいます。ヒッグスの偽名の姓「アングレール(Englert)」もカタカナだけ見ると、どこかヨーロッパ言語に“anger”と共通の語源を持つ似た意味の単語があるんじゃないかと疑ってしまいます。作中にも同名のキャラクターが登場しますが、“Victor”が英語では「ヴィクター」なのに、フランス語だと語尾の“r”の音が伸びて「ヴィクトール」になるみたいな感じに似てますもんね。

サムとヒッグスが男親から「怒り」を受け継いでいるというのは共通点だと思います。ヒッグスは養父の伯父から暴力を受けて、日常的に虐待されていました。サムも忙しいストランド大統領に育てられる孤独な幼少期を過ごして、成人してからも派手に仲違いしていたので、ネグレクトなどの精神的な虐待を疑う余地はあるかもしれません。実際は不慮の事故でも一度銃殺されているので、ブリッジ・ベイビー実験も含めると十分な虐待ですが、サムのブリッジ・ベイビーとしての特質は別途考えることにします。そうすると、幼少期の悲惨さはヒッグスのほうが抜きん出ていることになります。その代わり、サムも作中、実父のクリフォード・アンガーとたびたび重火器を用いたガチの殺し合いをしています。クリフはエンディングで、自分のようにはなるなと、自身の特質を我が子に受け継がせまいとしていました。そして、サムは大人になってから、その父親像と向き合って、自分のなかに受け継がれたその背中を乗り越えていきます。

サムの実父とヒッグスの養父は、男親から受け継がれるネガティブな性質を象徴しているような気がします。そして、サムとヒッグスの大きな違いは、サムのほうはダメな親なりに自分が子に残せることを熟考して、行動しようとしていたことです。クリフは自分のようにはなるな、人と人とつなぐ橋となれと、我が子にあえて自分の姓ではなく、母方の姓を継がせようとしていました。

ダメ親ながら、子のことを考えて行動しようともがいている点は、養母のブリジットにも当てはまります。彼女は母親として悩み抜き、成人して自分の手を離れたサムの心の葛藤を解消するために、あえてその暴力的な父親と向かい合わせようとしました。そこには子を思ってのことと考えられる余地があります。対して、ヒッグスのほうは幼いころから親の都合に振り回され、ダイレクトに暴力を振るわれて、疑いようのないただの被害者になっていました。また、彼の周りには彼に手を差し伸べてくれる人がいませんでした。わりと似た境遇だったサムとヒッグスの差が決定的になったのは、上の世代の人間がどの程度できた人だったかという運にもよるような気がします。子は親を選べませんからね。

敵対者でなければ、デッドマンもまた違った類似性を持つ登場人物だと思います。彼はそもそも初登場時から親近感をもってサムに接触していますからね。一見、赤い服を着ているイメージがありますが、コートを脱ぐとじつは黒い手袋までして全身黒いスーツを着込んでいるので、きっちり影の男コーデだったりします。

デッドマン

デッドマンとサムの類似性は、むしろヒッグスとの比較で除外したブリッジ・ベイビーとしての特質を含めることで高まると思います。デッドマンは多能性幹細胞から作られた組織と死者の臓器を寄せ集めて作られた「肉人形」を自称しています。生物となんら変わらないシステムを有していながら、けっきょくは物扱いという点に本人もブリッジ・ベイビーとの共通点を見出していますし、魂やビーチがなく、定義上「死ぬ」ことができない点をめぐっては、サムの帰還者としての死ねない性質に、どこかシンパシーを感じているようでした。サムも赤ん坊のときに一度死んだあと、絶滅体のアメリによって人為的に生かされている存在です。

デッドマンはサムの根深い問題である実父のビーチにも一緒に行ったことがあり、その際にはリセットされた BB-28が懐く素振りを見せていました。さらにエンディングでは、アメリのビーチに取り残されてしまったサムの脚を、心臓があるほうの左胸の前に BB-28を抱えながら引っ張って、北米大陸へ連れ戻しています。古代エジプトでは、影は日の光の下で生きる者の証でした。サムを生者の国に連れ戻したデッドマンは、ヒッグスと同じようにサムの魂の影を象徴しているのかもしれません。

