めちゃくちゃ久々に Death Stranding のプレイ日記を更新するような気がします。新型コロナウイルスが国内でも広がり始めて、緊急事態宣言が出てからは、こんなうちのブログでもなかなか治安が悪くなって、管理画面にログインするたびに、なにかしら気味の悪い警告が表示されるようになっていました。そのせいでずいぶんと更新意欲が落ちていましたが、今はアクセス数も緊急事態宣言が出る前とほぼ同じぐらいに落ち着いたので、ホッとしています。日常に戻れるってステキ☆

それはそうと、ブログの更新をサボっているあいだに、なんだかんだ無事に PC 版が発売されたそうですね! おめでたい! 一時はコロナ禍も相まって発売延期もやむを得ない状態でしたが、なんにせよきちんとこの世に生まれてきてくれたことを私も嬉しく思います。

PC 版の発売に伴って、うちのプレイ日記をインターネット検索で見つけて読んでくださるかたが増えたようなので、誤解のないようにもう一度書いておきます。前から書いているとおり、私のこのプレイ日記は相変わらず PlayStation 4(PS4)版です。PC 版は今のところ購入する予定もございませんのでお間違えないようご注意くださいませ。これも前から書いているんですけど、PS4版のひとつ確かないいところって、こうプレイ日記を書くときにスクリーンショットや動画を撮っていいところなのかどうなのかがハッキリわかりやすいんですよね。ブログに広告を載っけてる以上、製作会社さんが公式に「うちのゲームでコンテンツつくっていいですよ~!」って言ってるところ以外は基本 PS4 でやることにしています。

さて、そんな久々な PS4版の2周目プレイは、サムが義母のブリジット・ストランド大統領を火葬して、これで普通のポーターに戻れると意気揚々と帰ってきたあとに、母の跡を継いだ義姉に残留を説得されるシーンから始まります。現実で言うと、大型連休前にプライベートに影響する大きなプロジェクトをやり終えて、オレはもう有給休暇を消化したらこんな会社辞めるんだと決めている社員と、彼の引き留めを狙うブラック企業の新上司の駆け引きみたいなもんですよね。

ブリジット・ストランド大統領の跡を継いで、新たな大統領となった義姉のアメリとサムが対面するのは、前任者の母親のときと同じ、ホログラムで飾り立てたアメリカ合衆国大統領執務室のオーバル・オフィスです。サムが久しぶりに再会する数少ない家族の女性メンバーは、どちらも家族の一員としてではなく、国を背負う女としてまず彼の前に姿を現しています。大統領の忠実な僕と化しているダイハードマンが彼女に先行する形で、早くも部屋を去ろうとしているサムを引き留め、アメリを紹介してなんとかサムをつなぎ止めます。

背景の部屋を見渡すと、前大統領の病床が撤去されているのはわかるんですが、相変わらず小説に登場した執務机のレゾリュート・デスクが配置されている様子がありません。これはアメリカ合衆国大統領の公務が、相変わらずデスクワークから遠く離れていることの示唆ともとれますし、前の記事に書いたとおり、レゾリュート・デスクは言わば、北極海への航路を切り開くイギリス海軍の船が途中で姿を消して、さらにそれを捜索していた船も難破して乗り捨てられたものが材料になっていて、どこか第二次遠征隊のサムが失敗するイメージと重なる存在だったので、この世界には乗り捨てられた後発の難破船は存在しないということなのかもしれません。

新しいアメリカ、新しい希望

ここの紹介シーンのダイハードマンの動き、古き良きコメディ・ショーの司会者の動きみたいでちょっと滑稽です。小説版『デス・ストランディング』でも「芝居がかった仕草」とツッコまれています。

小説版のこのシーンは、オーバル・オフィスの窓に分厚いカーテンがかかっていて、ゲーム本編のようにまぶしい光は差していません。喪に服すかのように、国旗と国章も半旗になっていて、アメリだけが「この部屋で唯一の光源だった」と形容されています。ブリジットの死の気配は完ぺきに排除されて、背景も一体となってアメリの神々しさが醸し出されているゲームの演出とはちょっと異なっています。

虹を背負う女、アメリ。

サムの前に初めて正式に現れたアメリの姿は、これでもかと言わんばかりに逆さ虹と一緒に描かれています。この世の凶兆を背負う女です。物理の基礎知識がないのでよくわからないんですが、こういう虹の見えかたは条件がそろえば現実でも普通にあるのかな?

