グラウンド・ゼロ湖を横断
初心者マップを晴れて卒業!
デス・ストランディングで滅びかけている北米大陸の希望を背負って、東部エリアをカイラル通信でつないだだけでなく、最西端のポート・ノットシティでは人類で初めて BT の撃退に成功したブリッジズ第二次遠征隊のサム。タールにまみれて人類初の快挙を成し遂げた前回は、すぐにポート・ノットシティのプライベート・ルームに戻って、ゆっくり眠りこけたあとにシャワーを浴びてスッキリできたので、そろそろグラウンド・ゼロ湖を渡って中部エリアへ向かおうと思います。
フラジャイル・エクスプレスの船に乗り込もうと港を移動していると、ママーが通信で話しかけてきて、現在持っている配達荷物はポート・ノットシティのプライベートボックスに残ると教えてくれます。
『デス・ストランディング』の世界は、北米大陸の中央やや東寄りにデス・ストランディング現象の爆発でできた大きなクレーター湖が鎮座していて、サムが今までいた東部エリアは中部および西部エリアから分断されています。サムの配達荷物も両エリアをまたぐことがありません。必然的に東部エリアの配達荷物は東部エリアに置いていくことになります。水路はサムの管轄外ってところでしょうか。
グランド・ゼロ湖による分断は、練習マップの東部エリアと、難易度が徐々に上がっていく中部および西部エリアを区切るいいラインになるんですが、物語上の意味合いはなにかあるかなと考えたとき、ちょうどつい最近までニュースで取りあげられていたアメリカ合衆国大統領選挙が頭に浮かびました。一番大きなクレーター湖があるあたりは、アイオワ州とミズーリ州の真ん中あたりだと思います。アイオワ州なら、大統領選の前哨戦にあたる大統領候補指名党員選挙が国内で初めておこなわれる場所です。その選挙結果は全体の予備選挙、ひいては大統領選にも大きな影響を及ぼすため、世界中から注目が集まります。アメリカ合衆国は民主党と共和党の二大政党制なので、こういう政治的なテーマも、北米大陸の分断みたいなイメージと結びつけられるかなとちょっと思いました。まあ、これはただの思いつきです。
波止場まで歩いて行くと、ムービーが始まります。やたらと大きなフラジャイル・エクスプレスの輸送船を興奮気味にサムが見上げます。口元が緩んでいるので、この世界の珍しい船やそのスケール感に喜びを感じずにはいられないようです。なんか、サムのなかの男の子な部分を感じますね。
サムの背後でジャンプの音がして、この船の主のフラジャイルが追いかけてきました。サムの鼻先にクリプトビオシスを差し出しますが、いつものようにサムは食べようとしません。フラジャイルは、差し出したクリプトビオシスを自分の口に放り込んで、サムを船まで先導します。
「よく無事だったな」というサムの言葉から、ヒッグスに関する話題になります。ここの会話シーンで、フラジャイルの運送会社であるフラジャイル・エクスプレスは、過去にヒッグスと業務提携をしていたことがわかります。彼女曰く、当時はまだあんな危ないヤツではなかったそうです。また、彼の BT を操る能力は能力者(DOOMS)のレベルでは7以上に相当するとフラジャイルは語ります。逆にだれがレベル判定をしているのか、ヒッグスの前に測定されて基準になった前例はだれかいるのか気になりますね。
手を組んだ同業者だったという情報を耳にして、サムは“You did business with terrorists? Whoever pays, huh?(テロリストとビジネスだと? 金を払うヤツならだれとでも組むんだな)”とフラジャイルに敵意を見せます。その上で、世界を救いたいのか、ヒッグスみたいに世界をぶち壊したいのか、どっちなんだと尋ねます。小説『デス・ストランディング(上)』のサムはトゲがあることを言い過ぎた自覚があったらしく、ここの詰問をちょっと後悔しています。
尋ねられたフラジャイルは背中を向けていて感情が読み取れませんが、その代わりに傘の周りの空気が震えてサムの言葉にかなり感情をかき乱されていることがわかります。その様子とは正反対に、驚くほど冷静な顔で静かにサムのほうを振り返ると「私も、私の組織も、壊れたままじゃ嫌」とだけ語ります。英語版は“I wish I – I just wish things were different, alright?(私はただ自分が――私はただ物事が違っていたらよかったのにと思うだけ。いい?)”という言葉で、今の状況に満足できていない後悔があることを口にします。