イゴール

ついでにもう一人挙げると、過去の記事でさんざ書いてきましたが、対消滅で爆発してしまった今は亡きイゴール先輩もけっこう怪しいところがあります。第二次遠征隊に選抜されていた死体処理班のメンバーで、BB-28のもとの持ち主、さらにはルーデンスのマスコット付きと、どうもブリッジズでのキャリアという面で、サムに先行して進むべき道を示すキャラクターのような役回りをしていたようです。

影が複数いるのは、ブリッジ・ベイビーとして一度死んだサムや、絶滅体の息子としてのサム、血統から逃れられないサム、運び屋としてのサムなど、彼の多面性を表しているのかもしれません。複数人考えられる影候補のなかでも、ヒッグスとイゴールは作中亡くなるので、最後まで生き残り、自分がビーチから連れ戻したサムと熱い抱擁を交わすデッドマンが、最終的にサムが選んだ生きかたの影とも考えられます。たぶん、親との関係に悩む男や絶滅体に愛された男、ブリッジズに属する配達人からは卒業して、人と人を繋ぐ橋のように生きていく使命を負った特殊体癖の人間でいいと思ったってことかな。

名前

名前は今作において非常に重要な要素です。“Someone”にかかっているであろうサムの名前に、彼が作中たびたびこだわる自分の姓は、彼のアイデンティティーにも根深く関わっています。名前、とくに血筋に関わる姓の要素においても、サムは養家のストランド姓と実家のブリッジズ姓、継ぐことがなかったアンガー姓と、いろいろな名前、つまりそれだけの顔を持っています。ヒッグスも「宇宙を満たす神の粒子」を誇りに思っているようでしたし、彼のアイデンティティーに影響を及ぼしています。

絶滅体のブリジット・ストランドも、これまで指摘してきたとおり、ブリッジズ家と同じ「橋」が名前に含まれていますし、「ストランド」の意味の大切さはアメリが直々に教えてくれました。アメリはズバリそのまんまな「アメリカ」の名前を背負ってますし、ファースト・ネームの「サマンサ」はニックネームが「サム」なので、主人公と同じ、まさに裏主人公のような存在と解釈できます。

ゲーム中に登場する人物はどれもわかりやすい名前が付けられています。中継ステーションの担当スタッフは「バトン」だし、東にあるキャピタル・ノットシティの担当スタッフは「イーストン」です。ダイハードマンやデッドマン、ハートマンはコードネームだと思いますが、ダイハードマンは実名がきちんと出ることで、彼が被る仮面の二面性がきちんと強調されています。デッドマンは生まれが特殊なので、実名をきちんと付けられているのかナゾですけどね。

名前とアイデンティティーを掘り下げていくと、一人、魂レベルの強いつながりで思い浮かぶのは、フラジャイルです。

「壊れもの」フラジャイル

私は“壊れもの”を運ぶ。私は“壊さない”。私は“壊れない”。

フラジャイル

フラジャイルの父親は、物語開始時にはすでに亡くなっていますが、フラジャイルの言葉などから察するに、二人の関係は良好だったようです。サムとヒッグスが親、とくに男親との関係で苦労している子供なら、フラジャイルはその苦労を知らない幸いな子ということになります。

運送業では「壊れ物」を意味するフラジャイルの名前は、一見ブリッジズの面々と同じコードネームっぽく見えるんですが、ゲーム中の彼女の言葉や、小説で補完された父親の描写を見るに、実父から誕生時につけられた実名のようです。つまり、勤務時などに一時的に着けるペルソナのような仮面ではなく、フラジャイルという名前は彼女が生まれ持った魂の一部になっているわけです。これはヒッグスに女としての若さや美貌、父から受け継いでいた会社の信頼を奪われ、そしてなにより命さえ危ぶまれる状況に追いやられたときに「私はフラジャイル」と自分に言い聞かせるシーンからもわかります。彼女を語るとき、彼女の在りかたを問うときに、フラジャイルという名前は欠かせません。