FINAL FANTASY XV の逆さ虹

と言うのも、とある別のゲームでも「これ、逆さ虹じゃね?」と思ったシーンがあったんですよね。こういう最近のゲームって、色味のフィルターをかけることはあっても、光とか物の見えかた自体は可視光線を実際にシミュレートしてるんじゃないかと思っているので、物理的にあり得なくはないのかなとちょっと思いました。あるいは、ゴーストとかフレアとか言われる撮影レンズありきの現象なんでしょうか? となると、第三者の目を通じて記録されたデータを追体験している入れ子構造も疑ったほうがいいのかもしれませんね。

あと、デス・ストランディングの凶兆である逆さ虹は、青みが欠けているという設定なんですが、私、いまいち見分けがつかないんですよね。なんなら赤の内側にも青みがあるように感じます。このシーンの虹も青はないかなぁ……? あると言われたら普通に見える気が……。

サマンサ・アメリカ・ストランド大統領

新しいアメリカ合衆国の大統領にして、同国再建の象徴でもある、サマンサ・アメリカ・ストランド大統領です。彼女の名前は物語の終盤に、アメリカ合衆国の名前の由来になったアメリゴ・ヴェスプッチを引き合いに出して本人の口から語られるので、詳しくはそのときに物語の流れを汲みながらまとめようと考えているんですが、パッと思い付く名前ネタを先に書いておくと、サムは英語圏ではサマンサの一般的なニックネームでもあります。サムが名前で呼ばれるたびに、知り合いのサマンサの顔がチラついていたんですが、こっちの本物のサマンサが早くも出てきました。彼女はそういう意味で、もう一人のサムであり、時系列的には姉の彼女のほうがオリジナルのサムとも言える可能性があり、さらにそのままアメリカでもあるわけで、もっと言えば、そもそも母方から受け継いだ姓“Strand”をドイツ語としてつづれば、そのまま「ビーチ」という意味の単語になるので、母親のブリジットがストランドでありながらブリッジの名も冠していたように、複数の意味が込められたキャラクターなんだと思います。彼女の場合は、女の二面性どころか、阿修羅像のごとき三面六臂を連想します。ある意味、物語上、どういうふうにも立ち回れる最強の女です。

最強の女と言えば、演者のリンゼイ・ワグナーさんは70年代の海外ドラマ『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』を演じたかたなので、イメージでは素でアメリカ大陸を横断できそうなくらい強いです。アメリの声はさすがに若すぎたらしく、エミー賞に何度もノミネートされている女優のエミリー・オブライエンさんが声をあてています。エミリーさんはゲームの吹き替えもよく担当されていて、上に出た FINAL FANTASY シリーズだと、初期の XIV のヤ・シュトラとか V のファリスの担当だったこともあります。

サムに歩み寄ったアメリの姿を見て、もうひとつ感じたことが、「デカッ!」です。いくら高めのヒールを履いているとはいえ、サムの身長を越えています。サムを演じるノーマン・リーダスさんは身長178 cm なので、けっして小柄ではないんですが、ヒールのぶんを差し引いても同じぐらい立端がありますね。リンゼイ・ワグナーさんは175 cm らしいので、案外、等身大のモデル体型なのかもしれません。こういう身体面でも引けをとらない点が強そうです。

ビーチの説明

「私が亡き母の遺志を継ぐわ!」と言わんばかりに、サムの前に颯爽と現れたアメリですが、母同様に右手を差し出してから、サムに全身から拒絶オーラを放たれて、思わず表情を曇らせます。イゴール先輩にデッドマンときて、親しい家族だった彼女まで接触恐怖症のサムに手を差し伸べて落胆していることに最初は違和感を覚えました。でも、サムの亡き妻の報告書によれば、サムは妻との結婚生活がうまくいっていた期間は、一時的に接触恐怖症が改善していたので、アメリはそのころの感覚でサムに接して、サムの拒絶から目の前の男が自分たちのせいで変わってしまったというか、もとに戻ってしまったことを痛感しているのかもしれません。