フラジャイルは多くを語らず、それだけ口にすると「あとの『荷物』は私たちだけ」とサムを船に案内します。
サムが船に乗り込むと、物語が次に進んでエピソード3『フラジャイル』に突入します。ここまでのエピソード名はみんな女性ばかりですね。フラジャイルはオープニングムービーのあとにサムに積極的に絡んできてたのに、しばらくまったく登場せず空気と化していましたが、以後の中部エリアからまた彼女の物語が大きく取りあげられるようになります。
小説のサムは海と見間違うほど大きなクレーター湖を目の前にして、亡きブリジット・ストランド大統領の言葉を思い出していました。
誰かが、あれは海だって言っていた。
小説『デス・ストランディング(上)』
ブリジットが昔、サムにそう話してくれた(ねえ、それはアメリかもしれないのに)。
この大陸は、その中心に海を抱え込んでしまった。海の底からビーチを渡って、死者が座礁してくるようになった。この大陸とこの国は、その真ん中で死者の世界とつながってしまったの(誰かが言っていた。現実世界に現れたディラックの海だって)。
海がこの大陸の外にあるのならば、防波堤でもなんでも造って、海からの侵略者を防げばいい。でもね、サム。海は、この世界の中心にあるの。そしてそこにつながるビーチは、わたしたちの中にあるの。うっかりしていると、私たちは自分の海の呑まれてしまう。だから、防波堤では防げない。壁ではなくて、この海を渡るための橋を造らなければならないの。
わかる? サム。
溺れないように、溺れた人を助けるために、みんなで手をつなぐの。
エジプトの死生観を取りあげた考察記事で、あの世につながるアメリのビーチは西にあると分析していたんですが、グラウンド・ゼロ湖から考えれば、あの世は私たちのド真ん中にあると解釈できるようです。物理的な位置と精神的な位置の違いかな? だれかが言った「海」という主張を「それはアメリかもしれないのに」とやんわり否定する絶滅体の言葉はネタバレが過ぎるような気がします。アメリはあの世の海ではないはずですが、北米大陸から見ればかなり近い存在には違いないでしょうね。
あと、サムが見つめるグラウンド・ゼロ湖が「ディラックの海」ってどういうことでしょうね? ディラックはイギリスの物理学者のポール・ディラックと彼が考えた方程式の名前として広く知られています。量子力学に相対性理論を盛り込んだディラック方程式は、Qpid でカイラル通信をつないだときのエフェクトでも確認できる重要な方程式です。
ディラック方程式は自然界には存在しないような負のエネルギーの状態が現れるため、その説明に「ディラックの海」という空孔理論が提唱されました。その海とは、負のエネルギーを持つ電子によって完全に満たされている真空状態です。私たちが観測できる電子は、その穴からあふれ出た電子ということになります。クレーター湖を満たす海は空虚な真空状態で、そこには負エネルギーの電子が無限にひしめきあっているという感じでしょうか。
ただ、このディラックの海の概念は、以前に書いた対消滅の説明にも関連している話ですが、電子と対になる陽電子の存在がその後に確認され、ヴェルナー・ハイゼンベルクとヴォルフガング・パウリによって場の量子論の原型が作られたことで改善が図られ、さらにファインマン・ダイアグラムなどで有名なリチャード・ファインマンが提唱した現代的な理論によって、もはや場の量子論には不要の概念になっています。重要な踏み台にはなって、一部にはまだ適用できるけど、一世代前のものという印象があるので、なんで北米大陸の真ん中にあるんだろうという感じがします。ただ、私では頭が悪すぎて、聞きかじった知識だけでは詳しく掘り下げられないんですよね。
サムたちが乗った船には、太陽の光らしきものが空からまばゆく降り注ぎ、画面のところどころに逆さ虹とはまた違った虹が出ています。