フラジャイルという名前を、彼女の父親は自分の大切な会社、フラジャイル・エクスプレスにも付けていました。フラジャイルという言葉が、彼にとっていかに重要だったかがわかりますし、自分の大切な会社、大切な娘に同じ名前を付けているあたりに、自分にとって大切な存在に惜しみない愛を注げる人物だったことがわかります。フラジャイルはそんな父親を心から敬愛していて、自分以上に、父親から受け継いだ会社の汚名をそそぐことを重視していました。フラジャイルはほかのキャラクターと違って、名前に二面性がなく、父親からもらったフラジャイルという名前だけを純粋に、一貫して使い続けています。彼女にはプライベートでも、仕事でも、勝負時でも、ペルソナを使い分ける必要がありません。ここらへんに、愛情を注いで育てられ、自身のアイデンティティーに誇りを持てる女性に育った背景が見えると思います。

そんな幸せな彼女を見て、男親の愛情を受けられなかったヒッグスは内心かなり胸くそ悪かったに違いありません。フラジャイルをいじめ抜くときに「そういえば、お前は親からもらったその顔がお気に入りだったな」と親との関係を話題にしています。おそらく本人のコンプレックスなんだと思います。

フラジャイルは物語終盤の流れで、サムが最後の配達荷物で救う重要人物です。サムはフラジャイルを救うためにクリプトビオシスを持って、第二次遠征隊としての出発地点であったキャピタル・ノットシティに駆けつけます。私の読みどおり、クリプトビオシスがクモの8本脚イメージを介して絶滅体を意味しているなら、フラジャイルは帰還者の力を借りて、絶滅体を養分にしてよみがえることになります。また、サムの動きが太陽神のそれを模したものであるなら、ふたたび天に昇る東へ彼を呼び戻したのは彼女ということになります。フラジャイルは親から受け継いだものや先天的な自身の特徴を、素直に祝福として受け入れられる幸いな子です。親との関係に悩むサムや、絶滅体として望まぬ宿命を定められたブリジットとは正反対と言えます。それに父親から名前を授けられると言えば、クリフからブリッジズ姓を授けられたことを思い出したサムとも共通しています。彼女が北米大陸で生き続けることにも意味がありそうです。

古代エジプトでは、レンはハーと同じぐらい死後も大切に保管しなければならず、人々の記憶にいかに長く残すかという工夫が凝らされていました。フラジャイルと同名のフラジャイル・エクスプレスは、UCA 公認の最初の配送組織になって物語のあとも残っていきます。エンディングでサムはブリッジズを離れてただの一人のポーターに戻りますし、ストランド家最後の生き残りのアメリはビーチに消えていきます。ヒッグスはぼっちのまま死んでいくし、ほかの人はコードネームだし、魂と呼べる名前を残せそうなのは、彼女ぐらいなんじゃないかな。

強いて言うなら、長らく封印していた実名で最後に大統領になるダイハードマンあたりには、レンの要素があるかもしれませんね。

ダイハードマン

仮面を被ってダイハードマンとして活動しているあいだ、本名のジョン・マクレーンというペルソナが社会的に死んだことにされているあたりにも、名前は魂の一部であるという古代エジプト人の考えかたが反映されている気がします。

――と、ここまで書いてきたらけっこう記事が長くなってしまったので、ここらで切り上げます。これから登場する登場人物もたくさんいるので、またそのときに深く掘り下げようと思います。

追記 追記
この後カイラル通信をつなぐうちに、3年前にハートマンが送ったメールを閲覧できるようになります。

エジプトの生死観とネクローシスについて

古代エジプトでは、人間は、肉体(ハー)や魂(カー)と呼ばれる要素(エレメント)でできていると考えられていた。
エレメントの定義は様々だが、簡略化すると次のように考えられる。魂が母親の胎内に入ると妊娠し、肉体から離れた魂は、結び目からビーチを経て、あの世へ行く。それが死だ。魂が肉体に戻れば、蘇生する。これが臨死体験を呼ばれていたものの正体だ。

ハートマン

この文書を読むと、この『デス・ストランディング』の世界では魂の解釈が古代エジプトの死生観とちょっと違うみたいで、「魂が母親の胎内に入ると妊娠」すると考えられていることがわかります。どうやら神が粘土をこねて胎児を作り、次いで女神が誕生の瞬間に「カー」を吹き込むという考えかたとは違い、お腹のなかにいるときから「カー」をすでに持っていると解釈するのが正しいようです。

指さし イーストンさん、落とし物で~す! に続く
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