アメリは、一国の大統領として忙しかったブリジットよりは、まだサムに懐かれていたと解釈できますが、あくまで母と比べればの話であって、実際はアメリも最終的にサムから絶縁されていたようです。ここらへんの詳しい話は、実際に前大統領が「恨んでも当然」と述べていた家族間の不和の原因がわからないとなんとも推測できかねますが、アメリもサムの妻の死に際して、サムに寄り添った言動をできなかったのかな?

第一印象作りにつまずいてしまったアメリを隣からサポートするのが、先代からの腹心、ダイハードマンです。彼の言葉で、二人が10年ぶりに再会したこと、そしてアメリの体は時間の概念がないあの世の入り口、ビーチにあるために10年前から変わっていないことが明らかになります。「身体がビーチにあるから歳をとらない」って、サラッと言ってますけど、かなり重要なトンデモ設定ですよね。「私は物語の核心に関わる重要な設定を持つキャラクターです! 警戒してください!」って自ら宣言しているようなもんだと思うんですけど。

アメリとサムの年齢

解釈は人それぞれだと思うんですけど、自分が歳をとらない理由のあとに「あなたはいい歳の取り方をしたようね」とニッコリささやきながらサムとの距離をさらに縮めようとするアメリのこの顔は、女の顔だと私は考えています。アメリはこのあとにも、自分とサムの人形に手をつながせてビーチ姫ごっこをさせたりして、サム相手に女の部分を出してくるので、ある程度公式に意識されている構図だとは思うんですが、ブリジットとサムが母と息子の関係なら、アメリはがっつり一種の生殖相手めいた候補として立ち回ろうとしているように感じるんですよね。

アメリはブリジットが20代になったばかりのころに、子宮がんで生死の境をさまよった末に、魂とビーチに強いつながりができて生まれた別人格です。アメリはブリジットと同一の存在であり、両者の人格にその後別々に歩んだ人生経験で変化が生じていると仮定すれば、わずかな差異を持つ魂の一卵性双生児みたいに解釈できるかもしれません。

母体であるブリジットのほうは、サム相手に女を出すには少々年齢が釣り合っていませんでしたが、時間の概念がないアメリはずっと肉体的に一番旬の状態を維持できます。ずっと若いままって、古今東西、多くの女性が憧れてきた夢であり、生殖本能からしても優位に立てる理想型なんですよね。その優位性をアメリは自覚していると思いますし、おそらく母体のブリジットも理解した上でサム相手にアメリを使ってきているところがあると思います。

アメリの正式な紹介

褒められてたじろいだサムが、目を逸らしながら精一杯トゲのある言い回しでアメリに本気でこの世をつなぐ気なのかと問うと、アメリは大統領の顔に戻って毅然とうなずきます。アメリの態度の前に、言葉をなくして見つめることしかできなくなったサムに、横からダイハードマンが畳み掛けるように「誰かが繋がなければならない」とアメリに代わって語り出し、アメリのことを正式にブリジットの遺志を継いでこの世をつなぎ直す「サマンサ・アメリカ・ストランド、新たな大統領だ」と紹介します。

アメリの指揮のもと、再建されるアメリカは、州に代わって結び目の都市をつなぐ意味で、従来の合衆国ではなく「アメリカ都市連合(United Cities of America)」と呼ばれ、“UCA”の略称が使われるそうです。ただ、世界をつなぐ前段階の現状では、その UCA も北米大陸で立ち上げられた組織のひとつでしかありません。

つながりを切ったのは誰だ

とは言っても、サムはもう家族経営のブラック企業には巻き込まれたくありません。自由なフリーランスのポーターでいたいのです。サムがアメリに自分は「もう繋がっていない」と言い切ると、ちょっと気分を害したらしいアメリが「繋がりを切ったのはあなたの方よ」と、こちとら縁を切った覚えはねえんだよと言わんばかりに言い捨てていきました。さすがブラック企業のドンです。