私がこのシーンでちょっと気にしているのは、サムの背後に映る海鳥の群れです。鳥は死体焼却所の上空にも飛んでいるカラスのように、エジプトの死生観で「カー」と同じように人間の魂のひとつとされた「バー」を表しているんじゃないかと私は推測していました。ここでサムたちが乗る船についてくるように飛ぶ大量の海鳥は、なにか意味があるんでしょうか? もしかしたらこのグラウンド・ゼロ湖を生み出した爆発で死んでいった人たちの魂が、いまだに還る肉体を求めてさまよっているのかもしれません。だとすると、この光は夕日なのかな? 船の向きを考えると方角的には北東っぽい気もします。
フラジャイル・エクスプレスの船は私が知っている輸送船の形とちょっと違います。こういう形の船を、双胴船と呼ぶそうです。船舶工学みたいな専門知識がないので、なぜこの形が選ばれたのかはよくわからないんですが、物語をひも解く要素として捉えるなら、前回ノットシティの入り口が例えられていたように、大きく口を開けたクジラのように見えるという理由もあるのかもしれません。
また、2隻の船をつなげたような形の双胴船は、真ん中の空洞を挟んで海面に接する船体がふたつに分かれているため、ブリジット・ストランド大統領が小説のサムの回想で言及していたように「溺れないように、溺れた人を助けるために、みんなで手をつなぐ」形状を表しているのかもしれません。
小説の説明によれば、今回の輸送船の運行は、船体と人員をフラジャイル・エクスプレスが提供し、燃料などのリソースをブリッジズが負担するという交換条件で実現したらしいです。人の社会が崩壊したこの世紀末ワールドでは、こうした物々交換がトレードの基本になっています。
気がつくとサムは無言のフラジャイルに詰め寄られていました。フラジャイルは「西に着くのは明日」と教えてくれます。いたって普通の親切な会話なのに、人間嫌いな男のせいか、はたまたストーカーじみた女のせいなのかわかりませんけど、両者のあいだにはものすごくピリピリした雰囲気が漂っています。
現代の貨物船は、早いものだと時速40km を超えるそうです。こんな世紀末に残された希少な船が同じスピードを出せるとは思えないので、大型のタンカー並みの時速30km 弱と仮定します。一番大きなクレーター湖がミシガン湖よりちょっと幅広ぐらいなので、直系200~300kmのあいだぐらいの大きさだと思います。そうするとやっぱり最短でも10時間ぐらいはかかる船旅になるのかな。サムが乗った船は、実際には南のほうから北上する形で湖を渡ったようなので、コース取りによっては2倍ぐらい平気でかかるかもしれません。フラジャイルが言う明日の到着は自然な気がします。
この世界って、もう日も沈まないし昇らない不思議な空間になっているはずなんですけど、やっぱり人間は古い慣習を大事にして24時間を軸にして生活を続けているのかな? 案外こんな世界になると、もっとわかりやすくて新しい時間の観測方法の概念も生まれて浸透してそうな気がしますけどね。サムは配達ばかりで都市の生活圏には入れないんですが、シェルターのなかでみんながどうやって生活しているのかとか、観察できたらおもしろそうです。
フラジャイルとのあいだに漂うただ事ではない空気でいたたまれなくなったのか、サムは無言でその場をすぐ離れると背中の背負子や胸元の BB-28を取りはずして、適当な場所に腰かけて休む体勢に入ります。BB-28のポッドを置く前にジッと彼女を見つめるサムの目は、娘の安全を確認するお父さんの目です。小説の説明だと、以前から痛めていた足や BT との戦闘で酷使した体を休めたくなったそうです。それにしても、なんか言ってから離れて!
プライベート・ルームのようにインキュベーターがないので、適当な段に平置きされた BB-28は、すぐに目を閉じ、ポッドを暗転させて眠ってしまいました。こういうとき、ポッド入りの赤ちゃんは楽でいいですね。これ、外に出た乳幼児抱えての移動だったら地獄でしょ。
BB-28に続いて、自身も休む体勢に入るために、服のあちこちの締め付けを緩め始めたサムの懐から、また古い家族写真がこぼれ落ちます。洞窟で一緒に雨宿りしたときと同じです。
そして、またまたフラジャイルに拾われて、「過去は捨てられない」と告げられます。小説のサムは受け取るときに目顔で「ありがとう」と伝えたつもりでいるんですが、映像を見る限りではフラジャイルのほうに一瞬だけ視線をやっただけで、こんなチラ見では逆に「おめえ、お節介だな」という邪険なメッセージにも取られかねません。てか、せめてなんか言えよ~!