アメリの「あなたのことを忘れたことはなかった」と言う言葉は、かなり相手に対してオープンな言葉であり、さらに「私たちを見放したのはあなた」と明確にすることで、相手を上に、自分を下に持っていき、ある程度の力関係を作る言葉だと思います。これも自分を下げて、逆に優位に立とうとする社会性に長けた女の部分が出ている振る舞いだと思うんですよね。一見すると、私はあなたをいつでも歓迎していると響く嬉しい言葉でありながら、私はあなたに対してこんなにも心を開いているのに、あなたは拒絶しかしない、ひどい人だと暗に責めている部分もありますし、ちょっと自分たち母娘がその態度に傷つけられた被害者であることも匂わせて、サムの罪悪感を誘っています。小説では見事にこの一言で部屋から立ち去ろうとするサムの足を止めることに成功しています。

サムからすれば、ブラック企業なのは向こうです。距離を置くのは自分の心身を守るために必要なことで、基本的な安全確保のための行動です。ところが社会に身を置く一人の人間として、ほかの人間との政治的な攻防を経て、あたかも自分が加害者であるかのような立ち位置に追いやられてしまいました。相手のほうが上手です。だって、相手は政治の男社会でトップの座に就いた大統領ですもの。そりゃ立ち回りがうまくて当然です。口も達者です。

ビーチ姫のプレゼンテーション開始

無言のサムを置いて、アメリと腹心のダイハードマンは、自国の地図をホログラムで水面のように浮かび上がらせながら説明を始めます。ビーチで座礁する海獣のような国土の輪郭に、海面のように波打つホログラムの光、宇宙に瞬く天体のような都市の輝きは、宇宙のなかで絶滅に瀕している地球という星の生命を連想させるもので、ある意味、このデス・ストランディングの世界の縮図です。

このアメリの説明により、ゲーム開始から長らくほったらかしだったプレイヤーにもきちんと物語の背景が一部説明されることになります。しかしその内容は、一度クリアするとわかりますが、アメリがでっち上げた完全な一人芝居です。「サムが助けに来てくれないので捕われてしまったビーチ姫の私、かわいそう、ああ~かわいそう、サム、早く助けに来てくれないかなぁ~」といった概要の「ビーチ姫の私、かわいそう」劇場です。ようは上で述べたように、被害者面してサムの罪悪感や自己顕示欲を刺激して、社会的優位に立とうとする行為の延長線上にあります。

このとき説明を聞いているサムは、以前に病床の義母と話していた内容から、自分がブリッジズを飛び出して以来、アメリが第一次遠征隊として出発していたことも、西海岸までいちおうは無事に到達できていたことなどもまったく関知していなかったことが明らかになっています。アメリはそのサムに「私は被害者」とウソを吹き込んで、なんとしてでも第二次遠征隊として旅立ってもらおうと必死になっています。

第一次遠征隊

アメリのビーチ姫劇場の筋書きは以下のとおりです。

本当はブリジット・ストランド大統領のもと、ブリッジズ第一次遠征隊の隊長として嫡男のサムに遠征隊を率いてもらいたかったところですが、自慢の放蕩息子はその前に妻の死で精神を病んで出ていってしまったので、仕方なく彼がほっぽり出した仕事を義姉のアメリが引き継いで実行に移すことになりました。

幸いなことに、アメリには危険な人類の敵、BT の存在がわかる特殊能力があったので、引き連れていたブリッジズのメンバーたちも、座礁地帯や時雨の危険を回避しながら西へ西へ進むことができました。その道中で彼らは生き残った人々に「再び都市連合を創らなければ人類は滅びてしまう」というブリジット・ストランド大統領の言葉を伝え、UCA への加盟を呼びかけ、反応がよかった都市に名誉ある UCA の「ノットシティ」の呼称を与えると、特殊な機材と専門のスタッフを置いて、ブリッジズの色に染まった拠点に改造していきました。

囚われのビーチ姫

出発から3年が経ち、「あれれ~? これって DOOMS レベル2のサムよりアメリお姉ちゃんのほうが最初から適任だったよね~?」という禁句がみんなの頭に浮かび上がったころ、西海岸でアメリはホモ・ディメンスという名前の分離過激派テロリスト集団に捕まってしまい、身動きがとれなくなってしまいました。彼らは個の独立の自由を主張している過激派で、自分たちの崇高な目的を果たすためなら、人を殺して意図的に対消滅を起こし、都市をまるごと吹き飛ばすこともいといません。現にセントラル・ノットシティで発見が遅れた自殺体も、彼らが仕込んだものではないかと疑われています。

しかし悪の武装テロリストとは言いつつ、彼らにも慈悲の心はちゃんと残されているので、捕らえたアメリをいたぶって殺したり、過度に拘束したりすることもなく、ホログラム付きの通信で自分の組織に助けを呼べるぐらいの自由は許してくれます。サムの目の前でアメリのホログラムが実在する人間のように自然に、スムーズに動くのは、このキャピタル・ノットシティにはそれだけ彼女のデータが膨大にあるということを意味しているらしいです。

あと、小説で拾えた豆知識として書き加えておくと、デッドマンがブリッジズに入ったのはアメリがこの第一次遠征隊を率いて出発した3年前のようです。

悪のホモ・デメンス

このテロリスト集団を率いているのは、イゴール先輩が大爆発を起こしたときにちょっとだけ姿を見せたヒッグスです。アメリたちの説明の仕方と言い、演出の力のこもり具合と言い、いかにもこれから倒すべき諸悪の根源のように語られています。

彼らは UCA への加盟を拒否することはもちろん、自身の主義に反して人々をつなぎ直そうとしているブリッジズにも対消滅テロをしかけて敵対心をむき出しにしてきます。そして今、その分離破壊主義者らは自分たちの主義主張を力業で押し通すため、西海岸の端っこにあるエッジ・ノットシティの独立自治を主張し、アメリを人質にとって立てこもっています。ぶっちゃけ片隅の都市ひとつだけに自治権を与えるぐらい、全体の和を保てるなら別にいいんじゃないかと思うんですけど、ブリッジズは中華人民共和国なのかな?

「ホモ・ディメンス(あるいはホモ・デメンス表記)」という言葉は、フランスの哲学者エドガール・モランが1975年に発表した著書『失われた範列 – 人間の自然性』で提唱した人間の定義の一種です。以前に「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」が出てきましたが、同じ「ホモ(人)」から始まる形容詞との組み合わせのバリエーションで「錯乱した人」みたいな意味になります。ゲーム内ではハートマンが「逸脱する人」と説明しています。一般的には「ホモ・サピエンス(知恵がある人)」の対語として使われることが多く、論理的思考力を持ち合わせていながら、根源的な死に対する恐怖や感情の不安定さなどにより、合理的とはほど遠い倒錯状態に陥り、迷走しやすい人類の性質を示す表現です。テロリストの名前になると、たまに発生するサイコパスの奇行種みたいな認識になりがちですが、ホモ・ディメンスの錯乱は人間ならだれしも持っている人間らしさに由来するものと考えていいと思います。怖れや欲といった感情のほか、生物的な本能に向き合わざるを得ない人類と考えると、ヒッグス率いるテロリストたちは、じつに人間らしい「人間的秩序がはらむ無秩序」の原点に立ち返っている存在と考えることができます。

テロリスト扱いのサム

だれもがホモ・ディメンスのような側面を持っているように、個の独立を主張するのは、なにも分離主義の過激派テロリストだけではありません。アメリがアメリカ横断行脚の最中に呼びかけた人々のなかには、「繋がらず孤立したまま生きていける」と主張する人々もいました。それはサムの考えと同じです。ダイハードマンからテロリストと同じ括りにされてしまったサムは、束縛の象徴である右手首の手錠型ガジェットを目の前に掲げ、お前たちこそ「テロリストと変わりない」と言い返します。アメリはとっさに「違うわ、サム。それは私たちを繋ぐ象徴」と否定します。

結び目の重要性を説くアメリ

この意見の相違について、小説版ではそばで三人のやりとりを黙って聞いていたデッドマンが総括しています。デッドマン、相変わらず空気を読んで臨機応変に立ち回るので、書き手に都合がいい解説を挟む狂言回しっぽい存在感を早くも放ち始めています。