前回この写真が出たときは、まだサムの素性もろくすっぽわからなかったので、細かい掘り下げがなかったんですが、今回は小説のほうで写真を見たサムの心理がちょっとだけ描写されています。サムは妻の顔が時雨でにじんでも、その顔をきちんとすぐに思い出すことができました。しかし、脳裏に浮かぶ妻の顔より、直視しがたいのがそのお腹の膨らみでした。この点から、サムがいかに父親になりたがっていたかがわかります。BB-28にもこだわるわけです。サムは妻の顔より、写真の隅に書き込まれたブリジットの手書きのメッセージ“Be stranded with love(絆とともに)”が時雨で消えればよかったのにと考えています。たぶん絶滅体の意志が絡んで妻の顔に時雨が落ちたと思うので、それは無理なお願いなんでしょうね。小説ではフラジャイルの言葉を復唱するように、「言ったでしょう、過去は捨てられないって」という絶滅体の言葉が続いています。妻の顔は消せるのに、養母との絆は捨てられない過去なんですね。
フラジャイルはまたサムとの距離を詰めて、「お願いがあるの」と切り出します。その内容は宿敵のヒッグスに関連することのようですが、お願いごとを言い切る前に隣のサムが船を漕いでいることに気づきます。
途中で話すのをやめたフラジャイルはサムの横顔をのぞき見て、呆れた様子で立ち去っていきました。すげぇ男だなぁ、サム! これでもめげないフラジャイルもフラジャイルですよね。やっぱり伊達にストーカーしてないなと思います。
余談なんですけど、ここのムービーでサムの肩がアップになって、配達荷物を留められる腕のパーツに彫られた文字が目に入ったんですが、重量は200lbs(約90kg)までってなってるんですね。腕に90kg、両腕で180kg の荷物を想定してるって、仕様だけで気が狂ってませんか?
これまでもサムはプライベート・ルームに到着するとベッドに直行してすぐ寝ていたので、寝付きがいいことはわかっていましたが、今回は写真をつかんだまま、隣にしゃべっている人がいるにもかかわらず、すぐに意識をなくしているので、ちょっと異常です。小説では眠りに落ちる具体的な描写が一切なく、気がついたら寝ていたので、もしかしたら疲労困憊で落ちるように寝たのではなく、アメリにビーチに呼ばれたことが関係しているのかもしれません。
ということで、赤いハイヒールが近づいてきました。怖えよ。ある意味、フラジャイルとストーカー対決できそうです。
サムは写真を握りしめたまま寝ています。器用です。それこそ寝ているあいだに指をすり抜けて飛んでいってしまいそうです。実際に、小説版ではアメリがフラジャイルと同じように拾って渡してくれます。サム、家族写真落としすぎ問題。
アメリが船外の景色を指しながら、覚えているかとサムに問います。フラジャイルの隣からはさっさと退いたくせに、アメリに促されるとサムは立ち上がってアメリの隣に立ち、言われるがままアメリと同じ方向に目をやります。このシーン、サムの左肩の背後にクレーンが映り込むのも絶滅体に釣られている暗示かな?
サムが見つめた先はグラウンド・ゼロ湖の風景ではなく、見慣れたアメリのビーチで、そこには幼い自分と昔のアメリの姿がありました。ここのシーンの舞台は現実のグラウンド・ゼロ湖や輸送船ではなく、アメリのビーチであることが判明します。小説では金色の火花を散らすクジラの群れを先に目にしています。キューピッドの矢尻なら激しい恋情を催させる色です。
フラジャイルと一緒にいた輸送船では、画面に夕日のような暖色系の光が反射して虹が見えるぐらいでしたが、アメリのビーチのシーンは対照的に彩度が抑えられています。小説のサムはこの世界の色彩のなさに触れ、空を「鈍色」と表現しています。キューピッドの矢尻なら恋心も冷める色です。その世界でアメリだけがやたらと鮮やかな赤をまとっています。
アメリに起こされた幼いサムは、寒さで震えていました。アメリは母親のように寄り添って、サムを抱き寄せます。サムがポツリと漏らした「あったかい」という言葉で、アメリは自分が生きていることを痛感します。「独りでいるのは、生きていても死んでいても同じだった」という言葉から、アメリはサムと出会うことで自分を知り、生きる喜びを知り、人とつながることのよさを知ったと考えられます。以前にアメリのセリフを掘り下げて、この世界の死は孤独なのかもしれないと書いたことがあったんですが、むしろ他者と寄り添い合って生きていかないと、生きていても死んでいても同じという彼女の考えが根底にあってのことだったのかもしれません。