長官が言うことも、サムが反発する気持ちも、アメリが説いた理も、どれも理解できる。完全な自由も、理想的な連帯も人間が人間である以上、存在しない。何かに目をつぶり、何かを犠牲にしなければ人間は人間として生きていけないのだろう。だからこの手錠型端末がブリッジズの象徴であることは、理にかなっていた。これを考えた人間は天才だ。デッドマンはそう思う。それは束縛の道具であり、コミュニケーションの手段だ。その矛盾を隠さない組織がブリッジズだ。

小説『デス・ストランディング(上)』
第一次遠征隊が創った点と点を結ぶ

否定的な考えを示すサムに対して、アメリは人と人とをつなぐ結び目の重要性を説きます。それに続いて、ダイハードマンは今回の本題である第二次遠征隊の任務について説明していきます。第一次遠征隊が専門のスタッフと機材を置いていったため、すでに各地にノットシティの拠点はできあがっています。第二次遠征隊のサムには、アメリの足跡をもう一度たどってもらい、仕上げとして各地にできた点をカイラル通信でつないでほしいらしいです。

Qpid

そのための装置である Qpid はすでにこの場に用意されています。あとは第二次遠征隊のたった一人のメンバーであるサムが、ブラック企業の提案に首を縦に振るだけです。

This contains all the necessary security and operations protocols to integrate a terminal into the chiral web.

Die-Hardman

ちなみに、ここで Qpid について話すダイハードマンの英語のセリフには、カイラル通信を表す言葉に“web”という単語が使われています。この単語はもともと「クモの巣」や「罠」を意味する言葉で、のちに張り巡らされた通信ネットワーク網を連想させるところからインターネット通信で築き上げられたシステムを表す「ウェブ」という言葉にもなりました。ブリッジズの女郎蜘蛛の罠と、ビーチを経由するカイラル通信のネットワークはこういうところでもつながっています。

ビーチ姫救出プラン

第二次遠征隊の使命は各ノットシティをつないで、偉大なアメリカの神話を実現することだけでなく、武装テロリストに捕われたかわいそうなビーチ姫を救い出すことでもあります。

サムの気持ちを置き去りにして、アメリとダイハードマンのプレゼンテーションは進み、彼らが思い描くとおり、任務を無事にやり終えたサムが救済の左手でアメリの手をとり、連れ戻す姿がフィギュアを用いて描かれます。物語の進行度に合わせてサムのプライベート・ルームに出てくるこの緑色のフィギュアがなんなのか、以前から不思議に思ってましたけど、ブリッジズがサムの自己顕示欲を刺激するため、彼の第二次遠征隊としての任務を英雄譚として持ち上げて客観視できるようにしていることの示唆かもしれませんね。わりと世のお母さんって、学校とか習い事の子供のモチベーションを維持させるためにこういう手法を使うとこあるので、息子の扱いに慣れたブリジット・ママの戦略なのかもしれません。

相変わらず拒絶するサム

しかし彼女の思惑は外れて、ブラック企業に相当懲りたらしいサムの意志は揺るぎませんでした。サムはもう「『ストランド』家の人間じゃない」と言って、二人の依頼を断固拒否します。このときに「ブリッジズからも放り出された」とサムが言っているので、彼が出奔したのは、少なくとも彼の目線では、妻の死による対消滅の責任を勝手に感じていたたまれなくなったからというよりかは、その際にストランド家とブリッジズが彼の味方をしなかったからというほうが適切なのかもしれません。

アメリとのつながりを否定するサム

「もう誰とも繋がるつもりはない」の捨て台詞とともにサムは部屋を出て行こうとします。たまらずアメリが体を張って、サムの行く手を阻もうとしますが、ホログラムに過ぎない彼女では物理的にサムをとめることができません。彼女の体をすり抜けたサムは「ほら、俺たちは繋がってない。昔も今も」とトドメの一言を残して廊下に出ていきます。このときの表現は、小説版だと「廊下に逃げた」となっているので、サムもブラック企業の追撃をうまくかわすために必死です。ホログラムのアメリは追いかけてきませんが、ダイハードマンはサムのあとを追ってきます。