サムはビーチから帰りたくないと言ってその場を離れますが、けっきょく少し離れたところでひざをついて泣き出してしまいました。こんな息子がいたら、そりゃかわいかろう。
サムがアメリのビーチから北米大陸に戻りたくない理由は、これまで描かれてきたブリジット・ストランド大統領との関係を考えるとある程度察しがつきます。生者の世界の養母はサムの母親をするには忙しすぎて、おそらく彼は孤独な少年時代を過ごしていました。このビーチで義理の姉のアメリと過ごす時間こそ、彼が真っ当に持てる家族の時間だったと考えられます。サムは孤独になりたくなくて、このビーチから帰りたくないと言っているわけです。その心理には家族と寄り添い合って生きていきたいと願う自然な子供心があり、それはアメリがまさにサムとの関係で新たに学んだ人との絆のよさ、そのものを意味しています。
泣くサムにアメリがドリーム・キャッチャーを渡します。これにより、以前に少し夢で見ていた記憶とつながっていることがわかります。サムを第二次遠征隊にしたがっているときになんども類似の言葉を口にしていた「私とあなたはいつもつながっている」のセリフも、このシーンで見ると優しいお母さんの言葉に聞こえます。絶滅夢のような悪夢に頻繁に悩まされて孤独に怯えていた少年には、この姉の気遣いがさぞ心強く感じられたでしょう。だからこそ、サムは義姉の態度からきな臭さを感じても、お願いを断れずにいたと解釈できます。
アメリの手のひらが、ドリームキャッチャーを握るサムの手を包んでくれる。手の中のドリームキャッチャーが大きくなって、はみ出してくる。その網の目はサムの手を覆い、アメリの手を覆い、やがてふたりの体を覆い尽くす。ふたりは繭に呑みこまれる。そのなかでサムはアメリと溶け合って、あらゆる悪意から守られていた。母の子宮の中で、生まれても死んでもいない。世界とひとつになった甘い感覚に満たされていた。
小説『デス・ストランディング(上)』
ここのドリーム・キャッチャーを手渡された小説のサムの心理描写は、絶滅体の女郎蜘蛛のイメージからきているものでしょう。女郎蜘蛛のメスは産卵すると、子グモがふ化したときにエサにもなる糸で覆って卵を保護し、自分がその上に覆い被さって卵のうを守ります。そのまま木枯らしに吹かれて死んでしまう母グモも珍しくありません。繭に包まれて安心するサムは、まさに女郎蜘蛛の息子です。「母の子宮の中で、生まれても死んでもいない」もそのまんまブリッジ・ベイビーですね。
自分の肉体へ、そして生者の国である北米大陸への還りかたを忘れてしまったサム少年のために、アメリはサムの手を取って途中まで見送ることにします。サムは左手でアメリの右手を取って、手をつなぎながら北米大陸のほうへ歩いていきます。左手は棒と縄の考察だと不動明王が羂索、つまり縄を持っている衆生救済の象徴なんですよね。ちなみにアメリがドリーム・キャッチャーを持ち上げた右手は不動明王が剣、つまり棒で邪悪なものを退治するほうの手です。サムの手がアメリを救うこと、そしてアメリの手がサムのなかの邪悪なものを滅ぼしてくれることの表れかもしれません。
サムがアメリに対して接触恐怖症を発症しない特殊性は以前から指摘していたんですけど、こういう子供のときから自然と触れあう習慣があったことを前提にすると、まんま触れあうことが自然だったから発症しないという理由もあながち否定できませんね。
帰り際にアメリが口にする「あなたを『ビーチ』で待ってる」も、アメリだけでなく、ブリジット・ストランド大統領まで遺言のようにサムに向かって口にした定番の言葉で、これまでになんども耳にしてきた絶滅体の言葉ですが、この流れで耳にするとこれまでの印象と違って、なかなか子供と会う条件に恵まれず苦労している母親が、愛息に向かって愛情を込めて「あなたのそばにいる」ということを伝えようとしている言葉のように自然と聞こえてきます。
アメリが言う「二人でよく遊んだ」ビーチは、ウソではないでしょう。二人がビーチで家族水入らずの時間を過ごすことは、サムが幼いうちは習慣になっていたと容易に想像できます。ここの一連のシーンは、今まで利己的に見えていた母親視点で絶滅体の二面性を描き出す構図になっています。育児に悩んで悶々としたことがある親なら、ブリジットやアメリの葛藤に理解を示せなくもないでしょう。
ただ、ちょっと水を差すようにサムが「君が連れてきてくれた。一人で来ることはできない」と、サム側の意志だけではビーチに来られなかったことも告げます。子供のときから主導権を握っていたのは、相変わらずブリジットとアメリで、サムのなかにはどこか締め出しを食らっていたように感じる部分も残っているのかもしれません。