計画失敗

一生懸命ウソを盛ってまで計画した第二次遠征隊の任務押しつけに失敗して、一人残された執務室で呆然とする大統領は、実際はブリジットの魂から派生した存在であるため、肉体を持たない魂だけの存在です。彼女は自分の拠点であるビーチを通じて実質どこにでも姿を現すことができます。武装したテロリストであっても、魂だけの彼女を拘束しておくことなんてだれにもできません。第一次遠征隊としても、北米大陸横断に同行した事実はなく、生き残ったメンバーがだれも彼女の不在に気付かないように、巧妙にチーム編成されていたことがのちの聞き込みで判明します。

過激派テロリストを率いる悪の親玉として先ほど紹介されたヒッグスも、彼女の絶滅体としての絶対的な力に魅せられた従順な腰ぎんちゃくに過ぎません。悪のテロリストに捕まったビーチ姫は、彼女がサムを西海岸におびき寄せるためにでっち上げたウソでした。世界の滅亡も、テロリストの暴走も、すべてサムがアメリカの救世主になる舞台を整えるためにアメリが仕込んでいたものです。セントラル・ノットシティの自殺体がテロリストたちの仕業なら、それはつまり、彼らのボスである彼女の指示であった可能性が高いとも考えられるでしょう。

ブリジットまたはアメリが、どうしてサムに固執するのかという理由は、元ブリッジ・ベイビー第一号という特殊な背景のほかに、自分を初めて母親にしてくれた子だから思い入れがあるというのも大きいと私は推測しています。絶滅の宿命を背負った彼女だったからこそ、本来ならなせない我が子と一緒に、命を育む計画を完遂することに並々ならぬあこがれを抱いていたんじゃないでしょうか。そのためには若いアメリの女の武器を行使することもいといませんでしたが、サムの固い意志の前には通用しませんでした。女の武器に必要不可欠である肉、ひいては子を育む子宮を持つことができないのも、絶滅体である彼女の悲哀だと思います。

私がこの作品でよかったと考えている点は、とにかくプレイヤーを置き去りにしないように注意して作られていることがわかる構造でした。アメリのこのウソにしたって、最初に飲み込みやすい形で物語をプレイヤーに提示し、その後どんどん展開していく丁寧さがよかったと思います。とりあえず形を見せて説明してもらえると、その後どういう裏切りがあるのかを期待できるようにもなりますし、やっていて楽しいんですよね。私がほかのゲームのプレイ日記で酷評している FINAL FANTASY XV は、これと真逆のまとまりのないストーリーだったので、日本の RPG があっち方面に転んでいくのは是非とも避けてほしいなとこのゲームをやりながら思っていました。すごく対照的な作品でしたね。

サムの説得を試みるダイハードマン

ブリジットが男を手玉に取るのがうまかったのは、テロリストのヒッグスを完全に手玉にとっているところと、死後もこれだけの忠誠心を見せるダイハードマンの行動に表われていると思います。おそらくアメリは自尊心にキズがある男を持ち上げて掌握するのがうまかったんでしょうね。ダイハードマンはアメリよりも率先してサムを追いかけて廊下に飛び出してきて、長期戦覚悟で「少し休んだらどうだ?」と提案します。同じやり方は息子のサムには通じませんでしたが、ダイハードマンはブリジットの遺志を実現しなければと必死です。小島監督のお母さんもこういうタイプだったのかな?

ところで、このときのサムの「ネットが世界を覆い尽くしても、争いは絶えなかった。無理やり世界を繋いでも、また綻びが生まれる。同じことを繰り返すだけだ」は、けっこう現代のインターネット世代にしてみれば真理だと思います。同じ情報を共有しても、人によって見えかたや感じかたは本当に千差万別だし、話し合えばわかるという姿勢がいかに幻想であるかは、実際にその苦労を骨身にしみてわかっている人ほど説明不要だと思います。