アメリはサムの言葉に応えて「還る身体がある限り、あなたはビーチに出入りはできない」と述べます。これまでなんどか推測してきたとおり、肉体を持つことがそのまんま生者の条件になっているからですかね? アメリは自分の意志でサムをビーチから追い出しているわけではなく、肉体がネックになっているから仕方ないと言いたそうです。ネタバレになりますけど、エンディングまで見ると、その身体は一度死んだサムにアメリが与えたものでもあります。サム少年と母子らしい絆が築けたあとになってからわかった話、愛息に身体を与えた代償はなかなか大きかったのかもしれません。
サムとアメリは、北米大陸に戻るサム少年の帰還を遠くから見届けています。サムより主導権を握っていたアメリのことなので、サムは「ビーチを通って西から戻れないのか」と問いますが、アメリの答えはノーでした。サムが西のエッジ・ノットシティまでカイラル通信をつながないと戻れないそうです。まあ、あとでウソだとわかるんですけどね。
このシーンのサム少年を見ていると、以前にアメリのビーチから結び目にサムが戻ったときと同じように、海のなかに入っていることがわかります。最初は北米大陸が陸地にあって、あの世の海があって、あいだにビーチがあると考えるのが自然だと思っていたんですが、結び目の海底は、サムの魂が肉体から離れたときの環境そのままなっているので、この構造だと、やはり北米大陸は海底にあると考えるのが自然な気がします。
結び目という表現は、ブリッジズの拠点であるノットシティにも見られるもので、アメリ曰く人と人とのつながりを示しています。サムの結び目がアメリのビーチから沖に少し進んだところにあるのは、アメリが自分のストランドでその結び目をたぐり寄せて自分のビーチにくくりつけているからと考えられないでしょうか? 北米大陸は本来ならもうとっくに海の底で、絶滅体が愛着を感じて捨てきれない部分がかろうじてつなぎとめられていると考えることもできるかもしれません。
私の気にしすぎな部分もあると思うんですが、もっと言えば、アメリとサム少年はもといた場所からまっすぐ沖へ向かわず、波打ち際と平行して左手に少し浜を歩いていることもわかります。この動き、イゴール先輩の大爆発で BB-28を抱えたままアメリのビーチに行ったときの赤ちゃん BT の手の動きと同じだと思います。
記事にも書いたんですけど、赤ちゃん BT が打ち上げられた小魚の山のほうへ移動している点と、そのあと映るビーチ全体の風景と照らし合わせると、そのまま目の前の海のほうへ進んだんじゃなくて、波打ち際と平行するように横の小魚の山のほうへ移動していったと考えられます。あの BT がサムの深層心理を反映したなにかではなく、本当に BB-28なら、サムを置いてさっさと自分の肉体に還ろうとしていたんじゃないかな。なんていうか、サムより還り道をちゃんと心得ているしっかり者の赤さんです。
アメリが「あなたがここまで繋いでくれないと戻れない」とウソをついているとき、アメリはサムの手から取った写真のメッセージを器用に親指で一部隠しています。“Be stranded with love”の最後の“love”の部分です。つまり、サムに西まで迎えにきてほしいというお願いごとは、家族愛からきているものではなく、もっと打算的なものだという暗示だと思います。
ここのシーンはフラジャイルとアメリ、両方の女性がサムにお願いごとをしています。私視点では、どちらの女性も利己的なお願いです。サムはアメリに強制的にビーチに呼び寄せられたこともあり、フラジャイルのお願いごとはまともに聞くことすらなく一度却下していることになります。いっぽうで、アメリのお願いごとはこれでもかとウソも盛りまくった強めの主張でサムに伝わっています。対比がおもしろいですね。
海のほうへ数歩歩いて、サムのほうを振り返ったアメリの周りに逆さ虹が一瞬だけ現れて、その背後にフラジャイル・エクスプレスの船が迫ってきます。小説のサムは最初にクジラの姿を見て、そのあとに海面から頭を出したのがクジラではなく、この船だったと気づきます。双胴船の構造から、真ん中にぽっかり空いた穴が口を開けて迫ってくるクジラのようにも見えます。小説の描写は、まるでこの船がアメリを襲おうとしているようになっているんですが、私はなんとなく、アメリのほうが自分の力を抑制できずに、サムが乗った船をビーチに引き寄せずにはいられない状態になっているんじゃないかと感じます。