サムを見上げる BB-28

サムの説得に手こずる二人をよそに、とっておきの切り札を手に姿を現すのがデキる男、デッドマンです。彼の手には見事復調し、サム仕様の「チューニングも調整を済ませた」BB-28がいました。ポッドのなかで目を覚ました BB-28は、周りの人間の気配に気付くと、ポッドのガラスに顔を押しつけて、ほかのだれでもないサムを必死に見上げます。その様子にデッドマンも「どうやら、サム、こいつとだけは繋がっているらしいな」とトドメの一言を放ちます。サムは先ほどとは打って変わって、柔らかな表情を BB-28に見せます。この駆け引きで勝利を収めたのはデッドマンでした。それはデッドマンがサムと少し似ていて、サムのツボを心得ていたからかもしれません。

BB-28を見るサム

ブリッジ・ベイビー視点の映像は、ポッドの色が反映されて全体にオレンジっぽくなるんですが、このオレンジは小説によれば「血を薄めたような色」らしいです。胎児を包み込む胎盤には母体の血液が流れ込んで、胎児が必要とする酸素や栄養を送り届けるので、BB ポッドと血に関連があるのも自然な気がします。あるいは、親から子へ受け継がれる血という抽象的なイメージもありそうです。

サムは小説版でのちほど、第二次遠征隊になったのは BB-28に装備としての存在意義を与え、ブリッジズに廃棄処分させないため、つまり彼女を生かすためだったと述べています。育ての母や姉といった家族とはもうつながりがないと否定した直後に、目の前の偶然居合わせた赤子とはつながりを感じています。これは、生まれてくることができなかった我が子の姿を投影しているからです。サムはのちほど、BB-28を「ルー」と亡くした我が子の名前で呼び始めます。

先に述べたとおり、アメリは女の魅力でサムを動かそうとして失敗したと私は考えています。サムはもう、息子や夫といったライフステージを過ぎて、父親になっているんだと思います。赤子は、絶滅の宿命を背負い、ほかの肉体に先駆けて子宮を亡くした彼女がどう頑張っても自力で調達できないものです。ここに彼女の悲哀をまた感じます。前に私の勝手な推論を書いたんですが、もし BB-28が実際にサムの実子のルーだったとしたら、よけいに彼女の悲運が際立ちます。ただ、もしブリジットがブリッジ・ベイビーの実験を通じて、赤子の姿をした絶滅体の分身を作ることに成功していて、それが BB-28だったとしたら、なかなか業の深い話にもなると思うんですよね。

先のアメリとの会話で、サムは「ブリッジズからも放り出された」と語っているので、家族から見放された自認があるんでしょう。目の前の赤ん坊は、自分の過失により、つながりを望んでいながらつながれなかった子であり、彼女を救うことは、言わばサムにとっては贖罪です。その赤子の姿には、家族から見放された自分の満たされない感情も投影されている可能性があり、自己の救済も兼ねています。二人の関係に、ブリジットとアメリが踏み込む隙はもうないんでしょうね。それなりに一生懸命育てた息子のはずなので、ちょっとかわいそうではあります。

電球 追記
精神科医の名越康文先生が実際にゲームをプレイする様子を見て、体癖論から登場人物の心情を考察する新しい動画が YouTube で公開されていました。

以前の動画でノーマン・リーダスさん(サム)が7種だろうという話は出ていたんですが、ギレルモ・デル・トロ監督(デッドマン)は3種、リンゼイ・ワグナーさん(アメリ)は4種らしいですね。ここらへんは役者の体癖が絡んでくるので興味深いところですが、個人的にデッドマンがわりと女性らしい特徴が強く出る3種っていうのが「ピッタリ!」と思いました。

前知識もなしにプレイ画面を観ている名越先生が「危ないな、この女」と一発で指摘するところはさすがだなと思いました。「ほんまに自分のことを愛してくれている人ならば、危険を冒して私を救いに来てって言わないよね。だからこの時点で彼(サム)は、これが罠だとわかってんねん。自分が愛する人だから、自己証明のために行かざるをえない」と指摘した部分が個人的に面白かったです。サムもバカじゃないし、過去にも同様の手痛い目に遭っているはずだから、ちゃんと察知しているんでしょうね。でも、逃げ道塞がれちゃったから渋々、第二次遠征隊になるっていう状況なんだろうと推測できます。

指さし ストランド家、家訓! に続く
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